2013年7月 Archives


(NEX-7/E2.8/20 /Photoshop CS5.5/拡大画像あり)

 (画像と本文には関連なし)


フーコー「真理と裁判形態」より

 認識は認識すべき世界と類縁関係をもたない、とはニーチェが頻繁に言ったことです。『悦ばしき知識』のテクストをひとつだけ引用しておきましょう。断章一〇九です。「世界全体の性格は、永遠にカオスである。そこに必然がないからではなく、秩序が、分節が、形式が、美が、叡智がないからである。」世界はこれっぽっちも人間を真似ようなどとはせず、いっさいの法というものを知らない。自然に法則があるなどと言うのは慎もう。認識が取り組まなければならないのは、秩序もなく、繋がりもなく、形式もなく、美もなく、叡智もなく、調和もなく、法則もない一世界なのだ。認識が相手にするのはそういうものなのだ。そこに住まう認識には、どんな権利からにせよ、この世界を認識するすべはない。自然にとって認識されるというのは自然ではない。したがって本能と認識の間には、連続性があるのではなく、取っ組み合いと支配と従属と代償の関係が見出されるのであり、同様にして、認識と認識される諸事象の間には、いかなる自然な連続の関係もない。あるのはただ暴力的関係、支配と、権力と、侵害の関係だけである。認識は、認識すべきものへの侵害でしかありえず、知覚とか、認知とか、あれとこれとの同一化などといったものではない。(引用終り)

 僕は「認知」とか「認識」、一般的に「理解」とかいうものがどのようなものなのかということを、フーコーのニーチェ解読から学んだ。いやそうじゃない。そんなことはなかろう。若いときから思っていたことが、フーコー=ニーチェ解読によって納得した、ということだ。「認識」はそれは君のたんなる「発明品」じゃないか、たいそうに言うなよ、とたしなめる。「真理と裁判形態」には人をして謙虚にさしむけるものがある。「知」とはそんなものなのだ。若き君よ、フーコーの「真理と裁判形態」をぜひお読みください。

NEX-7 E2.8/20

|


(NEX-7/E2.8/20 /Photoshop CS5.5/拡大画像あり)

 この日は福岡天神は暑く、ペシャワール協会事務局に行き着くまでには難儀した。いやあトシだ。


(NEX-7/E2.8/20 /Photoshop CS5.5/拡大画像あり)
 福新楼のマンゴープリンで涼をとる。わずかな救い。

中村哲という人

|


(NEX-7/E2.8/20 F3.5 ISO640 -0.3EV/Photoshop CS5.5)

 以下は「ペシャワール会報No.116より、中村哲氏の報告(抜粋)

 /////二〇一二年度を振り返って/////

 二〇一三年九月にぺシャワール会、翌年五月には、現地活動三十年を迎えます。
 かつての青年医師は、初老の工事現場監督となり、この間のめまぐるしい変転を思うと、波澗万丈とはこんな事をいうのかと不思議な気がしています。
 めまぐるしい動きにも拘らず、一貫する縦糸は、天・地・人の構図の中で「自然と人間の関係」を問い続けることだったような気がしています。
 医療現場、河川工事、農業に至るまで、このことは変わりません。
 大きな転機が何度かありましたが、最後のものは二〇一〇年八月の大洪水でした。ごみクズのように流されるはかない人間の営みを見ながら、思うところがありました。それまで、人の都合で自然を眺める未練がましさを拭えませんでしたが、自然の摂理から人を眺めるようになってきました。
 人は大自然の中で、身を寄せ合って生きています。そして、人もまた自然の一部です。このことを忘れると、私たちの考えは宙に浮いてしまいます。科学技術で自然を制御できると錯覚し、不老不死の夢が叶うかのように考える。目先の満足のためなら、暴力も厭わず、生死さえ軽く考える。生かされている恩恵を忘れ、暗い妬みや不安に支配される ―― 現地で見ていると、大は戦争から小はいじめや自殺まで、この錯覚が影を落としているように思えます。
 アフガニスタンの現場から見る限り、時代は明らかに一つの破局に向かっています。人がこの巨大な錯覚の体系にとどまる限り、希望はありません。希望を演出することはできても、本当ではありません。
 干ばつ対策に奔走した立場から見ると、日本ほど豊かな国土に恵まれた国はありません。敗戦直後、飢餓から立ち直らせ、戦で傷ついた人々を慰めたのは、郷土の山河と自然でした。その恵みによって生かされてきたことは、学校で教えられませんでした。おそらく、郷土を築いてきた祖先たちは、このことを知っていました。
 株価や経済成長率は、恵みを語りません。武力は、郷土や国民を守りません。三十年間の日本の変化を回顧すると、哀しいものがあります。
 「身を寄せ合う」 とは、人が和し、弱者を労わることです。和して同ぜず、ここに積極的な価値と希望があります。平凡ですが、これが三十年の結論です。
 現地活動はなおも続きます。「緑の大地計画」を以て日本の良心の気力を示したいと思います。三十年の支えに感謝します。(引用終り)

 人は信じられないほどの力を出して事物に挑戦する。たとえば冒険家がそうだ。芸術家にもそんな人がいる。
 中村哲氏もある意味では冒険家・芸術家として成っていったのかもしれない。かのアフガニスタンで30年前から(1984年、といえばフーコーが逝った年だ)現地活動を続けている。余人には到底マネのできない命がけの業(わざ)だ。詳細は検索してください。

 福岡市博物館の「インカ帝国展」に行きました。少女のミイラをみました。ああいうのは初めて。(拡大画像あり)

 少女自ら望んでこのような姿になったわけではないでしょう。後世の探検・発掘で少女は歴史に躍り出ました。

 さて、自己への配慮=エピメレイア・ヘアウトウ(epimeleia heautou)といえば、フーコーの「性の歴史」です。そのフーコーを思い浮かべていました。フーコーは晩年、自己を一個の芸術作品に仕上げることを考えていました。自身に到来するもの=きたるべきものを感知していたのだと僕は思っています。自己を歴史に残すこと、それも権威をもって立派に残すことを想起していたのだと思います。僕は大のフーコー贔屓です。「自己の技芸」を全面的に了承するのは困難ですが、心意気は承知しています。

 自国語で、ジコヘノハイリョ、と表象すればそれなりの理解は生まれます。普通にいい意味で成り立ちます。たとえば、無茶をしないでよく考えてね、自分を大事にね、とか。いっぽう本家フーコーのそれはギリシャの先哲の態度から練り上げたもので「主体化」の問題とも関連します。自己構造化、個体化の領野の問題でもあるが、フーコーは系譜的で自覚的な「取り組み」を試みています。

 かたや精神(思想)が延長して残り、かたや身体(ミイラ)が延長して残る。様式の違いはどこにあるのだろう?

 死はいずれにせよ「野垂れ死に」だと聞いたことがある。現代のシステム医療のもとでは頷ける比喩だ。でもまあ、ヒトは概念を創造し、特異性を見出し、熱したり、冷え切ったりするいきものです。ミイラは個物でした。人間であるはずなのに干からびて死んだ爬虫類のような個物でした。フーコーの頭蓋骨だったらスキップしたいところですが、15世紀の少女のミイラはなぜか「博覧」できるのですね。奇妙です。この様態の違いはなんでしょう? 

 北九州市立美術館(本館)では8月31日から10月20日まで「レオナール・フジタとパリ」。フジタ(藤田嗣治)好きですからねえ、僕は。「追っかけ」です。たぶん出かけます。

しま屋のタンタン麺

|

 7月1日のこと。福岡。電車を降りると激しい雨。しかたなく地下鉄で呉服町まで。着いたら雨は止んでいた。目的は「しま屋」のタンタン麺。スマホの地図アプリを使って歩いた。

 (以下すべてNEX-7/E2.8/20//SILKYPIX/拡大画像あり)

 ごらんのとおり少量。みなさんが大盛りを注文するわけだ。味はよかった。昼間はサイドメニューなし。

 バスで天神に戻る。そして定点観測。

 ジュンク堂4階で森山大道などなどをみる。

 2階のシアトルズベスト側の閲覧席に移動。人が多く少し待った(公園側も満席)。手にはニーチェの「悦ばしき知識 」(ちくま学芸文庫)。だが眠たい。読み始めると舟をこぐ。眼下はシアトルズベスト。コーヒーするか。

 で、シアトルズベストでバニララテとレモンタルト。

 ガラス越しのテラスでは黒人のオッサンが電話している。

 以下は「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」の記事の一部。(7月2日付け朝日新聞)

 モデルはパリの人気女優

 ばら色の頻を輝かせてほほえむジャンヌ・サマリー。幸福感に満ち、見る者を優しく包み込む。17世紀以来の伝統を誇るフランスの国立劇場コメディー・フランセーズの人気女優だ。

 女優や音楽家が輩出した芸術一家に生まれ、18歳でデビュー。小間便の役などを得意とし、1870~80年代のパリで画家たちの人気モデルになった。16歳年上で、30代後半だったルノワールも彼女を気に入り、何枚もの肖像画を手がけたといわれる。

 「自然体で、明るい笑い声が印象的な女優だった」とコメディー・フランセーズの史料担当、フロランス・トマさん。当時、同劇場の女優たちはサロンなど知的な交流の場に出入りした。ジャンヌとルノワールは、出版業を営むシャルパンティエ氏の夫人のサロンで出会った。

 女優の住まいと画家のアトリエが近かったことも、2人を結びつけたようだ。

 芸術家を引き寄せる小高い丘の街、モンマルトル。街の歴史に詳しいジャンマニユエル・ガベールさんは石畳の坂道を歩きながら、「当時は素朴な自然が残り、庶民的な活気にあふれていた。ルノワールが描いた女性の多くはブルジョアか名もない庶民だが、どちらでもないジャンヌは魅力的だったろう」と話した。

 印象派は、光や大気から受けた一瞬の感覚をとらえた。ガベールさんは「この肖像画からは、はかなくもある若さや美への、画家の惜しみない愛情が感じられる」と話す。ジャンヌは後に富豪の息子と結婚。3女をもうけたが、1890年に腸チフスのため33歳で世を去った。(引用終り)

 この7月6日から横浜で始まる「プーシキン美術館展」。

(NEX-7/E20/2.8 拡大画像あり)

 少し寄って撮る。

(NEX-7/E20/2.8 拡大画像ナシ)

 OCRのハナシをいたします。このRAWファイルを解像度300dpiで現像、「読んde!!ココ」で画像を読み込み、その一部(スクリーンショットの拡大画像、赤枠の部分)を選択して認識させました。

 拡大画像でご覧ください。いかがです? けっこうまともに認識するでしょう? 右上の「モデルはパリの人気女優」の部分を顔写真を含めて選択して認識させました。顔写真の部分の認識は少し変ですが、全体として使えます。つまりスキャナがなくてもOCRができるというわけです。冒頭の記事は認識結果をエディタにコピペして数箇所訂正して載せました。

 さてその「プーシキン美術館展」ですが、7月6日~9月16日が横浜美術館。その後9月28日~12月8日が神戸市立博物です。

このアーカイブについて

このページには、2013年7月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年6月です。

次のアーカイブは2013年8月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.01

photo pages

photos

地上の夜の天使たち