2016年4月 Archives

2016/04/29 長崎。午前。











朝日のコラム。鷲田 清一。「哲学って使えるの?」。
肝は哲学とアートなのである。
やっぱり、同世代の男はこうなんだなあ。w
記事をPDFにしてます。(朝日さん許して)
プロパティで100%表示に固定しています。あしからず。

NEX-7と35mmシネマ用レンズ、アンジェニュー35-140mm3.5。近場の漁港。
ビメオ=vimeoに登録する。で、AVCHDビデオ (.MTS)をTMPGEnc 4.0 XPressでエンコードしてみる。古色蒼然のムードを色調補正フィルタ、RGBコントラスト(黒ベース)で明るい色に変える。出力は音声なし映像のみMPEG-4 AVC 1920*1080 23,976fps 1パス固定ビットレート9943kbps。
vimeo Basicは無料登録。サムネールからvimeoサイトに別窓移動します。



vimeoはストリーミング動画です。端末やら回線事情の環境に依存するかもしれません。

アンジェニュー35-140mm3.5

|
曇天。いつかやってみようと思っていた。
NEX-7と35mmシネマ用レンズ、アンジェニュー35-140mmでのセルフポートレート。
着の身着のまま即現場へ。
自身のための撮影メモなれば要なき方は見ぬがよろし。w
それにしても短足の男だ。
顔はまるでビキちゃん(蛙)じゃないかよ。

①距離3.8メートル。(足元。ビニールひもが見えます)
レンズ刻印上の距離は2メートルを少し下回るくらい。
②画角35ミリワイド側。
③絞りF8。概ねしくじらない。
④ヘリコイドチューブを使うとがたつきが出るので、FOTGA M42-NEXアダプタを使用。
⑤セルフタイマ10秒後3枚撮りモード。
⑥三脚使用。マンフロット055。
⑦SILKYPIX現像。補正なし。



⑧全身を入れるとなるとワイド側になる。それでも換算52.5。距離を長くすればもっと風景を取り込めるがセルフタイマとの競争になる。
急ぎ走り、ニッと破顔一笑。人目にはほとんど人格破たん者ですね。w
上の拡大画像は長辺1200だが、NEX-7の等倍は長辺は6000ピクセルある。モンベルのロゴも首のほくろもきっちり写し込む。立体感がいまひとつだが、APS-Cだから中判と比較するわけにはまいりません。w
Wikiによれば千葉雅也1978年生。綿矢りさ1984年生。
ローマクラブの「成長の限界」が1972年。オイルショック(トイレットペーパーの)がその翌年。
1ドル360円固定相場時代のジジイとはジェネレーションが違う。w
こんな若い人はたとえば見田宗介の2015年版「現代社会はどこに向かうか」をどのようにみるだろう。
あたりまえじゃんそんなの、と至極冷静に読めるのかもしれない。(想像)
さて、千葉雅也=読書欄。
(拡大画像で読めます)



書評には評者の姿があらわれる。
性、マゾヒズム(マゾキズム)、秘密(ラリュエルのとはいわないが・・)、ギリシャ由来の思弁、身体とこころうんぬんかんぬん・・と連想は終わりをしらない。千葉雅也という若い思想家のキャラがたってくる。
と、そうは思いませんか?
綿矢りさ=「私をくいとめて」その4。
手元のNEX-7+アンジェニュー35-140mm3.5で撮影。
拡大画像で読めると思う。

「多問題家族」ということばがあります。
団塊の世代は家族の絆が強い、また辛抱強い、ともいわれる。
働けないシングル(あるいは非正規の労働者)の子と団塊世代の親がともに暮らしている所帯が多くある。
親に問題が生じた場合、(たとえば病気、介護の必要)配偶者だけでなく(配偶者がいなければなおさらのこと)シングルの子が引き受けることになる。非正規の子に介護休暇の制度はない。「多問題」が一気に火を噴く。

いわゆる「下流老人」とはこんな事態から始まる。
誰にでも起こりうる。今はそうでなくとも子が新しい家族となって入り込んでくる事態は「出来事」として出来(しゅったい)する。

先の2016年4月16日=NHKスペシャル、

老人漂流社会 団塊世代 しのび寄る“老後破産”

をみる。
ここで取り上げられた問題も今や周知の事象。
「現代思想」2月号=老人崩壊、を枕元に置いている。ちょくちょく読む。自分に起こりうるイシューとして読む。
まあこんなことを宣えばルサンチマンになるが、だいたいが、経済的に何があってもやっていけるのは、資産家か天下り上級公務員くらいなもので、フツーの年金受給者はいつ破産するか知れたものではない。
地域の受け皿をうんぬん、セーフティーネットをうんぬん、そんなのはたわごとに過ぎぬ。
「多問題家族」の疲弊した親と子の「それぞれ」の困難を救う制度をつくらずして、どこに安心があるというのだろう。
この国の為政者と官僚は自分の取り分だけを増やすことしか考えてない。
税の真正な「再配分」がなされてない、と思うのだ。

世の男たちはおおむね「ネットワーク」をもたないまま老いてゆく。(僕もふくめて)
「町内会」に受け皿としての力量はない、と感じる老人は多いはずだ。(僕もそうだ)
では最終的に独り身となった老人が、つつましくとも安寧な老後を生きるための肝はなんなのだろう。
それを思考するゲンダイシソウであり、ゲンダイテツガクでありたい。と、言葉でいうのは簡単だが。
絶対的な内在というものがあるとしてそれがどれくらい持続的に生身のニンゲンの生活を支えうるコアなのか、けっきょくその時になってアンタがやってみなければわからんさ、ということだろうか?

記事に関係ない画像。



NEX-7にアンジェニュー35mmシネマ用35-140mm3.5 TYPE LA2。
F5.6,43mmあたり。Aモードで撮影したためISO1600でSSが1/50秒に落ちる。だがさいわいブレはない。ソニーIDC現像。補正なし。
シネマ用レンズの特徴が出る。
α7sとmade by Rollei Sonnar 2.8/40mm。

以下記事は読まず飛ばすべし。自己の備忘メモなればなり。
定期健診。打刻7:18は入庫。10:03が診察終了。
諏訪神社→松森神社→下西山→片淵一丁目裏通りを歩く。
帰路、西山バイパスに入る直前、気が変わり日見トンネル方面へ行かむと右折。
が、車は山道に迷い、矢筈岳まで登ってしまう。この期に及んでナビで自宅を目的地に。さすれば東長崎中学校前に出た。笑える。
リンガーハットでちゃんぽん・ギョーザを食して帰る。うむ。









2016年4月3日放送のNHKスペシャル

巨大災害 日本に迫る脅威 地震列島 見えてきた新たなリスク

をみた矢先に起きた。
放送で、九州の中央部では地面のズレ方向がせめぎあうような矢印を示していた。
僕の地元の活断層は南東に向かっている。そこには一方向のズレしかなかった。
西村京都大学准教授のデータには、なにかしら驚くべき秘密があるような予感がしたのだった。

西村准教授の研究は昨日(2016年4月16日)のNスペ「活断層の脅威」でも紹介された。「前震」後のインタビューだったが、次なる地震を予測するかのような発言をしていた。これにはもっと驚いた。本当にその通りになったのだから。
なんだかこわいなあ。

地震に関係ないが、
α7sとコンタックスT3抽出レンズSonnar35mm。
(F8相当固定絞り)





シグマ SIGMA8mm

|
今年のサクラのこれは拾遺。4月2日。ペンタックスK20DとSIGMAの8mm 1:4EX。



新宿ゴールデン街の火事

|
2016年4月12日、たまたま新宿ゴールデン街での火災のテレビ中継をみる。
そのときもなんとなく気にはなったが、今朝の新聞でうーむ、やっぱり。(拡大画像あり)



朝日の記者が撮影したこの位置は僕の「定点」です。
南海、という看板が右上にみえますね。なみ、と読みます。
そう、写真家深瀬昌久が階段で転倒したバーです。

同じ場所から撮影した二年前の絵が

ここにあります。

拡大画像でごらんになってください。大柄の女性がぬっと立っているあたりが焼けたようですね。
かつてこの界隈を幾度も撮影した。
宿泊ホテル=花王リセッシュの害、という事情があって、東京にはもう出れそうにない。これもまたいたしかたない。
過ぎゆくものは看過する。
懐かしさも瞬時のできごとなのだ。
ノマドとは移動しないこと、とドゥルーズも言っているではないか。
擬態をするスニゲーター。
NEX-7とアンジェニュー35-140mm3.5 LA2。
開放。M42ヘリコイドチューブを使用。



以下は「ポスト現代思想としての日本哲学」檜垣立哉+北野圭介の対談(現代思想1月号)中の部分。 

(檜垣)京都学派について内在的な話をすると、
西田の哲学のポイントは、「場所」論でもなければ「純粋経験」でもなく、「永遠の今」という問題だと考えています。
これは木村敏がよく書いていることでもあるのですが、「イントラ・フェストウム」、すなわち祭のなかを意味するような今の横溢、今の過剰のようなもので、分裂症的事態です。
永遠の今に対する西田の執着は大変なものがあります。時間的な今ということをあそこまで掘り下げ、永劫回帰に結びつけるという論点は、それこそドゥルーズがやったことですが、それは西田より三、四〇年後のことです。
そしてこの永遠の今という問題設定こそが、ヨーロッパが隠してきたものというか、ヨーロッパの近代が自由・平等・民主主義を掲げて広げてきた水平性を突き抜けてしまうような垂直性を持っています。

気になる箇所の多い対談だ。先日バスで福岡入りした際にもリュックに入れていった。
気になると完全に消化、ウンコになるまで読み返す。w
ラリュエルの「秘密」、吉本隆明の反時代的な60年代の記紀読み・・などもそうだ。
生きるということはそうやってずっと気になることを思いめぐらしながら、いまここに実存するということに相違ない。

これはバスの日、大名で撮った壁面。街にはこんなのがけっこうある。でもこれは初見。(だとおもう)
7sとNEOKINO。もう一枚は「のだ」のカップ。IDCのモノクロ現像。



α7sにE20mm2.8をつける

|
α7sにAPS-C用のE20mmを使う。
「変種」好み。こんな絵を好む。
IDC現像。補正ゼロ。





デパートのデッドスペースのような場所から下方を。写り込みなんかを気にせずにやる。w

石橋美術館

|
先日これに行ってきた。



風景画に描き込まれた細部にけっこう興味がある。
人は少ない。そのぶんゆっくりみれるが、石橋美術館はこのあとどうなるのだろう、と余計な心配をしたりする。
さてそのあと。文化センターから歩いて駅に戻り新装なった「牛車」のハンバーグを食す。
カウンタ席に誘導されてがっかり。w
まあ、出来事にはアルパとオメガがある。はじまりがあって、途中がある(ここがいちばんたいせつ)。さすればおしまいも訪れる。
ここで食すのも潮時か。ちょっとさびしいがいたしかたない。





α7sとNEOKINO
石橋美術館中庭にて(上)。牛車のハンバーグ(下)。IDCノーマル現像。補正なし。
NEOKINO、すごい。w

小串とまと α7s+E20mm

|
当地では有名な小串とまと。
つてを頼って地元から取り寄せる。
α7sとE20mm2.8。周辺は翳る。

これは4月4日。医療センター。α7Rエミール・ブッシュNEOKINO。



駐車場から臨む。造成中の土地。轍。奥の桜。



散る花。



4月2日の朝。α7Rエミール・ブッシュNEOKINO。







キヤノンEF 16-35mm2.8

|
今年「蕾作家」としてデビューした。w
4月4日現在は「散り盛ん」状況。
来る日もくるひもレンズを変えては出かけたもんだ。
なんせ蕾から満開までだからゆうに10日間はある。満開の一本桜をEF16-35mmで撮っておこう、と思っていた。
実際やってみると絵になるのは少ない。でもまあ一本だけこれは4月2日の夕方。α7R。



色合いが違うが同じ日。



郭允のレンズ

|
郭允(カクミツル)。朝日新聞社のカメラマン。
オールドレンズのぐるぐるぼけがでてます。
郭允の絵にはこのテの古いレンズが意図的に使われている、と推測するが違うかな?


(NEX-7/35mmOSS)
4月1日。ロシア製ジュピター。Jupiter-12。35mm2.8。ライカLマウント。
雰囲気のあるレンズ。α7Rでやると周辺に少しマゼンタが。







眠れず。しょうがない。4月2日から新形式で始まる新聞小説、
綿矢りさ=「私をくいとめて」それを読む。
そして1時半(深夜)ころ、暗室に紙を貼る。
NEX-7とE35mm1.8OSSで、ポップアップ内蔵フラッシュを使いF8で撮影。
(自然光みたいでしょう?)



絵は、わたせせいぞう。「ハートカクテル」の。なつかしい。もう彼も70歳。
朝日デジタルでは色付きの絵がみれる。
今2時半。w

第1回を読みたい方は拡大画像があります。

ここです。

リコーGR1 抽出レンズ

|
これは4月1日。α7RにGR28mm抽出レンズ。(F11相当)。
周辺がマゼンタになるので、SILKYPIXのハードモノクロで遊ぶ。







屹立した(といえばオーバーか)一本の桜っていいなあ。
満開になったらキッチュなレンズを使う、と決めていた。
4月1日。第一弾。α7sとコニカRevio抽出の25mm。IDC現像。補正なし。







はじめっからトイ風の写りになる。

さて、「現代思想」4月号=教育サバイバル。
読み始めて気分が悪くなる。
2分の1成人式!なんだそれは?
初めて知った。こんなことを恥とも思わぬくらい学校はブラック化しているのだ。
柔道事故、組体操問題、強制部活動顧問・・
ああ、もうこのホン捨てよう。カラダに悪い。w

このアーカイブについて

このページには、2016年4月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2016年3月です。

次のアーカイブは2016年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.01

photo pages

photos

地上の夜の天使たち