中村哲という人

|


(NEX-7/E2.8/20 F3.5 ISO640 -0.3EV/Photoshop CS5.5)

 以下は「ペシャワール会報No.116より、中村哲氏の報告(抜粋)

 /////二〇一二年度を振り返って/////

 二〇一三年九月にぺシャワール会、翌年五月には、現地活動三十年を迎えます。
 かつての青年医師は、初老の工事現場監督となり、この間のめまぐるしい変転を思うと、波澗万丈とはこんな事をいうのかと不思議な気がしています。
 めまぐるしい動きにも拘らず、一貫する縦糸は、天・地・人の構図の中で「自然と人間の関係」を問い続けることだったような気がしています。
 医療現場、河川工事、農業に至るまで、このことは変わりません。
 大きな転機が何度かありましたが、最後のものは二〇一〇年八月の大洪水でした。ごみクズのように流されるはかない人間の営みを見ながら、思うところがありました。それまで、人の都合で自然を眺める未練がましさを拭えませんでしたが、自然の摂理から人を眺めるようになってきました。
 人は大自然の中で、身を寄せ合って生きています。そして、人もまた自然の一部です。このことを忘れると、私たちの考えは宙に浮いてしまいます。科学技術で自然を制御できると錯覚し、不老不死の夢が叶うかのように考える。目先の満足のためなら、暴力も厭わず、生死さえ軽く考える。生かされている恩恵を忘れ、暗い妬みや不安に支配される ―― 現地で見ていると、大は戦争から小はいじめや自殺まで、この錯覚が影を落としているように思えます。
 アフガニスタンの現場から見る限り、時代は明らかに一つの破局に向かっています。人がこの巨大な錯覚の体系にとどまる限り、希望はありません。希望を演出することはできても、本当ではありません。
 干ばつ対策に奔走した立場から見ると、日本ほど豊かな国土に恵まれた国はありません。敗戦直後、飢餓から立ち直らせ、戦で傷ついた人々を慰めたのは、郷土の山河と自然でした。その恵みによって生かされてきたことは、学校で教えられませんでした。おそらく、郷土を築いてきた祖先たちは、このことを知っていました。
 株価や経済成長率は、恵みを語りません。武力は、郷土や国民を守りません。三十年間の日本の変化を回顧すると、哀しいものがあります。
 「身を寄せ合う」 とは、人が和し、弱者を労わることです。和して同ぜず、ここに積極的な価値と希望があります。平凡ですが、これが三十年の結論です。
 現地活動はなおも続きます。「緑の大地計画」を以て日本の良心の気力を示したいと思います。三十年の支えに感謝します。(引用終り)

 人は信じられないほどの力を出して事物に挑戦する。たとえば冒険家がそうだ。芸術家にもそんな人がいる。
 中村哲氏もある意味では冒険家・芸術家として成っていったのかもしれない。かのアフガニスタンで30年前から(1984年、といえばフーコーが逝った年だ)現地活動を続けている。余人には到底マネのできない命がけの業(わざ)だ。詳細は検索してください。

このブログ記事について

このページは、が2013年7月19日 15:56に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「自己への配慮=エピメレイア・ヘアウトウ」です。

次のブログ記事は「NEX-7 E2.8/20」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01

photo pages

photos

地上の夜の天使たち