2011年9月 Archives

ベン・ハー

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『古代ギリシャ展』でオリンピアやアスリート関連の
展示を見ていたとき、映画『ベン・ハー』を
思い浮かべた。
ローマ時代の戦車競争もギリシャ時代と
たいして違わなかったんではないか。

ギリシャの時代、アスリートたちは裸で競技したが、
戦車競争は例外的に衣服をつけたらしい。
いわゆる「競馬」もあったようだ。
競馬は戦車競争の後にやるので、地面が荒れて
怪我人がでるくらい大変だった・・てなことを
『古代ギリシャ展』で知る。

ローマ時代は、おそらく『ベン・ハー』そのものだった、
と思う。あのイルカも史実らしい。
それにしても映画のセットは半端じゃない。
CGなんてない時代だからねえ。

その『ベン・ハー』をエンコした。
ジュダがメッサラを打ちのめす戦車競争のシーン。
あまりにも有名な場面ですね。
勝利してポンテオ・ピラトの祝福を受けるところまで。
19分の長丁場です。
(なぜか音声が出ません。調査中。)

音声解決。その備忘メモ。
TSファイルそのものはWindows Media Player で
音声付で再生できる。
が、これをTMPGEnc 4.0 XPress で
エンコしようとすると「音声データがありません」
となるのである。深夜までハマる。
BonTsDemux で映像と音声を分割した。
これで、拡張子WAVのWAVEサウンドが生成された。
映像も時間表示が少し変だが
ムービークリップができる。
TMPGEnc にこのクリップを指定すると、
音声には自動的にWAVEサウンドが参照される。

上野、でのこと。
国立西洋美術館の常設展。カメラが使える。
驚きました。ただし許可されない絵もある。
ストロボは使えません。
このことに会場内で気づいた僕は、一考を案ずる。
薬を飲み忘れて気分が悪くなった。
ロッカーに置いてあるので、いったん出て
再入場させて欲しい・・。「いいですよ」。
で、ロッカーから薬ならず、カメラを出してきた。(笑)
嘘も方便。
それにしても何時からこうなったのだろう?

セガンティーニが入れ替わっていた。場所は同じ。
タイトルは不明。写真にも映り込んでない。
35mmなので歪みがある。
拡大画像あり。


もうひとつ。
「マトリョーシカ」上野丸井店。


これはワンプレートランチ(確かそんな名)です。
アルカリイオン水がボトルでついてくる。
ピロシキもつぼ焼きもサラダも、みんな旨い。
うん。あっさり、くどくない。
ロシア通の友人にもメールで報せた。
新宿とか恵比寿にもあるようだ。
関西にはありません。

今日のパセアルセ

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今日のパセアルセ(pasearse)

いつもの土手を歩き始めるが、
道に毛虫がうようよ。踏み潰されたのも多い。
ウラジロの葉を喰う虫がいる。
ここは今日は歩けない、と思う。
多くの人は気にするふうでもなく歩いている。
だが僕は毛虫アレルギー。よって踵を返す。

さて。そこから思いをめぐらせる。
もともと「散歩」には作用者と受動者の閾はない。
僕のイメージは毛虫に占められ、咄嗟に向きを変える。
そういうことだろう。
イメージ(イマージュ)の中で僕は作用者でもあり、
受動者でもある。そこでの主体(僕)は、主体としての
判断をして、身体は歩きの方向を転換する。

イメージの中で主体を獲得している。
主体の中に散歩のイメージがあり、それに呼応して
身体が運動しているの「ではない」。
この日の散歩の途上に生起した事実は、それを物語る。

同時に次のことが言えよう。
身体と精神が並行して運動していることである。
身体、についてはおわかりでしょう。
このからだ、形相です。
スピノザ的に言えば「身体の観念」が及ぶ形相、
ということかな。
精神は、まあ、観念でもいいし、思惟でもいいでしょう。
ここで厳密にすることはない。
だからイメージ、でもいい。

ふたつめ。
身体は表象されるもの、身体として刻印されたもの、
とスピノザはいうが
僕は非十全だから少し違うように感じるのです。
身体には秘密がある。精神にも秘密がある。
身体の秘密はまず身体によって隠されている。
また身体の秘密は精神によっても隠されている。
同じように、
精神の秘密はまず精神によって隠されている。
また精神の秘密は身体によっても隠されている。
そのように思う。
さまざまな属性には秘密のにおいがする。
パラドキシカルな継起、変様もそうだ。
そのような結節点において自己の構成を果たしている。

みっつめ。よってパセアルセは
オートマトンのある種の概念と似るかもしれない。
定かではない。
「十全な観念」(スピノザ)をもてないから、
秘密の匂いに今日も惑うのだろうか。(笑)
仕方ない。それが実情ですから。
「内在の平面」とドゥルーズがいうものが
ここでも稼動していることは間違いない。

(注)パセアルセは、ジョルジョ・アガンベンが
『絶対的内在』の中でスピノザにある概念として
示したもの。「自分を散歩につれてゆく」。

出来事

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ドゥルーズは何よりも「出来事の」思索家であった。
と、言ったのはデリダだ。そこでデリダは『意味の論理学』、
その中でのブスケに触れている。
第21セリーの「出来事」をさしている。

ぼくはここのところ、サイズA1の職人的プリントアウトに
熱中してきた。その表現は、行為は、やはり「出来事」で
ある。起点はあるように思えるが、それはここブログ表象での
言いにすぎない。触発されるからには僕に内在しなければ
ならないなにものかが介在する。

誕生と死のあいだが生なのではない。現働たる生は常に
変様に見舞われる。流れる現働が生であり、それもまた
生の継起にすぎない。
同じようにひきつった職人的プリントアウト!(笑)にも
起点があるかにみえて、それはそうではない。
僕に内在する閃光に亀裂が入り身体がとらえるのだ。

東京都写真美術館や福岡三越が招来の契機としても、
しょせんはちいさな外在にすぎない。
触発を受け僕が職人に「なった」のだ。

「出来事は、到来することの中で、把握されるべきもの、
意志されるべきもの、表象されるべきものである。」
『意味の論理学』(小泉訳)

A1ディスプレイ

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とはいえ、160dpiの1枚ものを
実際に試さぬことには落ち着かなくなった。
夕方五時過ぎに、プリントアウトに出かける。
結果。前記事の「推定」で万事オーケーだ。



I'm proud. というところです。
見せてあげたいくらい。(笑)
ひとつふたつ、気付きを追加します。
SILKYPIX Developer Studio Pro 5 で現像しました。
しかしPhotoshop CS4 のCameraRaw も全く遜色はない。
むしろ僕の好みはこちらかもしれぬ。
SILKYPIXの場合も、現像は詳細設定で160dpi にする。

処理はPhotoshop CS4 で。
また、カンバスサイズでカットする際には、
「画像の再サンプル」はチェックを入れたままにする。
チェックをはずすと解像度は上がるのだが、
ややこしくなることもいくつかある。

トーンカーブで調整した。アンシャープマスクだが、
以外や75です。作業は100%スケールの画像で
プレビューで確認をしながらやるべきです。
大判でも160dpiですから、かけすぎは禁物。
ともかく見事なプリントでした。

ただしロール紙使用時のPX-F8000のセンタリングですね、
これがどうも中心にこない。下方が5mmほどしかない。
(天と左右は20mmくらいなのに)
PX-F8000の仕様かもしれぬが、研究の余地がある。

A1ディスプレイ

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玄関の壁に吊るしたものを撮ったので
ストロボの光、広角の歪があるが、そのまま。


出力センターで、A1で打ち出したものを、
本日入荷の「イレパネ」というものに入れてみた。
まあ、ピンで留めるより見栄えはいい。
贅沢いわず中身で勝負ならばこれで写真展も可能。
原価:プリント費用込み3230円。
コストパフォーマンスは抜群。
妻に頼まれ、庭の花をちりばめて、A1サイズに
パッチワーク風に収める。

827*580 が窓面のサイズ。これに数ミリ加えて
作画しプリントなさるがいいでしょう。
1枚ものはまだ試していない。が、
以下のようにするとよいのではないか。(推定)

EOS Mark2 クラスであれば、
Adobe RGB (1998);16bit;5616*3744 160ppi で現像する。
幅891.54 高さ594.36 となるはず。
パネルを生かすならばPhotoshopのカンバスサイズで
これを高さ835*585につめる。
横の6cmほどのトリミングはつらいが、
いたしかたない。
流れはこうなるでしょう。







いよいよ終わりますね。(25日まで)
『大英博物館 古代ギリシャ展』(国立西洋美術館)
こちらも『空海と密教美術展』同様、大混雑。
電車並みだった。
全リストをPDFにしています。


それとこちらは終了したが、茨城県近代美術館の
『輝く女たち』。水戸は震災の爪あとを感じました。
美術館周辺も。それに弘道館は修復のため閉鎖中でした。
同じく全リストをPDFに。
やなぎみわがあったりして。うん。


帰りに我孫子で電車が3時間止まった。
交通事故。ニュースで知ったが、
78歳の婦人の四駆(!)が事故を起こし、横転して
線路内に飛び込んできたそうだ。本人は軽症。
仰天ですね。これが旅の最終日だったら、
おクニに帰還できなくなるところだった。


これは水戸の小林古径だが、つげ義春がアタマをよぎった。
ワシントン ナショナル・ギャラリー展。
新国立美術館。まずは表。


次なるは裏面。


さらに出品目録の全リストをPDFにしています。
以下の画像にリンクしています。4ページ。


なお、同展は現在、京都市美術館でやっています。
11月末まで。
PX-F8000のインクは実に単純。
4色だ。(Blackは選択)


ミスリードを受けて失敗しての数日後、
再びチャレンジ。これが正解です。


PX-F8000_F10000 Pro Photo250(G) を選択しています。
これがロール紙の厚手光沢用のプロファイルです。
くれぐれもお間違えなきように。
単票用は別です。ロール紙でも絹目や半光沢は別です。
色は文句なし、です。
岩合さんが出した色など、比較になりません。
真実。マジです。

アーティスト諸氏に呼びかけます。
努力を惜しまず、極め尽くしましょうぞ。(笑)

鬼海弘雄と江成常夫

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東京都写真美術館では
鬼海弘雄と江成常夫をみる。
まず、鬼海。定番ともいえる『東京ポートレイト』。


あえて説明を省きます。知る人ぞ知る、ですもんね。
裏面。


風景写真は初めてみる。どうってことない場所。
だけどこれが僕の好みで、いい。

江成常夫。『昭和史のかたち』。江成さんとは、
一度ハガキをやり取りしたことがある。


内容のほんの一部「鬼哭の島」をリンクしてます。
重いテーマです。しかも美しい。

ふたつの写真展は、ともに入場者は少なく、
まわっているあいだには
ひとつのブース(仕切り)に僕ひとり、てことも。
しかしそれぞれから何かを手渡され、会場を後にした、
そのような気がする。

折りしも今日、天神の三越にて、
岩合光昭の写真展をやっていた。入る。
最終日とあってすごい人出だ。
ご本人が写真集にサインをしていた。
数十名が並んでいる。若い人が多い。
「最後尾」のプラカードが立つほどだ。
レジにも40人くらいは並んでいる。すごい。

僕は岩合光昭のシャシンにはほとんど興味がない。
デジカメの絵だから、プリントをみたかったのだ。
半切くらいから畳1枚半くらいのものまで、
100点はあったかも。
プリントはノイズが多くて、1、2メートル離れて見ないと
見れたものではない。(ま、サイズが大きいからね)

ありえないシーンを目撃する。
岩合氏のプリントを額つきで予約販売する。
全倍(A1に近い)が送料別で18万円。
それはないでしょう。(笑)
いやはや、アーティストにもトンデモ人間がいるんだなあ。
しかしだ。それに群がるヒトがいるわけでして。
需要があるからマーケットが成立するのです。
世の中どうかしているよ、ホント。

出来事

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東京のホテルでのことだ。
大分県の温泉地で女性看護師が殺害された事件の犯人が
逮捕された、というニュースをテレビで知る。
1年前に僕は「出来事」という記事を記した。
この事件はずっと気がかりでいた。
ニュースの内容におもわず息をのむ。

犯人の男も同じころ神奈川県から出身地の大分に
向かったというのだ。知り合いを訪ねている。
天体の衝突のような「出来事」=萌芽はすでにここに
あるのか?(小泉義之)
カエサルの暗殺は何時完遂したのか?
紀元前44年のどこに起きたのか?(上野修)
それらの問いと同等のものです。

女性の「死」のどこかに内在的で、微分的な
いくらかの要因があるのだろうか?
男との出会いは、光を受けるのと同じだ。
外在であり衝撃の大きいスカラー値だ、と思う。
一方、男には人を殺める内在的なベクトルが、
触発されて暴力へと変様する情動が、
もともとあったといえるのだろうか?
意図をもって秘湯付近をうろついたとしても、
彼女と出くわすそのことは同じく外在ではないか。

スピノザはクモの合戦をおもしろがった、とある。
ハエをクモの巣に投げ込んでは戦うのを喜ぶのだ。
ハエにしてみれば、おのれの死は外から到来する。
見よ、死はこのように来る。
スピノザはそう言いたいのだろうか?
あるいはドゥルーズは。

人と人が、大分のある地点で「衝突」を果たす。
その「出来事」も何かしらの効果ではある。
が「死」を受肉した個体は自己への効果を
見届けることはできない。
ジョー・ブスケが、自らの「傷」を「運命」とみる、
そのようになすことはできない。
スピノザについての記事を多く書いてるなあ。
東京にもドゥルーズの『スピノザ 実践の哲学』を
バッグに入れていった。
そこで、
スピノザに興味があるお方、僕の選択はこうです。

1.スピノザ 『エティカ』(工藤喜作・斉藤博 訳)
(中公クラシックスW48)

2.上野修 『スピノザの世界 神あるいは自然』
(講談社現代新書)

3.ドゥルーズ 『スピノザ 実践の哲学』
(鈴木雅大 訳 平凡社ライブラリー版)

4.ドゥルーズ 『批評と臨床』の第17章
スピノザと三つの『エチカ』(守中高明・谷昌親 訳)

これらにはミスリードはたぶんないだろう、
そう確信しています。(笑)

空海と密教美術展

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東京国立博物館 平成館の
「空海と密教美術展」です。


こんなに並ぶのです。入館まで30分。
平日でこうでした。日傘は貸してくれます。
こんなことは「モナリザ」以来です。
40年ぶりかな? うーむ。


「国宝・重要文化財 98.9%」のうたい文句が
左隅にご覧できます?
まあすごいものでした。
東寺(教王護国寺)のものは知っていましたが
他はほとんどが未知の世界でしたね。
上掲の画像をクリックすると4ページ分の画像PDFを
作成してますので、どうぞ。画質は落としています。

更に、詳細な「出品目録」は下記のサムネールに
同様にPDFをリンクしてます。
「圧巻」とはこのことでしょうが、
まあ、お寺さんのお堂で静かに見たいですね、本音は。
なにせヒトは3重垣でした。


PX-F8000 ICC プロファイル

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PX-F8000でPhotoshop使用してのカラー処理を
なさる方、どのプロファイルを使うか迷いませんか?
(大判ですから、ごく少数者ですよねえ。)

「アドバイザー」=「インストラクター」ふうの
ヒトからミスリードを受けた経験はありませんか?(笑)
えっ?そうなの?、と迷いながらも誘導されます、結果的に。
出力センターでとんでもない「指導」を受けないで済むように
以下にエプソンのサイトを記述しておきます。

実は、僕がミスリードを受けて「何度も」失敗したのです。
よって、次回出力する際に検索なしで資料を
引き出すために「備忘メモ」として記事に仕立てるのです。
いやはや。しかし困ったものです。あの方たちは。(笑)

PX-F8000/PX-F10000 EPSON 純正用紙用ICC プロファイルの対応用紙





上のスナップショットはミスの事例です。
PX-F8000_F10000 Pro Photo250(G) を使うべきところを
PX-F8000_F10000 Photo Paper(G) を選択させられた。
ロール紙はPro Photo250(G)を使うべき。

フジタツグジ

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僕にとって藤田嗣治は特別な存在であり続けた。
キキの埋葬に最後まで付き添った男。
日本人=同業の画家に妬まれた男。
日本芸術院会員を辞退した男。
国籍を捨てた男・・・
と、若い頃から特別な情動を駆使してみ続けてきたものだ。
ツグジの絵があればできる限り出向いた。

十数年ぶりに、図録を買った。
ポーラ美術館とフジタの記念に。
ポーラ=フジタらしいおしゃれな図録だ。
僕の「純粋記憶」はこの図録を手に取るたびに
このあと幾度も幾度も更新されるのだろう。

そも「記憶」とはいったいなんだろう?
フジタを思えば、高校時代の画家志望の男のことや
ゴッホとゴーギャンの逸話をうわごとのようにする男、
エコール・ド・パリの作家たち、とりわけモジリアニを
好きだった女のことなどが浮かんでくる・・・
「記憶」がここに再現前する。
再現前?いやいやそんな表象でまとまる感情ではない。
ひとつひとつが入り組んで、陶然となる。
僕の思い入れ満載の作家なのだ、フジタは。


(クリックで横1800の拡大画像)

さらにEOSの最大画像、横5616がここにある(笑)

コナトゥス 申命記

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主は荒れ野で彼を見いだし
獣のほえる不毛の地でこれを見つけこれを囲い、いたわり
御自分の瞳のように守られた。(申命記32章10節)

あたかも瞳を守るように「自分の自由な本性」を守る。
それがスピノザから学ぶ僕固有の「コナトゥス」であると思う。
今から遡れば25年位前のことだが、
さる同僚女史から「あなたはとりあえず自分を守るからね」と
おだやかに「直言」された経験がある。
他人にはえてしてこのように他者(僕)が見えるわけです。
僕の「コナトゥス」は生来のものでしょう。
スピノザの「実体」「属性」「様態」の概念をみれば、
「コナトゥス」は各個人に、自然に配分されていることがわかる。
つまりあなたも情動的に「コナトゥス」に従い、
自己の構成関係を生きている。間断なく。切断することなく・・
思い出話を付け加えれば、女史はさらに
「卒業式はすべてをきれいにするのね」と、のたまわった。
「学校の魔法」を彼女も知っていたのですね。(笑)

私たちは生きる。そして死ぬ。
死ぬことより、生きることが眼目であることは言うまでもない。
どのように生きるかをスピノザ的に認識することが
今日的にはきわめて重要だと僕は感じている。
そのうえで、ドゥルーズに倣い、情動を構成して生きるすべを
イメージするのです。アレンジメント(アジャンスマン)です。
すなわち「リゾーム」でしょう。
非暴発のしかしパラドックスを含む「リゾーム」です。


記事に無関係の絵。
大東京。六本木ヒルズより。正面が青山霊園。
右に国立新美術館。奥が御苑、神宮、そして雲の下は新宿副都心。
(横1536の拡大画像あり)

マイペース 「東京」

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機内で「翼の王国」を見ていた。


9CHに「オールナイトニッポンClassics」というのがある。
かつて「あんこう」と呼ばれた斉藤安弘だ。
ハーブ・アルパートの例のオープニング。
17歳に戻った気持ちで補聴器にレシーバを押し当て、聴く。
中に「東京」がある。懐かしい。
曲名がそのもの地名というのは珍しい、とあんこうさんが言う。
確かに「東京砂漠」とか「よこはま・たそがれ」だもんね、普通は。
「東京」=マイペース=1974年らしい。
川崎市中原区の苅宿小学校そばに暮らしていた。
東横線元住吉ですね。いやはや。
じゃ、せっかくだからお聴きください。

エチカ 第五部

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スピノジストならばみな『エチカ』を知っている。
ドゥルージアンはどうか?必ずしもそうではあるまい。
というのもドゥルーズ発明の(?)概念に気を奪われるがゆえに
たとえば「内在平面」、たとえば「リゾーム」に差し向けると
『エチカ』どころではなくなってくる、というぐあいで。

しかしとりわけ「内在平面」、あるいは「リゾーム」ですら
ドゥルーズに対するスピノザの仕業だとしたらどうだろう。
僕はそうだと思っているのですがね。

『エチカ』第五部はスピノザが後になって到達した成果である、
とドゥルーズは言っている。
では、第五部の定理四をおみせします。
OCRをしないでスキャンしてものをまるまる1ページ、
画像です。サムネールから拡大画像を「読んで」ください。
(工藤・斉藤訳)


定理四二まで続く第五部のはしりです。
自由でかつ幸福になるための第五部といわれている。

身体は変様する。感情という観念によって変様する。
しかし衝動や欲望が「なみはずれた」暴走へと突き進むことを
避けうる能動的な観念がある。(変様能力)
私たちが「出会い」のなかで自己を構成してゆくさまを
想起してみてください。私たちは「あいだ」にいて揺れています。
触発し、触発されるが「外部の原因を遠ざけ」たという経験は
あなたにもあるでしょう?
そんな構成関係こそ「コナトゥス」にほかならない、と
僕はひそかに(経験的にはずっと)思ってきました。
身体の変様。自身スピノジストのドゥルーズが
身体のアジャンスマンとしてこれに着目しないわけがない。

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