2010年3月 Archives

器官なき身体

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浅田彰のちびくろサンボのついでだが、
ドゥルーズ=ガタリ自身に「器官なき身体」を
語ってもらおう。それは「卵」なのだ。

『千のプラトー』第6の中。
とてもわかりやすい箇所。
サムネールをクリックして大画面!で
じっくり読んでみてください。
(横1600です。D/Lして読んだがいいかも)
枠内最後は精神分析の批判です。


脱地層化、は脱領土化と同じです。
『千のプラトー』面目躍如の箇所でしょう。

「人間は自分も含めて終わってる」
と僕は思っている。「自分も含めて」です。
30代後半からは確信=口癖となった。
おなじことを小泉義之が
『生殖の哲学』の中で言っている。
同著を昨年2度読んだ。

ドゥルーズを知る人は『千のプラトー』のなかの
「動物になる」を知っている。
浅田彰のせいにするわけではないが
『逃走論』に Corps sans Organes の記述があって
そこに、ちびくろサンボのハナシが出る。
虎がぐるぐる回ってバターになる・・あれだ。
「器官なき身体」をちびくろサンボの
虎バターに譬える浅田彰。
いやあ、いいね、これ。当時はそう思った。
これが僕のドゥルーズ解釈の原体験となった。(笑)

このトリッキーな譬はしかしたとえです。
「動物になる 」は比喩ではないのです。
ドゥルーズ(正確にはドゥルーズとガタリ)を
さらに推し進めて、小泉義之は
終わってしまった人間に代わる「生物」を
「生殖技術的」に待望する。
これはつまり
人間を裁定する「生物」を待望することを意味する。
それは人間の審級、人間の審廷を超える存在だ。

おわかりだろうか?
交雑体=ハイブリッド=モンスター=エイリアン・・
その種のものを(まさに「胚種」です)待望する。
勇気を持って交雑体を産む女性があらわれることを
期待すらしている。
そして、そのようにして出現した者と
人間は共存できる、と考える。

そんな思想家がかつて日本にいただろうか?
いない。ここまで言い切った思想家は小泉義之をもって
嚆矢とする。それも世界でだ。
身体への配慮を乗り超える、ということも
そんな希望とともにあるような気がしてならない。
私が死んでもほかに人間はいる、ではない。
私が消えてもほかに生物はいる、なのだ。
そんな希望が残余としてあるからこそ、
終わってはいても人間は生きているのだ。
一読してみることをお薦めします。

メダイのレシピ

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メダイ(目鯛)という魚をご存知?
知人からいただいた。
当方では初めて経験する。
2キロは超えてるんじゃないかと思われる大振り。
脂のりもある。
まず刺身で。これはクセのない淡白な味。
カルパッチョ風に食べるともっといけると思う。
次はムニエル。これもいい。上品だ。
塩・胡椒・ワインでシンプルに。オリーブ油で。
(拡大画像あり)↓

最後はあら煮。いやこれには参りました。
鰤みたいなディグニティ(笑)には欠けるが、
気品に満ちて厭味がない。うまいのですこれが。
(拡大画像あり)↓

いやはや恐悦至極の夕食でした。
やはり、もつべきは少なき友です。(感謝)


////追加記事////
後日、残りを西京味噌漬けで食しました。
こちらも大変よろしかった。
(拡大画像あり)↓

M520-U 確定申告

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PCをリカバリしてHITACHIのカードを
接続して再設定をするはめになった。
その備忘メモ。

e-Taxによる確定申告は、てっとりばやく
あなた自身が税務署に赴き
操作マニュアルをもとに実地で行うがベスト。
職員がフォローしてくれます。

僕はそのあとに次期以降のためにM520-Uを
買い、住基カードも作成したわけでして。
ここでの記事はリカバリにともなう
再設定時のメモ。でも参考になると思います。
手順は以下の通り。

1.JPKIAppli02-03:
公的個人認証サービス 利用者クライアントソフト導入。
2.e-tax関連ではまず:cersetup:
ルート証明書インストールを実行。DOS窓が開く。
3.TrustedSiteSetup:
信頼済みサイト登録ツールをダウンロードし、
信頼済みサイトへの登録。
4.web_ntasetup:
e-Taxソフトのインストール。
e-Taxソフトを起動すると利用者識別番号や
暗証番号を求められますが、
いったん税務署実地を済ませれば
その際決定されます。それを使います。

来年度のチャレンジ、御武運を祈ります。

dy/dxはよくわからない

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長崎大学写真部の卒展に出向く。
木場インターからリムジンバスで。
浦上駅前で下車。早く着きすぎた。
よって彼岸の墓参り。
・・・・・
長崎新聞社の1Fギャラリー。
前回来たのはいつのことだろう?
一通り(念を入れて)みたあとの1時間の顛末を。
僕 「卒業式はもう済んだんですか?」
4回生 「いえ、まだです」
・・・すべてはここから始まった。(笑)

爺さん=僕のルプレゼンタシオンが開始。
とめどもなく。いかん、いかんなあ。
たまたまI高校出身の学生さんがいて
爺さん=僕のよどみない暗室噺が現前した。
「全日写連風のシャシンはおもしろくなくて・・」
というハナシ=噺を展開するいとまもあらばこそ、
僕よりもっと年配風のお爺さんが
『ワタシ、県展の審査員してましたけど何か?』
という調子で参入なさった。
こんな悪いタイミングもあればあるもんだ。
いやはや、爺さん=僕へのこれは天罰じゃ。

自己慰安できる救いがないわけではない。
その爺さん=県展も、僕にまけず劣らず
元気溌剌、自己言及的な
表象=再現前化を開陳してきた。
「東松照明」を出してステータスの補強と
自己同一化を前面に。有無を言うな。(笑)

やれやれ。さんりんぼうじゃねえか?
で、まあ早々に帰ることにした。(笑)
もっとも遭遇したくないカテゴリの御仁に
わざわざ会いに行ったような儀式になった。(笑)
以後は写真部の暗室でみさせてもらおか。
ウチの暗室用具、これを大学の写真部に
譲りたい、40mm 50mm 63mm 90mm の
引き伸ばしレンズのライナップ。
フットタイマ。マスコカラータンクpro・・
うんぬん・・ヤフオク出すのがメンドクサイ。
されど、4回生とはその「詰め」も なせずに帰還。
事後談はあるか?ないだろーねぇ。

ドゥルーズは
「直観は差異的=微分的な関係=比 (dy/dx) のために
自分から消え去る」
と言った。
直観は去り、
むき出しの不気味な
しかしまぎれもない固形のような怪物に
第三の時間が訪れ、出来事が勃発したのだった。
dx はx に対して何ほどのこともないのに
どの初動が比をもたらし出来事となったのか?
これらの顛末の初動・初発はどこなのか?

K20D 43mmF1.9Limited

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K20DはいわゆるAPS-Cタイプだが
近頃これに43mmF1.9Limited をつけて
歩いてみたりする。

久留米=池田補聴器での用件が済んだので
天神に出向くことにした。
駅に行くと特急が入って来る。ついてる。
リベンジ「あつ賀」さがし、ができそうな予感。

薬院で降り、ビックカメラで
ネットに接続しているPCを探す。(苦労)
「あつ賀」で検索、一発ですな。有名なんだね。
QRコードをF906iに読み込み、
Bookmarkする。

渡辺通り1丁目、ホテルニューオータニの
脇の通りにある。
入った。ん?雰囲気が変だな。
かつのにおい。
カウンター席について、
「えーっと、お鮨もあるんですよね?」
「それは隣です」
いやはや。仕切りなおし。

で、念願のお隣「あつ賀」。
ドアを開けると、おーっいっぱいだ。
カウンタで肉厚ネタのお鮨を食しているのが
見える。ところが・・・
案内のおばちゃんがあらわれて
今日はもういったん店を閉めるので
すみません、またきてね、と。
13時30分前だったが入れないのだ。
しかたない。3度目の正直を期待しよう。

表に出て博多駅行きのバスに
駆け込み乗車した。
「すしおんど」で紛らわそ、と。
(適応規制の代償、ですな)
が、すんなり収まらない日だ。
1区間乗ったの柳橋市場で
前の席にいたおばあちゃんが、
腰を曲げてえっちらおっちら降りようとしている。
そうだ、おいらも久方ぶりに
「柳橋食堂」で海鮮丼でも食べよう、となった。
(あくまでも代償に固執)
100メートルも乗ったかと思うと
いきなり降りる爺さんである。
・・・・・

その後
春吉から西中州まで歩いた。
この界隈はみるみる変わってゆく。
新旧のきわだった玉石混淆。
APS-Cに43mmだから路地縦が多くなる。
そして相変わらず
みなさんにはちっともおもしろくない代物。

「私的思想家は」今日も午前1時半には床を出た。(笑)
(床についたのとは違います)
前立腺が悪いから一度寝付いても起き出るはめに。
吉本隆明も米長邦雄もそうに違いない。うむ。
そうそう、
週刊誌でその米長邦雄は
「まだ使えるから手術をせず、放射線治療を選ぶ」
と言っている。さすがエロイ65歳。

なんのハナシだ。地平を変えよう。
僕が一番好きな聖書の箇所はタイトルにもある
「ヘブル人への手紙」のこのくだり。
高校時代の太宰治による大正版文語訳の
「刷り込み」が今も生きている。
が17歳が実際に入手できたのは口語訳。
(日本聖書協会版の口語訳で)↓

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。
まだ約束のものは受けていなかったが、
はるかにそれを望み見て喜び、
そして、地上では
旅人であり寄留者であることを、
自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、
彼らがふるさとを求めていることを示 している。

チャクラが開き頭上から天に抜けるような響きがある。
この箇所を音読すると陶然となる。
ドゥルーズの「俯瞰」にも通じる、と思っている。
少々レトリックに淫したかもしれぬが
これに先立って考えたことがあった。
イエスは故郷では理解されなかった、ということ。
「人々かれに躓けり」である。
(マタイ13章:文語訳)

ヘブル書とマタイ伝のこの箇所に関しては
もう少し深遠な個体的直観を抱いている。
このことについてはいつか記そう。
現実との関連でひとつだけ。
記事にトラックバックとコメントを
はずしていることは
僕の個体的直観のあらわれ、です。

僕を知る方は
あらかじめ僕に躓いているお方だ。
当ブログサイトの記事は
shinchi hisaaki を知る方のための
それでないことだけは明らかだ。
先日ざっとログを見ていたら
小泉義之でググリ、「なぜ小泉義之か」を
読んでくれていた。
NHKからのアクセスであった。(笑)
小泉義之でよくたどり着いたものだ。
でも、これはうれしかった。

僕はずっと「俯瞰」し続けていたい。
「年賀」をやめることにしたのも
「旅人」には年賀郵便は「配達されない」(東 浩紀)
からだ。(うそ。単にメンドウだから)

写真は記事に関係ありません、ではなく
記事はshinchi hisaaki に関係ありません、
ということを言いたいのだろうか?
いや、言いたい、ということはない。
だけど記事=表象それ自体がshinchi hisaaki との
関連性ということになると、実際どうなんだろう。

いろんなバージョンの聖書をPDFで
配布しているサイトがある。エライもんだ。
ここです。

原寸画像検索

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検索恐るべし、である。
「原寸画像検索」というのをご存知か、諸氏?

ログを分析していたら
gensun-images.com からの
飯島愛、金子國義らの検索がある。で、
僕の記事で使われる画像が出る・・
というしくみのようだ。
自分でも実際に試してみた。
「新地」では
全国の有象無象の「新地町」の
関連画像が出る。
なぜか僕の補聴器(starkey p675)の画像も。

別の検索では
10枚以上が出る。眩暈がする。(笑)
うーむ。これってしょうがないのか。
もともとブログは検索が命だ。
それを承知でMT4を始めた。
YahooサーチよりGoogleのロボット検索に
期待を賭けたんだものね。
と、気休めに過ぎぬ安堵。

虹が出ていた。(拡大画像あり)


差異と反復

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ピュイサンス=累乗の力=反復と第三の時間、
これは同じ謂いではないか?

「反復の中に抑圧がある」と、
ドゥルーズは書いてある。
どこにあったか探せない。
←とりあえずコレが似てる。

Twitter の人名検索機能で"村上春樹"と
タイプしてみた。村上のイメージ写真とともに
何人ものフェイク村上春樹がいる。
30000人のフォローを抱えて
自らは一人もフォローしてないという
完璧に「なりきった」村上春樹がいる。

カレのつぶやきは
反復であり、抑圧である。
そして幾分かのピュイサンスも。
カレ自身の目下の
いちばん重要な「ハビトゥス」でもあろう。

もし僕がフェイク村上で、
同じ状況が起きたとする。
僕には「快楽」とならないのだ。
僕は10人のフォロワーに対してですら
つぶやくことの自意識に
辟易することだろう。
「やれやれ」ではすまない。
他者への配慮としての
自作自演が楽しいだろうか?

もっとも「演じる」こと自体は
ストア派のような振りができよう。
が、僕には持続性がない。
飽く。倦む。ウツになる。
コピーのような反復はウツだ。

IT カテゴリですよ。ここからは。
mifes でタグ打ちで記事を書いた。
br タグを意識しなくても
適当に右折れしてくれる。
興味ある人はソース見てくださいな。

柄谷行人・ジジェク

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↑「私的思想家」は午前3時22分には思索している。↑(笑)

(以下長文注意)

「朝日」7日の読書欄。

おちょクリック拡大で、ぜひ読んでみてください。

ジジェクについては

浅田彰の "「歴史の終わり」を超えて" での

対談を読んだだけで、僕は不知。

柄谷行人のジジェクについての評価は

どこか忘れたが読んだ。

それにしても、

柄谷行人、直観の人。

7140円もする大著!のサワリに触れず

「トランス・クリティーク」を剽窃したのが

「パララックス」だ、と言わんばかり。

と、おもいきや、柄谷の戦略が後半に。

ジジェクの脳科学と認知科学の捉え方に

注目する。

それはそうだろう。

今やヒト科の命運は分子生物学を抜きには

語れない、と僕は思っている。

コラム4段目ではこれからの展望を開くが、

まず3段目まではジジェクの「傾向」を

厳しく分析する。

・・・・・

元気です。柄谷行人。

僕は浅田彰センセより柄谷行人の泥臭さが

好きです。

よってこの書評を全面的に愛します。(笑)

(備忘メモ:font指定無し)

ヒアレイン・タプロス

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mmsプロトコルを使わないことにした。

自宅サーバーからレンタルに切り替えたのは

mms配信をスムーズに実行したい、が理由。

だけどブログ内埋め込みの

flvplayerが主流になってきた。

あえてwmvファイルに依存する必要性はない。

一番の難点は訪問者のWindows Media Player の

使用環境に左右されるということ。

Window制御の問題ですね。

で、当ブログ内の wmv を flv にエンコし直して

JW Player に切り替えるのに数日かかった。

眼痛。これらの目薬にお世話になった。↓

見事なレモンでしょう?

今年は豊作でした。

真ん中の目薬が吉本隆明が「これはいい」と言った

ヒアレイン。その左が薬価2千数百円するタプロス。

しかもタプロスはヒアレインの半量。

(容器は参天製薬の同じモデル)

僕は「プラトー虹彩緑内障」の疑いが濃く、

数年前からこのテの目薬を処方されている。

(以前はキサラタンだった)

・・・・・

ん?何のハナシだ?

ITのハナシをしなきゃ。

Microsoft のブラウザが今も主流だが

ホリエモンはGoogle Chrome を使うそうだ。

僕は両方使っているが

Chrome が8割。

メイリオはMicrosoft との親和性が高く

Chrome では使えない。

しかしメイリオを IE で指定している人には

僕のブログは行の崩れが出る。

それを全部修正した。(つもり)

こんなふうに一行を短くタイプするのもその配慮。

さて、横400 のswf ファイル。

これだってFlash Player は必要だけど。↓

差異と反復

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GT-7000Uで120dpiで読み込むとまあこんな具合になる。

血腥い闘争を回避しなければウツになります。(笑)

概念化の場面だけならこれでもいいか。

だけど例えば職場の現実存在が

闘争すればオマンマ食えない。

それどころか、はなから「連携可能な差異」を求めて

「援用」しなくちゃならない。

そう突っ込みを入れたくなるが、

まあ相手はドゥルーズだからどうにもならない。

「否定的なものから独立・・」は了解できる。

差異を弁証法的にみるな、ってことでしょう。

だけど現実存在のシゴトでは再現前化こそが

目標となることが多い。 でしょう?

吉本隆明 老いの超え方

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差別表現で物議のあった書。

ジュンク堂での居眠り本を探していて手にする。

「差別表現」箇所は削除された実物だと思う。

読んでたらホントにウトウトしてきた。

85歳の吉本隆明のリハビリ=真剣・愉快=やるねえ。

(目薬=ヒアレイン=これはいい、は微笑ましい)

50 ページあたりに、前立腺は女性器の名残りで

男も爺になると女に近くなって肥大する・・

みたいなことが書いてあった。

これは三木ナントカ先生の学説でもあるらし。

意外とそうかもね。

たまには flash しないとスクリプト忘れるからねえ。↓

鮨・あつ賀

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きょうは眠れずに不調。デパス2個でも眠れず。

年に何度かはある。

福岡行きの日。

地下鉄渡辺通駅から数分のはずの

タイトル=「鮨・あつ賀」で昼食を企図す。

が、胡乱な地図の見方のせいか、

なじみの場所だからという自信が徒になったか、

うろうろ周遊するばかり。

誰かに尋ねようにも店名を覚えていない。

住吉あたりまで来てしまった。

あきらめて博多に向かい、2週続けての

「かつ亭」のロースカツ定食。混んでた。

歩く元気がなく、バスで天神に戻る。

博多川沿いの上川端市場の火災現場がバス窓からみえた。

ニュースで知っていた。

・・・・・

今、新天町のマクドナルド

「鮨・あつ賀」を遅ればせながら地図確認。

来週は行ってみよう。

カラダがへたって今日はシャシン歩きが

できそうにない。

・・ジュンク堂でうたたねするか。

バス窓から↓

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