2010年12月 Archives

ワルツ・フォー・デビイ

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クリスマスといえば、
去年もNHKはこの時期(この日?)『大停電の夜に』を
やってなかったっけ。確かやってたと思う。
今年はTSで保存。
ハナシは実にナイーブでクサイ。(笑)
ファンタジーを超えて神秘的ですらある。



そのエヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」を
手持ちのCDから吸い出して。
もう、いたれりつくせりだなあ。



CDexというフリーソフトでwav書き出し後
「Wondershare ファイル変換! 動画&音楽 for All-Player 5」でmp3に。
映像みながらmp3を聴けますよ。
7分もあるから、豊川悦司みたいに
カノジョに電話して世間話もいいでしょう。うむ。

BonTsDemux 5.1ch

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クリスマス・イブは『僕の彼女はサイボーグ』を。
といっても、「抜いた」TSファイルをPCで
PowerDVD8=FlexScan S2100 上ですけど。

そう、『おっぱいバレー』の綾瀬はるか、です。
サイボーグの完成度を、ターミネータと比べちゃいけません。
(地震で下半身が壊れたサイボーグの)
綾瀬はるかに免じて何も言いますまい。
僕はまあ、ファンタジー + ラブロマンス派だから。

『バブルへgo』や『言えない秘密』的路線へ差し向ける愛。
『砂の器』、『絆』、『血と骨』(崔洋一というべきか)などの
血族モノへの視線と同じですな。

下のクリップは、タイムスリップして子供時代の自分に
出会う場面。隣の女はサイボーグです。
どうにもねえ、向こうに残された世界が気になる。
あなたにはそうじゃありません?
ライプニッツの「可能的世界」ってこれかな?
荒唐無稽だけど。

さてさて。この『サイボーグ』は5.1ch なのです。
これをTMPGEncでエンコしても音声がでない!
いやいや12月24日はこの技法と半日もデートしました。
結論。BonTsDemux で処理。m2vとwavファイルが生成されます。
TMPGEncでできるような記事があるので、惑ったのだ。
もうっ!。眼痛招来。イヤじゃイヤじゃ。

幇間 三木のり平

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哲学は神経学と特権的な関係を結んでいますが、
それは観念連合論の思想家を、
あるいはショペンハウアーやベルクソンを見れば
すぐにわかることです。
私たち現代人にとって、新しい考えがひらめくきっかけは、
コンピューターではなく、ミクロの生物学ともいうべき
脳生理学にあります。脳というものは
一個のリゾームであり、だから樹木よりは草木に近く、
一種の「アンサートゥン・システム」を形成し、
確率論的で、半分は偶然にゆだねられた量子論的
メカニズムをもつ。
(中略)
映画で面白いと思ったのは、
スクリーンが脳になりうるということで、
これはレネやジーバーベルクの映画に顕著な傾向です。
『記号と事件』(文庫版)

「お母さんが向こうで呼んでるよ」
少年は走り出す。
そんなシーンがあるとする。
僕たちの思考イメージは、走る少年の先には
母が待つ。さてどんな顔で?
というようなイメージを結晶させるだろう。

僕たちはそのように連合させ、生成しながら先に進む。
脳の中では、映画に出会うと同じように
現実存在を創りあげる力能が働く。
僕たちはイメージを創りながら生きているのだ。

1962年の東宝版『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』。
『忠臣蔵』はWikiしてください。
僕は小中学生の時分、映画ならなんでもかんでもみた。
時代劇、日活アクション、母モノ、特撮モノ・・
ジャンルなんてどうでもよい。
映画をみるのが好きだった。

三木のり平はセリフ覚えが下手だったときく。
『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』での幇間=三木のり平の踊り、
それとモノボケ、これがおかしい。
役者だねえ。
では、まずは東宝版『忠臣蔵』からの踊り、モノボケ。




続いては『社長紳士録』。森繁と白塗り姿で宴会芸。



CS E204エラー

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"ほにゃらら抜き"の目的で
ソニーの10年くらい前のチューナーDST-*****を
ヤフオクで競争落札。1800円也。送料1600円。
ところが日本映画専門チャンネルCh239がみられない。
10キー入力しても
E204 該当するチャンネルはありません
というエラーメッセージが出る。
Ch240とCh292はみられるのに、なぜ?

ネットで調べる。
Ch239はCS1だということが判明。
しかるにリモコンで繰る"MYプラス"には出ない。
001 002 888 とかのチャンネルが出る。
どうやら「プラットワン」など
CS開始当時の古いデータが居残っている。
3日間あれこれやったができない。
よってスカパーのサポートへ。
電源を抜く。BS800やCS160を試す・・など
1時間以上あれこれやったがダメ。
DST-*****に問題がありそうだからソニーさんへ、と。

で、ソニーのサポセンとの掛け合い。
ここでもさんざん試行するが、お手上げになった。
いったん電話でのやり取りを中断。
技術方と協議の末1時間ほどしてから
「修理に出せば対応できるかも」という電話が入る。

翌日になり自己解決。
以下はその時の備忘メモ。
E202エラーコードも出ることに気づく。
「受信できない」というE202は
「できる」という前触れなのだ、と確信。
E202のときに10キー入力ですかさず239を押す。
これを何度も何度も繰り返したら
なんといきなりCH239が映った。
そして"MYプラス"から古いデータが消え、
CH239のロゴが出た。おお。

さて。
『忠臣蔵』についてはwikiされたし。
1958年の大映版(長谷川一夫)は小学生の頃みた。
いわゆる垣見五郎兵衛なりすまし、のくだり。
ちょっと長い、6分。

鬼平犯科帳

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いまや哲学は、自己の外の非哲学的イメージと
連絡すべきであり、しかも漫然と触発を受けるだけでは
済まされない。思考の新たな「イメージ」を創るためにこそ、
哲学は哲学外のイメージへと自らを開かねばならず、
そのような「外」との関係のなかから、
新しいスタイルの創造に努めるべきなのだ。
瀧本雅志「メディア・デザインへ向けての哲学とは何か?」

TVドラマ「鬼平犯科帳」のエンディングでは
ジプシー・キングスの「インスピレーション」という曲が
使われた。
「鬼平犯科帳」についてはWikiしてください。
ではそのシーンを。

トニー滝谷

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「トニー滝谷」を久しぶりに観た。
市川準が急死してもう2年になるのか。
今回は村上春樹の「ノルウェイの森」関連で
スカパーe2!で再上映されたもの。
しっかりTS保存をした。

「ノルウェイ」は今日公開されるらしい。
文芸モノの映画はたくさんあるが、
村上春樹の作品は映画化しにくいだろう、
という予断が僕にはある。
「風の歌を聴け」の鼠も
どこか違う気がして、黙殺した。
松山ケンイチはどうなんだろうね。

「トニー滝谷」も、
最初はイッセー尾形にイメージがうまく合わず
辛抱を強いられた。
しかし総合的には僕には良いものになった。
市川準のチカラだと思う。
クレジットを含むラスト5分をFLVで。
坂本龍一の単純なノート、それがかえって
イメージをもたらす。シンプルな強度がある。
「トニー滝谷」経験者にはわかるハナシだと思う。

あいだ 記号と事件

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事件をとらえることができるのは芸術であって
メディアではない・・・と前置きしてドゥルーズは言う。

ふたつの点のあいだに線があるのではなく、
線が何本も交差したところに点があるわけですからね。
線が一定することはありえないし、点のほうは、
あくまでも線の変曲であるにすぎないのです。
だから当然、重要なのは始まりでも、終わりでもなく、
あいだの部分だということになる。
『記号と事件』(文庫版)

ドゥルーズのこの言は至極もっともだろう。
このことで小津やアントニオーニを参照する、僕の言う
「ドゥルーズの配分」は正当といえます。

映画『氷点』(1966)の詳細についてはWikiしてください。
僕は森光子という女優のことは何も知らないが、
陽子の自殺未遂後の、このシーン。
辰子(森)が後悔する夏枝(若尾)を陰からみている場面だ。
音声もなく、辰子の動きだけで明らかにされるもの。
これが、メディアではとらえられない決定的な結晶であり、
事件(出来事)なのだ。

ドゥルーズ的成瀬巳喜男

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ものを創る人間が一連の不可能事によって
喉もとをつかまれていないとしたら、
その人は創造者ではありません。
創造者とは、独自の不可能事をつくりだし、
それと同時に可能性もつくりだす人のことです。
発見するためには、マッケンローのように
壁に頭をぶつけていなければならない。
壁がすりへるほど頭をぶつけなければならないのは、
一連の不可能事がなければ逃走線、あるいは
創造という名の出口を、そして真理を成立させる
〈偽なるものの力能〉を手に入れることができない
からです。
『記号と事件』(文庫版)

では成瀬巳喜男の「娘・妻・母」。
原節子、40歳。
2年後に、「忠臣蔵」=りく役を最後に銀幕を去る。
降りる時期を知っていたのだと思う。

ドゥルーズ的成瀬巳喜男

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だから私は想像界の概念が
それほど重要であるとは思っていません。
想像界の概念は、一方では物理的、化学的、
あるいは心的な結晶作用を前提にしています。
想像界の概念によって規定されるものは何もなく、
逆に想像界の概念のほうが、交換回路のかたちを
とった〈結晶イメージ〉によって規定されるのです。
想像するということは、〈結晶イメージ〉をつくる
ことであり、映像を結晶と同じように機能させる
ことなのです。
ヒューリスティックな機能をはたすのは想像界では
なく結晶のほうであり、それは現働的なものと
潜在的なもの、透明と不透明、そして核と媒質という
三重の回路によって可能になるのです。
『記号と事件』(文庫版)

ドゥルーズとちがって僕は「もうひとりの小津」、
すなわち成瀬巳喜男の映像を愛する男です。
ドゥルーズは成瀬を知っていただろうか?

「女が階段を上る時」の結晶も、暗く重い。
だが僕の傾向であり、実は豊かなものなのだ。
銀座のママが、妻子持ちのしがない男にだまされる、
以下のシーンはそれを知るくだりだ。
背景には千住の「おばけ煙突が」みえる。
それだけのシーンだが僕にはよろしい。

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