2015年6月 Archives

Agfa SOLAGON 50mm

|
飯島洋一の『破局論』読了。記念撮影をα7rとAGFA SOLAGON 1:2/50で。
(拡大画像あり)



現像はIDC。この青は好み。
いっぽう次のは現像はSILKYPIX。Photoshop CS5でK化。イエローフィルター。

 『ディファイアンス』(2008年)という映画を録画でみる。
三脚をセットしてセルフタイマでの記念撮影シーンがあった。
WoooのHDDをポーズして、 その場面=TV画面を7s/COLOR-ULTRON 1.8/50で実写。
(拡大画像あり。反射あり)



で、このシーンの直前にカメラがちょいと顔を出す。
これも実写。w



Apotar 1:4,5 85 とある。アグファです。
シャッターはPRONTOR-S。
調査すると、eBayで3千円ほどだ。いやはや。
これですね。(画像は借りてます)

COLOR-ULTRON 1.8/50

|
 村上春樹の『女のいない男たち』を読了。
図書館で20人待ちと知って仕方なく購入。
記念写真を7s/COLOR-ULTRON 1.8/50で。
(拡大画像あり)



僕はこのフォクトレンダーのUltron50mm1.8の力に絶大な信頼を置いている。
そんなわけで、ついでに2枚。





八木一夫(陶芸家)についてはご自身で検索して人となりや作品を知られたし。
これはNHKのアーカイブから。1981年の「日曜美術館」。司馬遼太郎58歳ころか。

①八木は「センティメント」を造形化した。
②陶芸の歴史も「まねし」であるが、彼はどこにも属しないはざまのニンゲンだった。
③純粋哲学の偉い先生です、あ、そうですか、でおしまい。要は自分で考えるひとにならんと・・・うんぬん。
司馬遼太郎の 独壇場です、w。

6分半ありますがどうぞ。
なにかヒントがありそうな・・。
TS抜いちゃって、NHKさんホントにごめんなさい。

Ricoh GR1 リコーGR1

|
 信号待ちでこんなシーンを「狙って」撮ることがあります。
というより、狙わずに撮ることが少ないかもしれない。
あまり失敗はしない。
(拡大画像あり)



α7sとリコーGR28mm改(F8相当)。IDC現像。PSで白黒化。
これにはイエローフィルタをかけています。
空の気配と貌(かお)の色を出すためです。
そのぶん正面建物の赤い文字がふぬけた感じ。
ちなみに元画はこうです。

 『文藝春秋』のグラビアをスキャン。
ホテルオークラ東京別館のロビー。
拡大画像で、壁面意匠もみえます。



イルミネーション派としては気になる灯りだなあ。w
広角で絞り込んで撮っている。いい絵だ。
キャッチコピーの中身は僕には不明。

こんな場所で自由にレンズを試せるといいなあ。
ここは来月から改修工事なんだそうだ。

プレスリリース(PDF)がここにある。

リコーGR1

|
 リナス・ファンデ・ヴェルデといってもわかりませんよね。ベルギー出身のアーティスト。
興味ある方は検索してみてください。ご本人のwebサイトがある。
(横文字でググるがよろしからん⇒rinus van de velde)



α7s/GR28mm改(F8相当固定絞り)
(拡大画像あり))

Tessar35mm3.5 小脳が・・

|


α7s/京セラ T PROOF テッサーT*35mm/F3.5改。
夜中に眠れず3時前にセブンにゆく。こんなのがあった。
(拡大画像あり)

丸善で川島小鳥

|
 (一枚目)盆と正月、それに加えてどんたくとおくんちも来た・・という感じだ。w
博多「珈琲舎のだ」にて。この席は一番いい撮影ポイント。
イルミネーションを偏愛する男だから。
テーブルのホンは川島小鳥の『明星』と村上春樹の『女のいない男たち』。
今日は丸善で買った。







α7s/GR1抽出GR28mm( F8相当固定絞り:拡大画像あり)

川島小鳥の幸せな空気

|
 「圧倒的な幸せな空気」と長島有里枝はいう。
なるほど。そうかもかもしれない。
けれど川島小鳥が、ずっと「幸せな空気」を外に向けて出力し続けていけるかどうか・・
うむ、それはわからない。
ことがらは罅割れしている。矛盾は錯綜している。

もちろん、炸裂して傷んだ日常があれば、ふくらむ「幸せな空気」に触れてみたい。
接続し、そこから逃走の線を引き出したい、それは僕にもあるけどさ・・。



α7s/Gnome-Wilon 1:4.5/50 will,Wetzlarの開放4.5で撮影。
こんな設定に合うレンズだと思う。
引き延ばしレンズGnome-Wilon 1:4.5/50 will,Wetzlarについては、

ここに過去記事があります。

知人から頂戴したもので、Eマウントフルサイズのない当時は、NEX-7で撮影してます。
近場のものは、

ここに絵があります。

で、梅雨の晴れ間、今回これをα7sにつけてみる。
(拡大画像あり)







光線が溢れる外ではデジタルカメラの「宿命的な」影が出る。が、室内は平気です。
解像度はとても高い。

このレンズで「実写」した男はいないと思われる。
希少性とか特権性とかいったら、これほどのものはそうそうありますまい、ホント。w
知人のおかげで、主体化のプロセスを一本頂戴したようなものです。うむ。w

SONY E2.8/20mm

|
 コダック・バンタムスペシャルを踏み台にする不届きなミラクル星人。w
NEX-7/E2.8/20mm。SILKYPIXのRoadmovie現像。
(拡大画像あり)

特異性とは

|
 「間違い」の組み合わせこそがおもしろい、ということができる。
ミス・ショットだけを収集した写真集が存在しても何の不思議もない。
「スタンダード」に特別な地位はない。むしろ「特異性」にこそ特権が存在する。
ところがこの「特異性」は、同一性とか再現性とはそれほど親和性がない。
ゆきあたりばったり。でっちあげ。誤操作。偶然。勘違い・・。それが「特異性」の源泉だ。
そんなことは今や誰もが察知している。
(拡大画像あり)





 Rollei Sonnar 2,8/40 をα7Rに。けれど、APSモード、開放で撮影。(誤操作)
それにしても解像度は高い。レンズにもカメラにもただ驚嘆。
 ノマドがあれほど強く私たちの関心を引いたのはほかでもない、ノマドはそれ自体ひとつの生成変化であり、絶対に歴史の一部ではないからです。
歴史から締め出されても変身という手段にうったえ、まるで別人のようになって再び姿を見せたかと思うと、まったく予想もつかなかった外観に隠れて、社会の領域をつらぬく逃走線に忍び込むあたりが、ノマドのノマドたるゆえんなのです。
ここに私たちとフーコーをへだてる違いのひとつを見ることもできるでしょう。つまりフーコーにとって、戦略でがんじがらめになった閉域が社会であるとしたら、私たちが見た社会の領域はいたるところで逃走の水漏れをおこしていたのです。68年5月は歴史のなかにひとつの生成変化がなだれこんできた特異な出来事であり、だからこそ、歴史学にはこれがさっぱり理解できなかったし、歴史にしばられた社会はこれを自分のものにすることがまったくできなかったのです。
(ドゥルーズ『記号と事件』第4章)

 シャシンしない日は「ほとんど」ない。
ドゥルーズやフーコーを読まぬ日は「まったく」ない。w
生成変化する現動態の生き物だから、ボクは毎日哲学をしています。
というか、ひとはみな、逃げてゆく「いまこの時」を鷲づかみにし、はたまた検証し、すなわち哲学のなかに生きています。
SNSやLINEなんかには及びもつかないスピーディなシナプスがわが小さな脳に生成し、進むかと思えば引き返し・・そうノマドを生きることになるのです。


(レンズSOLAGONを。7s/GR28mm改F5.0相当)

このアーカイブについて

このページには、2015年6月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2015年5月です。

次のアーカイブは2015年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.01

photo pages

photos

地上の夜の天使たち