2018年5月 Archives
α7sとツァイスイコン抽出のテッサー5cm/F4.5(M42改)。
これは大幅にピントが手前です。モノクロにしました。SS優先。1/100sec。絞りは赤いマークのF8あたりだとα7sでは感度が10000でした。「荒れ」が拡大画像でわかります。現像はSILKYPIXですが、PhotoshopCS5で白黒(デフォルト)。さらにトーンカーブでコントラストをつけてます。
1930年代。ピント合わせに失敗したコマはこんな感じだったのでしょうかね。
で、次のハナミズキは室内でも絞り開放でAモード撮影。1/60secでISOは500でした。シャープできれい。拡大画像横1400。
α7Rで絞って撮りました。拡大画像横1400。
これは大幅にピントが手前です。モノクロにしました。SS優先。1/100sec。絞りは赤いマークのF8あたりだとα7sでは感度が10000でした。「荒れ」が拡大画像でわかります。現像はSILKYPIXですが、PhotoshopCS5で白黒(デフォルト)。さらにトーンカーブでコントラストをつけてます。
1930年代。ピント合わせに失敗したコマはこんな感じだったのでしょうかね。
で、次のハナミズキは室内でも絞り開放でAモード撮影。1/60secでISOは500でした。シャープできれい。拡大画像横1400。
α7Rで絞って撮りました。拡大画像横1400。
ジュピター12 35mmはライカマウント。SONYでは7Rより7sのほうが周辺マゼンタ色が少ない分、相性はいい。けれどあえて7Rで撮影してみる、ニンゲンはどうもそうなってるようだ。このサイト内にはα7sでのジュピター使用例が、
ここにあります。
以下はα7Rでの作例です。
ところが今日はこれで終わりません。アーティスト魂を呼び込みます。w
M42変換リングを使う。しかる後に最薄のヘリコイドをもってくる。
ジュピター12の接写です。絞りF4です。いいですねえ。
ここにあります。
以下はα7Rでの作例です。
ところが今日はこれで終わりません。アーティスト魂を呼び込みます。w
M42変換リングを使う。しかる後に最薄のヘリコイドをもってくる。
ジュピター12の接写です。絞りF4です。いいですねえ。
Fujica 35-EE フジカ35EEから抽出したフジノンについては
ここにもあります。
どちらもいいです。円形絞りにこだわれば前者Eマウント組み込み。接写をしたければM42改造のほうがいい。α7Rで使うと遠景の周辺は、M42改造がいいような気配。
今日のはそのM42改造でα7s、店内。
ここにもあります。
どちらもいいです。円形絞りにこだわれば前者Eマウント組み込み。接写をしたければM42改造のほうがいい。α7Rで使うと遠景の周辺は、M42改造がいいような気配。
今日のはそのM42改造でα7s、店内。
大黒岳彦『情報社会の〈哲学〉』読了。
これまで大黒岳彦を「現代思想」でいくつか読んできた。AIとか、コミュ障とか。
で、先の「現代思想の316冊」の「不可視の社会を如何にして・・」ですね、特にP37以降のグランドセオリーについてのキーワード①以降の「まとめ方」にぐっときた。
情報社会(世界社会、社会の社会)のシステムを哲学のイシューとして提示してくれる。僕にはこれが嚆矢だ。
さて、本題には関係ないことをひとつ。
大黒岳彦の文には特徴がある。たとえば、括弧やルビが多いこと。哲学ゆかりの古代ギリシャ語が多いこと、うんぬん。
それがこんな結果をもたらす。見本のスキャン画像ををふたつ。
上が『情報社会の〈哲学〉』、下が去年の「現代思想」8月号の「コミュ障」のもの。
どちらも2行目に注目。行の割り付けが変でしょう?
推測ですがこれは、テキストをQuarkXPressに流し込むときに、なっちゃうんですよね、たぶん。
これは校正でなんとかならないのですかねえ。些細なことです。でも眼に立体的に(3次元の効果となって)飛び込んでくる。うーん。
いつだったか、池澤夏樹と世界の果て「パタゴニア 冒険の旅」、てのをNHKBSでみた。
これはそのときWooo画面をショットしたもの。
ドキュメンタリーの中で彼は、こんな旅に残りの人生を使ってもいい、みたいなことを言う。ふむ。そうなんだ。
池澤個人編集の石牟礼道子でたいそうな財産を頂戴した。たまたま同じ時期にイサム・ノグチ評伝の「石を聴く」を読んだことも偶然とは思えない。
自己のための備忘メモをひとつふたつ。
①石牟礼道子は、字義通り石の牟礼(山)とつながる。祖父は水俣で石を扱う人だった。それがもとで一家は零落する。
②五島(長崎)でつかう「みじょがる」(かわいがる)「そこんにき」(そのちかく)「ちんちろまい」(てんてこまい)などなどの方言が、五島、天草、水俣などの沿岸に船を介して伝わっている、と想像する。はやい話が、「椿の海の記」の地名、うまわりのとも=「大廻りの塘」である。ぼくらは、うーまわり、と言った。
③香川県高松市牟礼町牟礼にはイサム・ノグチ庭園美術館がある。まさにイシムレである。
④イサム、石牟礼、池澤らの異能は、生来のもので出自に由来する。
⑤存在は生成(構築)の「効果」なのだ、それもこんなに不可視で微分的な。われもそうなんだが、イサム、イシムレ、イケザワのThree I を知るにつけてもそうした感慨にいたるのです。
これはそのときWooo画面をショットしたもの。
ドキュメンタリーの中で彼は、こんな旅に残りの人生を使ってもいい、みたいなことを言う。ふむ。そうなんだ。
池澤個人編集の石牟礼道子でたいそうな財産を頂戴した。たまたま同じ時期にイサム・ノグチ評伝の「石を聴く」を読んだことも偶然とは思えない。
自己のための備忘メモをひとつふたつ。
①石牟礼道子は、字義通り石の牟礼(山)とつながる。祖父は水俣で石を扱う人だった。それがもとで一家は零落する。
②五島(長崎)でつかう「みじょがる」(かわいがる)「そこんにき」(そのちかく)「ちんちろまい」(てんてこまい)などなどの方言が、五島、天草、水俣などの沿岸に船を介して伝わっている、と想像する。はやい話が、「椿の海の記」の地名、うまわりのとも=「大廻りの塘」である。ぼくらは、うーまわり、と言った。
③香川県高松市牟礼町牟礼にはイサム・ノグチ庭園美術館がある。まさにイシムレである。
④イサム、石牟礼、池澤らの異能は、生来のもので出自に由来する。
⑤存在は生成(構築)の「効果」なのだ、それもこんなに不可視で微分的な。われもそうなんだが、イサム、イシムレ、イケザワのThree I を知るにつけてもそうした感慨にいたるのです。