ドゥルーズ: 2019年12月 Archives

SONYのα7RとペンのOlympus F.Zuiko 38mm。PF-NEXアダプタ使用。上はF2.8、下はF5.6。



物神が揺らぎ立つかのようなエルマーです。一方これは品薄=稀覯本になりそうな新潮9月号。上野千鶴子=「江藤淳」講演は見事です。そしてそして。爺はなんにも知らんかったが千葉雅也はカムアウトしたゲイだったのかあ。うーむ。5ちゃん=哲学=千葉雅也スレで「マーくん」なんて呼ばれてる。「デッドライン」は来期の芥川賞候補になっている。自伝的わたくし小説、といっていいのだろうか、読後にいやあ知らんほうがホトケでいられたのにな、と虚脱感。困った。なんでねワイが困ることなかやっか。そりゃそうですw

せっかくだからElmarで。F6.3より少し手前。SILKYPIXのモノクロ2現像。一切の補正なし。そのまま。α7sです。



日本カメラ12月号から。気になっていたカラープリント部の金賞をGT-7000Uででスキャン。(すみません、ご容赦ください)
浅井慎平の選評が読めるように取り込んでます。彼の選評にも目を通してください。Wikiによれば82歳。老写真家がこのスナップを心躍るような気概で(と僕には思える)推奨する心情がわかります。これが好きだ、と彼に発生した「効果」を理解できます。
「豊かな写真」と評してます。この絵から「豊かさ」を汲み取れればアナタは老写真家に寄り添えるはずです。

撮影者は71歳の男性。タイトル「熱帯夜」。SONYのα7RⅡとFE24-240・絞りF8・AE・ISO6400・キヤノンピクサスプロ9000マークⅡ。
プリントの出来映えは普通です。出力までの経緯はデータではわかりません。すべてはこのシチュエーションが、偶然とは思えない仕込みのような画面構成のすばらしさが、それがすべてです。浅井慎平に生じた「効果」が金賞ものだったということですね。そこが僕にもわかる、ということです。

それはそうと上の絵でシネマ風のテイストを想起しました。Fuji F125 Kodak 2393とかKodak 5205 Fuji3510などです。かつての映画用ネガフィルムをエミュレートしたPhotoshopの「カラールックアップ」ツールです。たとえばこれはFuji F125 Kodak 2393を使っています。

外出時に郵便受けを覗く。ペシャワール会からの封書が届いていたのでバッグに入れて出る。「ペシャワール会報」No.142=最後となった中村哲の現況報告写真。



以下の文書が添えてある。



中村哲の「遺志」ではなく「意志」と明言している。少し前に朝日新聞の記事タイトルに「意志」とあったのもこれを踏まえてのことだったのかもしれない。

蛇足。最初の絵はE 3.5-5.6 PZ 16-50 OSS。
シルバーの新品出物があったので購入。フィギュアはシルバー16-50で撮影。50mm側。

文學界12月号掲載。柄谷行人にはずっと付き合ってきてます。「あるトシになったらわかるようになった」みたいなことを言います。僕もそう思う、同意できる。ある時期に(といっても60歳を過ぎてからかなあ)頓悟(とんご)するのです。以前は分からなかったいろんなことが理解できるようになりました。同じようなことを大江健三郎も小泉義之も口にしてる。この論攷(講演)は「世界史の構造」以後の(最新の?)思いが出ている。凡人の眼にも美しい。そこでも「ちょっと気づいたんですが」と率直な発言をしている。「交換様式」は柄谷行人の真骨頂です。彼が発明したといってもいいんじゃないだろうか。来春には構想をまとめてホンになるそうな。今から愉しみ。



同じレンズでもう一枚。



「文藝春秋」1月号=「日本人よ、健康神話を棄てよ」=塩野七生と新見正則(オックスフォード大学医学博士)の対談。その中に心臓移植をしたマウスにオペラをエンドレスに聞かせ、平均7日間の寿命を平均40日まで延ばす、という実験。すごいハナシだ。なかでもこれが一番、というのがジョージ・ショルティ(と、新見先生は英語読みしてます)指揮の「椿姫」。アンジェラ・ゲオルギュー(ソプラノ)。ウチにあるこれがDVD盤の説明書裏面のサー・ゲオルグ・ショルティです。威厳に満ちてますね。7sとペンタックスのFA43mmLimitedをPK-NEXアダプタを使っての撮影。フルサイズで使うのは実は初めて。

で記事に触発されて「椿姫」をDVDで全編を視聴しました。いいんですよね、やっぱり。オペラも前世紀にはみーんな完成してるんですかね。下の絵はDVDから第2幕でしたか、アンジェラ・ゲオルギューのヴィオレッタ。日立のWoooモニタを1/20秒で撮影(1/20秒でモアレは消滅、TV画面撮影とは思えない)。こちらはM42改造のNIKKOR50mm F1.8です。

追悼 中村哲

|
追悼中村哲。





以下は私的感想です。
僕は中村哲が称した自身の「三無主義」のことがずっと気になっていました。「無思想」「無節操」「無駄」のことです。彼の実際の営為とは真逆のことのように思えたからです。
彼は自分のヒーロー性みたいなもんを自分の手で打ち消し続けてきたように思える。独自の謙虚さ、といえばそれまでだが・・。僕は彼のそんな「特異性」を世にいう「プラトン主義の転倒」と考えてきた。このひとはなぜこうなのか、の不思議に僕はそんな感じで見守っていたように思う。
寂聴のこの記事に中村哲に僕が感じた同じような感慨があることを発見した。そして彼女も事務局を訪ねている、ああ、哲さんを慕っていたんだなあ、と感じた。それが滲みでているコラムだと思うのです。
(朝日さん自炊ごめんなさい。)

中村哲 死す

|
中村哲:プラトン主義の転倒

中村哲の三無主義

中村哲という人

昨日(2019/12/04)のこと。
外回りからウチに帰還し、ネットのニュースで中村哲が銃弾に倒れた、と知る。その時点では「命に別状なし」ということだった。妻にそのことを伝えた。ウチは爺さん婆さんソルちゃん皆があっぷあっぷで生存してるんで、哲さんも大変だったなあ、という感じでその場は終息。
夕方に子供から中村哲が死んだ!の一報。信じがたいことだった。

爺はうまく眠りをとれずに起きている。
10年前かそれ以上かトシをとるとあやふやになるが僕は中村哲と遭遇したことがある。
妻はペシャワール会の正会員(僕も遅れて会員になった)。
あるとき妻が使途の当てが無くなった資金をどこかに寄付したいというので、あ、ペシャワールに寄付しようよ、てことになった。200枚くらいある未使用ハガキと合わせてそうだ直接事務局にもっていこう、と考えた。住所を調べ、実際に僕が行った。警固公園から旧福新楼の道路を赤坂方面に歩く。マジかよここがペシャワール会の事務局?と思うくらいショボくて古いマンションの一室だった。
僕が金10万円とハガキ約200枚をカウンタで渡すと、応対した同じ年恰好のご婦人はちょっと迷惑そうだった。アンタさあ寄付は郵便局から送金してよー、ってな感じで、実際カウンタで振込用紙に記載させられた。感謝の言葉も特にもない。でも事務的な律義さに邁進するオバさんがなんだかマットウに見えた。彼女は正規の事務処理をしているのです。「喜ばれるだろうな」と思った自分を少し恥じたもんです。
事務局を出た。ちょうどその時、中村哲と数人がエレベータから出て事務局の方にやってきた。あれまあ日本に帰ってきてるんだと思った。小柄で日焼けして医師というより土方のおっちゃん風だった。ニコニコしている。すれ違いざま何かの会釈みたいなもんがあったか、いやなかったと思う。

以上です。
当サイトで「中村哲」の正規表現検索をする。興味があるお方は読んでみてください。僕の中村哲への関心は当時も今も変わりません。ニンゲンに対しては「逝く」とか「死去」とか丁寧にいいます。「死ぬ」という言いはしないもんです。だけど僕には中村哲は「死んだ」なのです。このトシになれば、「隠れキリシタン」を「潜伏キリシタン」と言い換える欺瞞を正面から嗤えます。前者が上品、後者「潜伏」は下品です。(潜伏なんてしてません、隠していたのです)
ごめんなさい、関係ないか。とまれ、中村哲は死んでしまいました。テロリストは資本主義的なヒューマニズムを憎みこそすれリスペクトしない。今日はこれでオシマイにします。

このアーカイブについて

このページには、2019年12月以降に書かれたブログ記事のうちドゥルーズカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはドゥルーズ: 2019年11月です。

次のアーカイブはドゥルーズ: 2020年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ドゥルーズ: 2019年12月: 月別アーカイブ

Powered by Movable Type 4.01

photo pages

photos

地上の夜の天使たち