ドゥルーズ: 2016年1月 Archives

パリ襲撃事件 中田考

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『文藝春秋』2月号=立花隆=「イスラム国問題のゆくえ」。
カッターで切り離してスキャニング。PDF化。
僕にできることはまあこんなことくらい。w



中田考がでてきます。
こんな取り上げ方が実に立花隆的なのです。はい。

さて。中田考。
パリ襲撃についての中田考の論攷を僕はまっとうに読みました。
『現代思想』の「イスラーム国を封じ込める」のことです。
これをもカッターで切り抜けば済むのですが、できないでいる。
臨時増刊号=パリ襲撃事件では30本以上のさまざまな意見が読める。
30個以上の「効果」がもたらされる。




(7R,EKTAR35mm3.3)
柄谷行人が村上龍に
「君はマゾキズムはわかるか?」と尋ねて一瞬村上龍がかたまる、
という対談があったが、どこにあったものか。
たいしたことではないのだが、ニンゲンそんなものを記憶しているのだ。
おかしいやつですね、ニンゲンって。

さて、ブライアン・マッスミ。
(興味がある人はwikiしてください)
「長い過去の後で」(原島大輔訳)の訳者附記のなかに、「能力をあたえる拘束」(enabling constraints)というコトバがあった。
これは先の柄谷マゾキズムの概念・系譜と五十歩百歩、とみる。「無制約よりも場が創発的になる」拘束というわけだ。
こいつはしかし実に多義的でっせ。w

試みに、"enabling constraints massumi"で検索すると彼のPDFにヒットする。

ここにあります。

ダウンロードしてPDF内を検索すればくだんのタームが出ます。



P-01DでマッスミのWikiをみてる。w
(PENTAX K20D,50mmMACRO)

フレンチセオリー

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「現代思想」というタームに、
フレンチセオリーというルビがふられる。
「現代思想」一月号の2冊の臨時増刊号では歴史的なフランスのセオリーに、いまどのような反応が出来しているのか、を知らされる。
偶然の特集ではなく編集部の意図がある、と思った次第。

「ポスト現代思想としての日本哲学」(檜垣・北野)のなかに、日本人は日本思想と西洋思想の「2階建て構造」に住んでいる、というくだりがあって、思わず苦笑する。
翻訳語(言語の壁)に関するいつもの
雑念が脳裏をよぎる。

ジジェク=『事件』で、鈴木晶は
古池に 蛙が飛び込む ポットン
と芭蕉の句を訳している。

田中美知太郎の括弧内ギリシャ語をみるたびに、ギリシャ語を知らなければ哲学はできない、と引け目とともに過ごした高校生時代。

フーコーは吉本隆明との対談(蓮實重彦もいたが)で、あなたの本が早く翻訳されることを望む、と言っている。
(その吉本は「2階建て」の話題に登場する)

世界中で作品が翻訳されている村上春樹は、翻訳者と会って打ち合わせをやるらしい。(どこまで可能かは不明だが)

1913年に藤田嗣治は渡仏。自分で機織りした「雑衣」を平気に着て、モンパルナスで評判となっていた。いち早く仏語を覚え、語り、溶け込み、フランス世俗をものにする。

「美しい書物はどれも一種の外国語で書かれている」『批評と臨床』
云々かんぬん・・。

コトバは言語学の構造的な諸問題とは別にその場所にリアリティが立つかどうかが肝だろう。
リアリティが湧き立てば、ポットンでいいし、ポットンでなければならない、とさえいいうる。

日本人が日本語で世界に語る、そんな文化空間が到来するとは考えにくいが。




(α7R,Durst Componon105mm5.6)

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