ドゥルーズ: 2018年4月 Archives

大黒岳彦 不可視の社会

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大黒岳彦の「不可視の〈社会〉を如何にして理論的に把握するか」を示唆的に読んだ。
P37〈社会〉のグランドセオリー構築のあたり。①自己言及システム・・以降。



絵はヘクトール7.3㎝。当地はオキシダントが極めて高く空はどんより。出歩けない。



水田マリは16歳。わけあって高校を3日でやめる。そして花王=KAOのようなメーカー工場で柔軟剤をパウチに詰め込んだりするバイトを、「真面目」にやる。やっつけ仕事はやらないピュアな子だ。
段ボ、ツケマ、レンチンなどのタームを推測解読しながら読み終えた。
マリが、朝日の評者=斎藤美奈子期待の「ヒーロー」であるかどうかはわからない。これがJKの現実の様態かどうかもぼくには不明。だが確かに斎藤のいう現代の「プロレタリア文学」なのかもしれんぞ・・とも思うのだった。ともかくマリの輪郭がしっかり描きあげられている。現実離れしているストーリー(そう爺にはおもえるのだがまちがってるかもしれん)も、なにげにリアルに感ぜられる。
初めてだけど、宮崎誉子という作家はちからのある書き手なのかもしれない。リトルモア作家なんだね。

さて。当市の図書館新入荷の第一号の借り手がぼく。(黄色の間紙に注、次の予約がある)で、一晩で読み上げ、さっそく返却。(団塊世代にはシコシコ励むつつましいオトコもいるもんなんだよ。ww)
絵は7RとNEOKINO65mmで。

NEOKINOは35mm映画用のプロジェクションレンズ。65mmは稀少というかネットでもみたことがない。もうひとつ絵を。知人から頂戴したニンニクの芽。しゅんは旨い。
調理する前の束を撮っておくんだった。後悔先にたたず。



「旅」とは何か、それは

ドゥルーズのこれにつきる。

ぼくの「旅」については、関所で「足止め」されたまま現在に至る。それも3年を過ぎた。
最大の理由は花王の「リセッシュ」がほとんどのホテルに配備され、ルームにミストされているから、呼吸ができない。これにつきる。

しかしそれだけではない。記事にあるようなシーンを僕も目撃してきた、からだ。こんな京都でも行ってみたいとぼくは思わない。
「老齢」という障壁もあり、ここが潮時と、ぼくは「旅」をやめることにした。(ま、わからないけど)

空前の「観光旅行」ブームには現況インターネットの影響はあるだろう。
彼らにはSightseeing以外にすることはないのだろうか? こんな記事に触れるたびに気分が滅入る。
『石を聴く』から。27章、P247。アーシル・ゴーキーの自死に接して。
「友人や家族に対して自分はヒーローでしかありえないとゴーキーは感じていた・・・この奮闘努力すべての目的はなんだったのか? 注目とはなんと表面的で残酷なことか! ぼくはそれ以来、一日一日をぼくが受けるに値しない贈り物と考えてきた。どうにかして自分自身をより完全に表現し、より広い世界、ぼくの友人を殺した世界よりも自由で親切な世界と接触することを求めた。」

以下はα7RとM42改造ズミクロン50mm、F8相当固定絞り。
アタマ2枚はSILKYPIXのテイストを使用している。





小熊英二のコラムをG2とKominar Television 25mm。ハードモノクロ。囲み部分。読めはしますが。

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