ドゥルーズ: 2016年9月 Archives

ヒト(人)を「ホモ・ファーベル=homo faber」(工作する人)ともいえば、「ホモ・ルーデンス=homo ludens」(遊ぶ人)ともいう。当たり前だが工作する人は遊ぶ人でもある。その身体と精神には言及できない存在平面があり、出来事が生起する。だが工作する人のそんな事象もギルド世界のようには受け継がれない。差異と反復で多様性を極めた技量・・それが容易には他者に伝授されない。その人限りで終わることだってさいさいある。その目撃者(身内ではなく第三者である場合もある)はたまたま遭遇した狭いジャーゴンの中で、技量を鋭敏に「感受」するしかない。
僕の所有する改造レンズは「製造元」である知人=工作人の手になるものだ。僕は彼の総体的な技量をはかり知ることはできない。僕が「感受」したものはたとえばこういうことだ。彼は「工作」の過程で、対象と「対話」している。これは農民が(農民でもないのになんでわかるんだ、ごめん)生育する作物と対話することと同義だと思う。その「対話」こそ工作人のだいご味だと思う。「おお、これはいい」とか「もうチョイだな」とかね。対象を加工しながら無生物の対象と異種間の会話が成立する。

いっぽう僕は機械工作を学んだ高校時代、製作が実に下手=不器用で周囲に笑われた。だが現在、古いレンズ(対象)を通して光や影の綾、はては収差や解像度の美うんぬん・・やはり無生物との「対話」をしているのではなかろうか。
フーコーなら笑うだろう。「君ね、それは単に誤認に過ぎない想起だよ」と。
スピノザが学問のかたわらレンズ磨きをしていたことは有名だ。手先が器用で人々は競うように彼の製品を買い求めた。(どこまで事実かわからない)おお、そうなんだ。思考しながら「工作」しなきゃならんのだ。

とかなんとかやかましいな今日のジジイは。w さあてEL-NIKKOR 40mmf4。最初はF8。あとは開放F4。引き伸ばしレンズで開放はないだろう、という勿れ。最後だけは拡大を横1200にしています。傑作です。(α7R)









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