ドゥルーズ: 2014年1月 Archives

フジカ35EE

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 フジカ(Fujica) 35-EEのこと。かつて写真工業1979年12月号「カメラレンズの画質は向上したか」-50mmF2レンズの変遷、という記事があったのだそうだ。近年のMTFとは違うだろうが、ルーペで拡大した時どこまで鮮鋭に見れるか、ということだと思う。そういう意味ではこんにちのデジタル写真時代で、SILKYPIXでの現像結果を100%大で見る狙いはこの「解像力」のほうかもしれない。フジノンの解像力が上記紹介記事によれば、ズミクロン50mm/f2(ライカM)と同等とある。これは絶対に看過できない情報だった。で、まずはヤフオクで2000円ほどで購入。入手直後を20秒足らずの動画におさめてます。



 説明は後にして、以下は画像を羅列します。拡大してご覧ください。








(NEX-7/E1.8/35 OSS)

 技術者(名工)の手になるとかくのごとく生成変化します。アレンジメント(アジャンスマン)そのものです。複合の諸線に満ちてます。最初はバラされたフジカ35EE。次の絵はその一部。下の2枚は、α7Rに取り付けた状態です。今日のこの記事には作例はありません。加工がひとつの「アート」だと思う。この「アート」をお楽しみあれ、というわけです。
 フーコーは『倫理の系譜学について』のなかで、このように言っている。「現代社会では、技芸(アート)はもっぱら物体(オブジェ)にしか関与しない何かになってしまい、個人にも人生にも関係しないという事実にわたしは驚いています。技芸が芸術家という専門家だけがつくる一つの専門領域になっているということにも驚きます。しかし個人の人生は一個の芸術作品になりえないのでしょうか。なぜ一つのランプとか一軒の家が芸術の対象であって、私たちの人生がそうではないのでしょうか。」
 これがフーコーの「自己の技芸」に発展する。事実上は「アート」は美術、演奏、舞台・・というようなものに席巻されている。しかしだれもが感じることとはおもうが、人々の日常の「営為」が「アート」としてもっと表象されていいはずだ。人は技術者の作品=実物を「アート」と呼ぶが、実のところ「アート」とは技術者の内在のことを指しているのではないか。そういうことをフーコーの言に感じる。さて僕は昨夜はこれを愛でるあまり、枕元に置いて寝た。(笑)。ひとが一生に得ることのできる満足感が一定だとすれば、立て続けにこのような個物を手にしてよいものだろうか、と、がらにもなく謙虚な気持ちになる。暮れから新年にかけて見事な個物との巡りあいが続いている。シアワセを少し隠さねばならないのではあるまいか。

出来事

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 GR28mm(改造)をNEX-7につけて歩く。2枚の絵を見ると周辺光量の落ち込みがわかる。遠景には難がある。フルサイズのαR7につけても事情は同じだ。アダプタで知られるRayqualのWebでも、α7に広角レンズを取り付けることの難が報告されている。




(NEX-7/GR28mm)

 さて。2枚の絵のことである。上の3羽のコブハクチョウと、下の1羽のそれは同じ日に別の場所で撮影する。4羽は1年違いの兄弟姉妹だ。この地で一時有名になった番い(つがい)が産んだ子たちだ。親である番いも近くにいる。たまたまこの日は僕の歩くコースにいなかっただけだ。かれらは決して群れない。完全に「独立」して棲息する。

 ニンゲンの親子であればどうだろう? 近くにおれば声でもかける。だが鳥の(生物の)世界は違う。見向きだにしないのだ。見向いたとすればそれは「繁殖」の本能に命じられるからだ。ひとりぽっちで生きる子をなんだか可哀そうに感じてしまうのは、あえて言うが「劣った」ニンゲンの情感にすぎない。しばしばこのような光景に出会う。1羽が一昨年、3羽が昨年生まれたものだ。特に上流で暮らす1羽の個体を見るたびにグッとくる。ニンゲンの情感だ。励みになる。孤独であることを恐れるな、とね(笑)。ニンゲンは元はこのようにも酷薄で屈強な生物だったのだろう。進化によって文明文化を発明し、同時に劣等な幻想も付随して得た。襞にはもろもろの線が織り込まれている。この岸でひとり生きるハクチョウのような本能が僕たちニンゲンには残存していないのだろうか? 退化したその痕跡すらないのであろうか?・・・と。実は、この絵のことでこんなハナシは気が重い。なぜというにこのハナシ(言表)にはその日の出来事は現れてこない、と思うからだ。そういえばシャシンってご大層なモノじゃない、てなことをアラーキーは言ってる(東松照明追悼で)。それにも似たキモチか。このブログ記事にこの日の「出来事」は闖入しはしない。かかる言表のその端から何かが逃げていく。

 踵を返そう。今しがたその「親」であるつがいに遭遇しました。α7Rにビゾ用ELMARをつけて撮影。こちらは周辺光量の落ち込みなどもちろんありません。1842***は1961年製。


(α7R/ELMAR 1:3.5/65/14167)

 このようにオスがガーッと寄ってくる。うっかりすると靴を噛まれる。何かくれ、とせがむのだ。そうしたのはニンゲンなのだが・・。

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