ドゥルーズ: 2010年8月 Archives

ドゥルーズ覚書

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ドゥルーズをはじめて知ったのは
浅田彰の『逃走論』だった。そのあと『構造と力』を読む。
たまたま開いた「石原8年誌」に
ドゥルーズの『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』を
1996年10月にまとめて買った記録があった。
情景は記憶にある。1万2千円!だもんね。
雑誌で(誌名は失念)『千のプラトー』弟1章の抄訳を読んでいたので
まとめ買いは観念・覚悟のアクションなのだろう。(笑)

1996年といえば、まだ僕はLCマックでパソコン通信を
やっていた。ニフティのログイン・ログオフの時代だ。

天体の 冥くひそめる 時間帯 スバルのごとき われのログイン

そんなころのウタ。照れますなあ。
インターネットに移行したのはYosemite(青白マックG3)からだから
1998年になる。
ドゥルーズを僕に知らしめた浅田センセには
それこそどんなに感謝しても足りないくらいだ。
ドゥルーズとの出会いは、
高校時代の文学や聖書との出会い以上のものがあった。
真の意味で
僕の中でようやく形而上学や実存主義が終わったのだ。
思えば
新宮一成を通じて「精神分析」に接近したのも同じころ。
構造主義が席巻し、後戻りは消去され
「大きな物語」も終焉し・・とあれこれを迂回しつつも
ニンゲンというものがどんなイキモノなのかを
ドゥルーズと精神分析で学んだ。40代半ばにね。
この2項は、僕にはイニシエーションなのだと思う。
青春・朱夏期が文学と聖書ならば
白秋・玄冬期がドゥルーズと精神分析なのだ。
現代思想といっても、デリダでもなくフーコーでもなく
やはりドゥルーズだったのだ。

マクドナルド店内の冷房はぬるい。
では、イオン内にあるマックはどうだろう?
8月15日、鬱勃の「家出」をする。
満席のイオンフードコートで
リンガーハットの皿うどんを待つことにした。



どのコーナーも大混雑だ。
しかし温度設定は省エネ無視(?)の按配で
大変結構だ。(笑)
コート内はたぶんどこにいてもワイヤレスゲートは強力だ。
全国あちこちのイオンマックはこんな具合なのか?
ただ、ここの皿うどんはお粗末だ。
今日の僕みたいに、
緊急避難の非常食として摂取するなら我慢できるけど。
ファストフードそのものだから。

ところで、
1975年新藤兼人は
『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』てのを
製作してる。
皿うどんを待つ間、youtubeのシリーズの03を
見た。場所柄、字幕スーパーで。
英文のスーパー。世界のミゾグチ、なのだ。
続きも家で01-16の全部を見た。
ドゥルーズの「シネマ」より7,8年早い。
ドゥルーズ、これを見たかな?
とかなんとか、ま、見ないだろうね。

シネマ1

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「シネマ1」に「感じない」理由。
ドゥルーズが映画について考えた諸形式があるとして
当の映画たちがその形式にどう配分されうるか、
ということを滔々と述べられてもねえ。
言説に正当性を感じこそすれ必要性を感じない・・ということだ。
正当性についていえば、
第11章「フィギュール、あるいは諸形式の変換」をみよ。
黒澤明と溝口健二の作品に関する配分の見事なこと!
さすがだ。完璧で震えがくる。(笑)
それでもだ。問いをひとつ、
『誰も知らない』で妹を埋めて電車で帰るシーンね。
コスチュームが、行動イメージの小形式(A-S-A´)そのものだ、
と知覚できたとして、それがどうしたというのだろう?
実際、観ているあいだドゥルーズの配分を思い起こすことは
あるには違いない。
けれどおおむね僕は「別の場所」にいる。
「感じない」理由はそういうことなのだ。
・・・・・
『剱岳 点の記』を民放地上波で期待をしないで観た。
予想を裏切らないツマラナイ映画だった。
剱岳の美しさも怖さもないじゃないか。
(立山曼荼羅の針の山のほうがコワイ!笑)
木村大作の『剱岳 点の記』ねえあれは退屈だよ、
それでおしまいになってしまう。
そんな怠惰な僕に、ドゥルーズの配分を考慮する必要が
あるだろうか?
ドゥルーズもそんなもん求めてるわけじゃなかろうけどさ。
・・・・・
そう言いつつも
当市の図書館に出向いて
「シネマ1」の貸出延長手続きを済ませたのだったが。(笑)

シネマ1 運動イメージ

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ドゥルーズの「シネマ」につては
「シネマ2」の後に「シネマ1」が訳された2008年暮れの
「現代思想」12月号に詳細が知れる。
それぞれの翻訳者の対談が組まれてある。
宇野邦一と財津理は当然のことながら
「シネマ」がどれほど重要なテキストであるかを
熱意・強度を駆使して語る。
(と、僕には思える)

県立図書館から僕が住まう市の図書館に回してもらい
「シネマ1」を恣意的に選択して読む。
順序は第9章「行動イメージ-大形式」
第6章「感情イメージ 顔とクロースアップ」
弟12章「行動イメージの危機」
ついで第1章「運動に関する諸テーゼ」と
第2章「フレームとショット、フレーミングとデクパージュ」だ。
貸し出し期間は2週間なので、こんなところか。

さて、それほど重要なテキストなのか?
悪いが僕はそれほど「感じなかった」。
テメー、数章読んだだけで、ぬかすな!
ま、そういわれてもいたしかたない。(笑)
でも、そうなのだ。
そう言いつつ期間延長したりしてね。
「シネマ2 時間イメージ」も借りたりするかもしれない。
ま、もう少しは生きていたい。(笑)

今日はウチの近くのマックで
涼みがてらワイヤレスゲートをしているが、
エアコンが省エネでぬるい。
汗ばむほど。
熱入れて言うほどのことはないけど。

あ、そうだ。
「シネマ」はドゥルーズが言及するフィルムを見なくても読める、
と、どこかで誰かが書いていた。
けれど、まあできればシナプシスだけでも・・が人情だろう。
現代はyoutubeがあるからいいよねえ。
グリフィスの「イントレランス」だってちゃんとある。
原題で検索かけるといい。
いい時代だ。

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