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α7sとコダックVR35 K4=38mm 抽出。M42改造。このレンズが好きでけっこう使っている。
岸政彦と國分功一郎の討議。何度も読んでみる。「中動態」は國分功一郎の現在「売り出し中」のターム。『中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)』を読んではいないが、書評はあちこちで好評だ。そして僕はそれらの書評で、なんとなくわかった気でいる。w
というのも、もともとスピノザが使ったラディン語(古代スペイン語)であるというパセアルセ。pasearse とは「自分を散歩につれてゆく」というような意味。つまり「散歩」というかランブリング(rambling)は、自動詞的(自律的)なのかそれとも他動詞的(他律的)なのかどうもあいまいだ。
「徘徊」だってそうだ。「徘徊」の様態はどう説明すればよいか。意志をもって徘徊はしない。「中動態」に近いのではないか。
岸政彦といえば『断片的なものの社会学』の冒頭=犬のエピソード。あれを読んだ者はずっと記憶に残るだろう。ふたりの討議はおのおのの個性が滲み出ておもしろい。若い人の討議に参加するようにも読める。(國分43歳:岸50歳)

下は今朝歯科に通ったときに雑誌を。

大黒岳彦「情報社会の<こころ>」(現代思想8月号)を折につけ読み直す。
吉本隆明の「対幻想」を現代的に援用する。それがとても新鮮だ。
この僕は、いまここでもネット社会への参列に手を挙げ、露出し、体よく情報社会に「回収」される、そのようなニンゲンなのだろう。「秘密」はどこへいったのか。「暗部」は、そして「残余」は。「至宝」(というものがあるとして)が安売りされる。大黒岳彦のいう「社会幻想」(一種の共同幻想)から逃れるには、ツールとしてのネットから離れるしかないのか。

外に出て、ファインダで風景を切り取る。そこには「身体性」が付随する。街を小一時間スナップするとわかる。こころが汗をかく。それらの絵をアップロードするその過程(プロトコル)は、明示的で、毒もなければ秘密もない、消毒された自己が記述される。(かのようだ)
まあ、でもさ。僕のばやいは、しょせん「備忘メモ」じゃんか。w
僕ははなっから、自己満足をもくろんで「垂れ流し」しているのです。ちょっと言い過ぎかもしれない。すいません。ネタ探しの渉猟も、楽しい慰安をもたらすひとときがある。家に帰ってSILKYPIXのアイコンに、その日のファイルをドバッと上乗せして一覧する。気に入ったのがあるとしびれる。それだけでもシアワセと感じる。
以下は6ページ連続の抜粋です。ですが一部です。







綾屋紗月

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アマゾンのレビュー記事のキャプチャです。
綾屋紗月についてはサーチなさってください。2件のレビューが、一方は長く、他方は短く、評価は正反対。



以下は僕の「空想」です。一方はシンパシィを抱く、いわば支持者。他方は自身が発達障害をもつ当事者。
シンパと当事者の間には「偏差」はつきものです。

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