中村哲 死す

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中村哲:プラトン主義の転倒

中村哲の三無主義

中村哲という人

昨日(2019/12/04)のこと。
外回りからウチに帰還し、ネットのニュースで中村哲が銃弾に倒れた、と知る。その時点では「命に別状なし」ということだった。妻にそのことを伝えた。ウチは爺さん婆さんソルちゃん皆があっぷあっぷで生存してるんで、哲さんも大変だったなあ、という感じでその場は終息。
夕方に子供から中村哲が死んだ!の一報。信じがたいことだった。

爺はうまく眠りをとれずに起きている。
10年前かそれ以上かトシをとるとあやふやになるが僕は中村哲と遭遇したことがある。
妻はペシャワール会の正会員(僕も遅れて会員になった)。
あるとき妻が使途の当てが無くなった資金をどこかに寄付したいというので、あ、ペシャワールに寄付しようよ、てことになった。200枚くらいある未使用ハガキと合わせてそうだ直接事務局にもっていこう、と考えた。住所を調べ、実際に僕が行った。警固公園から旧福新楼の道路を赤坂方面に歩く。マジかよここがペシャワール会の事務局?と思うくらいショボくて古いマンションの一室だった。
僕が金10万円とハガキ約200枚をカウンタで渡すと、応対した同じ年恰好のご婦人はちょっと迷惑そうだった。アンタさあ寄付は郵便局から送金してよー、ってな感じで、実際カウンタで振込用紙に記載させられた。感謝の言葉も特にもない。でも事務的な律義さに邁進するオバさんがなんだかマットウに見えた。彼女は正規の事務処理をしているのです。「喜ばれるだろうな」と思った自分を少し恥じたもんです。
事務局を出た。ちょうどその時、中村哲と数人がエレベータから出て事務局の方にやってきた。あれまあ日本に帰ってきてるんだと思った。小柄で日焼けして医師というより土方のおっちゃん風だった。ニコニコしている。すれ違いざま何かの会釈みたいなもんがあったか、いやなかったと思う。

以上です。
当サイトで「中村哲」の正規表現検索をする。興味があるお方は読んでみてください。僕の中村哲への関心は当時も今も変わりません。ニンゲンに対しては「逝く」とか「死去」とか丁寧にいいます。「死ぬ」という言いはしないもんです。だけど僕には中村哲は「死んだ」なのです。このトシになれば、「隠れキリシタン」を「潜伏キリシタン」と言い換える欺瞞を正面から嗤えます。前者が上品、後者「潜伏」は下品です。(潜伏なんてしてません、隠していたのです)
ごめんなさい、関係ないか。とまれ、中村哲は死んでしまいました。テロリストは資本主義的なヒューマニズムを憎みこそすれリスペクトしない。今日はこれでオシマイにします。

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このページは、が2019年12月 5日 04:51に書いたブログ記事です。

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