ドゥルーズ: 2013年4月 Archives

認識とは

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 以下はフーコーです。

 したがって認識には、対象との適合性とか同一化の関係はなく、むしろ距離と支配の関係があります。認識のうちには、何か幸福や愛に似たものがあるのではなく、憎悪と敵意があります。統合があるのではなく、つかの間の権力システムがあるのです。西洋哲学に現れる諸々の大テーマは、いま引用したニーチェのテクストの中で全面的に審問されるのです。

 西洋哲学は―この場合は必ずしもデカルトを基準にする必要はなく、プラトンにまで遡ることができますが―、認識の特徴をいつもロゴス中心主義、類似、適合、至福と統一に見てきました。これらの大テーマが今、問い直されています。そこから、ニーチェがなぜスピノザを引き合いに出したのかが理解できます。スピノザは西洋のあらゆる哲学者の中で、適合と至福と統一としての認識という考えをもっとも遠くまで進めた人だったからです。ニーチェは認識の根源のところで、嫌悪や抗争や力関係のようなものを中心に据えるのです。(引用終り:フーコー「真理と裁判形態」フーコー・コレクション6)

 「共生」とか「絆」とかのタームには「愛」とか「同一化」によって裏打ちされた情感がある。18歳の時、僕は親を亡くしたひとから「慰めより一緒に泣いてくれるひとがほしい」と言われた。突き放されたかっこうだがどう応じたか覚えていない。口先上手な僕でも何も言えなかったんではないか。無力だったのだろうとおもう。

 災害ボランティア、そこには何かしら人をして真実に迫らせる情感がある。あちら側とこちら側の間の「切断」や「亀裂」は大きく深い。なのになお接続せんとやまない情動が働く。それは「愛」か? それが「絆」か? そしてそれが「共生」といわれる「認識」なのか?

 長渕剛の「ひとつ」は当時たまたま紅白でみた。演出は単純にみえて凝っている。仕掛けはおおきい。テレビだから仕方ない、歌のお祭りだからそんなもんでしょう、といってそれで済む。あの歌には多くの人が心を打たれた、という。それは理解できる。その「実存」はしごくまっとうなものだろう。長渕剛とともに被災地の方々と「共生」する・・という体験がそこで産出されるわけではないにしても、なにがしかの共感を味わい同一化をものにできる・・とすればそれもわかる。

 それでもそこには審問に付さなければならないある種の「政治」があるのは見逃せない。さきの「情感」を拒むとはいわぬまでも、「情感」から静かに身を離し即物的に対峙している日本人がいるはずだ。その「情感」がどこから由来し、どのように正統性や社会性を増加してきたかをみつめ続けるつとめもありそうだ。社会学者や歴史学者の眼ではない、自分の眼で。「ひとつ」は胸をうつ歌だと思います。歌をきき、その後フーコー=ニチェを参照項として思い直してみてください。あ、そうだ。ダウンロードはしないでくださいね。配信ではありません。

松浦寿輝と村上春樹

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 松浦寿輝の文芸時評。村上春樹の新作には「触れないわけにはゆかない」事情がつねに、すでに、ある。僕の子供は発売当日数件の書店を回ったが売り切れていたそうだ。何なんだろうね、この現象。さて。文芸時評。松浦寿輝がこんな感想をもっているとはね。村上流にいえば、「ふむふむ」となる。「書評」としてのこの言表は新作をよく「評価」していることにはなってない。さりとてあえてとりあげたからには何か言を弄せねばならない。そしてわれわれには、はやく切り上げたいときにこそ長々といとまごいを詫びなければならない場合がある。しばしば、ある。拡大すればちょうど原寸大で読めるようにしています。詩人としてはもちろん、作家としても、なにより思想家としての松浦寿輝が村上春樹に「苦慮」しているさまが感得される。いやしかし、この記事を読んでるあなたはまったく違った印象をもつかもしれない。わたしたちの「イメージ」なるものは実体でも観念でもない。(たしかベルクソン)。まあ、無根拠のイメージです。あなたの実感はまた別でそれを決めるのはあなたです。

キャパの十字架

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(NEX-7/E16mm F2.8 SEL16F28/Photoshop CS)

 明日退院という日にこぎつけた。うれしい。この期間「フーコー・コレクション5 性・真理」を友とした。それともうひとつ。病棟の談話室に入院患者が残置したとおぼしき「文藝春秋2013年1月号」が、フーコー読みの気分転換として、大いに役にたった。  記念に欲しいなと思い文藝春秋社のWebをみると、バックナンバーがある。で、注文する。「ブックサービス」経由で送料100円で届く。「ブックサービス」はヤマトがやっているのか。

「マネの絵画」フーコー

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 阿部崇の訳者解説によるとこうである。
フーコーはマネに託して何を語っていたのか、語ろうとしていたのか、そして何故その書物を放棄するに至ったのか。セゾンによる本書序文にもあるように、そうした話題をめぐってひとびとは推測を繰り返し、フーコー自身はそれに沈黙を守ったのみならず積極的にその記録を封印したこともあって(1970年に日本で行われたマネに関する講演についても、フーコーはのちにその記録の処分を命じたという)、伝説は根強く残り続けた。(引用終わり)
なるほどそうであったか。小林康夫は1970年秋、東京日仏会館での講演に二十歳の時に接した、と書いている。(「空虚の上に足をのせて・・)けれどその要約のテキストすらないわけだ。『マネの絵画』を「監禁先」までもってきた。もう一度アタマから読みなおすために。

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