「マネの絵画」フーコー

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 阿部崇の訳者解説によるとこうである。
フーコーはマネに託して何を語っていたのか、語ろうとしていたのか、そして何故その書物を放棄するに至ったのか。セゾンによる本書序文にもあるように、そうした話題をめぐってひとびとは推測を繰り返し、フーコー自身はそれに沈黙を守ったのみならず積極的にその記録を封印したこともあって(1970年に日本で行われたマネに関する講演についても、フーコーはのちにその記録の処分を命じたという)、伝説は根強く残り続けた。(引用終わり)
なるほどそうであったか。小林康夫は1970年秋、東京日仏会館での講演に二十歳の時に接した、と書いている。(「空虚の上に足をのせて・・)けれどその要約のテキストすらないわけだ。『マネの絵画』を「監禁先」までもってきた。もう一度アタマから読みなおすために。

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このページは、が2013年4月 1日 16:37に書いたブログ記事です。

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