ドゥルーズ: 2010年1月 Archives

アイオーン

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小泉義之はどこかで、今という時間(アイオーン)について

宇宙での星の衝突を例に記述していた。

おなじことを上野修は「ドゥルーズ/ガタリの現在」中の論考で

紀元前44年にローマでカエサルが暗殺されたという歴史上の

出来事を例にアイオーンを記述している。


僕も耳裏のイボを切除した出来事(!)をもちだしてアイオーンに

ついて考えてみたい。

12月初旬の検査(主治医による通常の腹部CTと超音波診断)

によって前立腺と膵臓を疑われた。

(前立腺腫瘍マーカー5.3)

中旬に医療センターでの精密検査を告げられ、

肝臓内科と泌尿器科の予約日が決まった。

その足で僕は皮膚科をたずねた。

スターキーの耳掛型の補聴器がイボのために収まりが悪い。

いっそイボを切除すればと思ったのだ。

そして実行した。

さて僕のイボ切除という出来事は誰にいつ起きたのか?

これが問いだ。

誰に?当事者は僕だ。医師が大失敗でもしない限り

医師にとっては出来事ではあるまい。

ではいつ起きたのか?

「膵臓もあきらかに肥大しています。普通ではない。」

と言われた時から僕のイボ切除は内在していた、といえる。

動揺して家にまっすぐ帰ってもちょっとアニージーかな、

そうだ、イボでも切って痛い目にあおうそれで気を紛らそう・・


イメージしてみてください。

「膵臓」を指摘されたその時、男の過去に伸びる出来事と

未来に伸びる出来事が生成され、なってゆく、というイメージを。

未来に伸びるどこかでイボ切りが「なった」。

同じように過去に伸びる線も変化した。

ベクトルとは違うだろうがそんな感じの線が変わった。

それらを高みから全体的に見通すことはできない。

アイオーンにはそのつど身を委ねるしかない。


時系列上の時を進めて「腸骨の硬化像」を考えてみる。

主治医は僕にはそれを告げていなかった。

12月末の医療センター泌尿器科で初めて知った。

この出来事も新たなアイオーン上で生起した。

そしてそこから過去へと新たな線が伸び、

未来へと新たな線が伸びる。

このとき新たなアイオーン途上の過去にはイボ切りはあるのか?

クロニクル的にはありそうな気がするがそれはたいしたことでは

ないような気もする。

過去のことはおいても未来に伸びる線が変化するのは

容易にイメージできると思う。

医師の語りの中にあるシーニュを読み取ろうともがく「患者様」は

さまざまな線を思い描く。その場では一種の「眩暈」が生じる。


保険会社の女子事務員のちょっとした疑念から犯人にさせられる

ヒッチコックの「間違えられた男」。

僕も「間違えられた男」かもしれない。

タイムマシンで過去に戻ってイボ切りを取り消し、

いったん12月末に戻る。

「腸骨の硬化像」を告げられて耳裏をそっとさわる。

そこにはイボがある。

「眩暈」といったのはそのことだ。

(やはりクロノスにイボ切りが記述されてないと困るなあ)

「バブルへgo」で2007年から1990年に

持ち込まれた週刊誌があった。

あれはタイムマシンで帰還したときにはないんだよね、

と思う「眩暈」だ。


「眩暈」に耐え、ずっとアイオーン途上に居続ける。

それは「希望」のひとつだとドゥルーズは言っているのか?


 

腸骨の硬化像

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元日。元気のいい話からいこう。

小泉義之「ドゥルーズの哲学」(講談社新書)から

少し長いがご辛抱のほどを。

『私たちは、身体の力と精神の力について本当に何も知らない。

何も知らぬまま効能にすがる。

ところが効能は、身体の力と精神の力を当てにしている。

療法が効果を現す場合があるのは、専門家のおかげでもなく、

援助やケアのおかげでもなく、何よりも身体の力と精神力の

おかげである。

そんな力の認識だけが幸福なのだ。スピノザは「エチカ」の最後で、

身体の観念である精神には何か永遠なものがあり、

それを認識することが最高の幸福であると書いた。

ドゥルーズは、何か永遠なものの認識を、

自然哲学・生命哲学と解した。

だからこうなる。

いかに鬱屈していても、

人間が鬱屈するように世界がなっているという

不思議を認識することだけが、鬱屈解消で得られるはかない快活とは

比較にならぬ幸福をもたらす。

どんな療法を受けようが、人間は苦しみ病んで死ぬ。

そんな運命の不可思議を認識することだけが、

最高の幸福をもたらす。

「こんな希望を捨てるわけにはいかない」。』


身体のことで煩わされる事態は続いている。

「PK疑い」はシロ、「前立腺癌」は灰色。(25%の癌確率)

針生検はこちらの意思でしないことにした。

新たに「腸骨の硬化像」を指摘された。

腸骨とはだいたいここら辺をいうようだ。

以下のCT画像はかかりつけの病院で撮った通常の画像。

そのうち5枚だけを flash にした。右腸骨(赤丸部分)には

影がハッキリある。↓

医療センターでの造影CTにはもっときれいに出ていた。

医師が「骨シンチ」とタイプするのがモニタ上に見えた。

「新地がシンチグラフィー撮るんですか?」

と冗談飛ばすのを抑えた。

僕の覗き見を不快に思うかも知れんから。

6日は整形→泌尿器と医療センター内を回る。

「骨シンチ」やりましょう、ということになるのか?

骨に転移している前立腺癌だったらもう癌自体が大変だろう。

何より痛みが来るだろう。

それはナイ、と思う。

・・・・・

サスペンデッドな毎日ではある。

まあ、なるようになるのだ。それが希望というもんだ。

第一このスケベな僕が「前立腺癌」だったらお笑いじゃないか。

人は欲望の強度や力能が集中するところから先立って侵食される。

そう思ってまちがいない。

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