ドゥルーズ: 2015年6月 Archives

特異性とは

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 「間違い」の組み合わせこそがおもしろい、ということができる。
ミス・ショットだけを収集した写真集が存在しても何の不思議もない。
「スタンダード」に特別な地位はない。むしろ「特異性」にこそ特権が存在する。
ところがこの「特異性」は、同一性とか再現性とはそれほど親和性がない。
ゆきあたりばったり。でっちあげ。誤操作。偶然。勘違い・・。それが「特異性」の源泉だ。
そんなことは今や誰もが察知している。
(拡大画像あり)





 Rollei Sonnar 2,8/40 をα7Rに。けれど、APSモード、開放で撮影。(誤操作)
それにしても解像度は高い。レンズにもカメラにもただ驚嘆。
 ノマドがあれほど強く私たちの関心を引いたのはほかでもない、ノマドはそれ自体ひとつの生成変化であり、絶対に歴史の一部ではないからです。
歴史から締め出されても変身という手段にうったえ、まるで別人のようになって再び姿を見せたかと思うと、まったく予想もつかなかった外観に隠れて、社会の領域をつらぬく逃走線に忍び込むあたりが、ノマドのノマドたるゆえんなのです。
ここに私たちとフーコーをへだてる違いのひとつを見ることもできるでしょう。つまりフーコーにとって、戦略でがんじがらめになった閉域が社会であるとしたら、私たちが見た社会の領域はいたるところで逃走の水漏れをおこしていたのです。68年5月は歴史のなかにひとつの生成変化がなだれこんできた特異な出来事であり、だからこそ、歴史学にはこれがさっぱり理解できなかったし、歴史にしばられた社会はこれを自分のものにすることがまったくできなかったのです。
(ドゥルーズ『記号と事件』第4章)

 シャシンしない日は「ほとんど」ない。
ドゥルーズやフーコーを読まぬ日は「まったく」ない。w
生成変化する現動態の生き物だから、ボクは毎日哲学をしています。
というか、ひとはみな、逃げてゆく「いまこの時」を鷲づかみにし、はたまた検証し、すなわち哲学のなかに生きています。
SNSやLINEなんかには及びもつかないスピーディなシナプスがわが小さな脳に生成し、進むかと思えば引き返し・・そうノマドを生きることになるのです。


(レンズSOLAGONを。7s/GR28mm改F5.0相当)

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