ドゥルーズ: 2011年9月 Archives

今日のパセアルセ

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今日のパセアルセ(pasearse)

いつもの土手を歩き始めるが、
道に毛虫がうようよ。踏み潰されたのも多い。
ウラジロの葉を喰う虫がいる。
ここは今日は歩けない、と思う。
多くの人は気にするふうでもなく歩いている。
だが僕は毛虫アレルギー。よって踵を返す。

さて。そこから思いをめぐらせる。
もともと「散歩」には作用者と受動者の閾はない。
僕のイメージは毛虫に占められ、咄嗟に向きを変える。
そういうことだろう。
イメージ(イマージュ)の中で僕は作用者でもあり、
受動者でもある。そこでの主体(僕)は、主体としての
判断をして、身体は歩きの方向を転換する。

イメージの中で主体を獲得している。
主体の中に散歩のイメージがあり、それに呼応して
身体が運動しているの「ではない」。
この日の散歩の途上に生起した事実は、それを物語る。

同時に次のことが言えよう。
身体と精神が並行して運動していることである。
身体、についてはおわかりでしょう。
このからだ、形相です。
スピノザ的に言えば「身体の観念」が及ぶ形相、
ということかな。
精神は、まあ、観念でもいいし、思惟でもいいでしょう。
ここで厳密にすることはない。
だからイメージ、でもいい。

ふたつめ。
身体は表象されるもの、身体として刻印されたもの、
とスピノザはいうが
僕は非十全だから少し違うように感じるのです。
身体には秘密がある。精神にも秘密がある。
身体の秘密はまず身体によって隠されている。
また身体の秘密は精神によっても隠されている。
同じように、
精神の秘密はまず精神によって隠されている。
また精神の秘密は身体によっても隠されている。
そのように思う。
さまざまな属性には秘密のにおいがする。
パラドキシカルな継起、変様もそうだ。
そのような結節点において自己の構成を果たしている。

みっつめ。よってパセアルセは
オートマトンのある種の概念と似るかもしれない。
定かではない。
「十全な観念」(スピノザ)をもてないから、
秘密の匂いに今日も惑うのだろうか。(笑)
仕方ない。それが実情ですから。
「内在の平面」とドゥルーズがいうものが
ここでも稼動していることは間違いない。

(注)パセアルセは、ジョルジョ・アガンベンが
『絶対的内在』の中でスピノザにある概念として
示したもの。「自分を散歩につれてゆく」。

出来事

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ドゥルーズは何よりも「出来事の」思索家であった。
と、言ったのはデリダだ。そこでデリダは『意味の論理学』、
その中でのブスケに触れている。
第21セリーの「出来事」をさしている。

ぼくはここのところ、サイズA1の職人的プリントアウトに
熱中してきた。その表現は、行為は、やはり「出来事」で
ある。起点はあるように思えるが、それはここブログ表象での
言いにすぎない。触発されるからには僕に内在しなければ
ならないなにものかが介在する。

誕生と死のあいだが生なのではない。現働たる生は常に
変様に見舞われる。流れる現働が生であり、それもまた
生の継起にすぎない。
同じようにひきつった職人的プリントアウト!(笑)にも
起点があるかにみえて、それはそうではない。
僕に内在する閃光に亀裂が入り身体がとらえるのだ。

東京都写真美術館や福岡三越が招来の契機としても、
しょせんはちいさな外在にすぎない。
触発を受け僕が職人に「なった」のだ。

「出来事は、到来することの中で、把握されるべきもの、
意志されるべきもの、表象されるべきものである。」
『意味の論理学』(小泉訳)

出来事

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東京のホテルでのことだ。
大分県の温泉地で女性看護師が殺害された事件の犯人が
逮捕された、というニュースをテレビで知る。
1年前に僕は「出来事」という記事を記した。
この事件はずっと気がかりでいた。
ニュースの内容におもわず息をのむ。

犯人の男も同じころ神奈川県から出身地の大分に
向かったというのだ。知り合いを訪ねている。
天体の衝突のような「出来事」=萌芽はすでにここに
あるのか?(小泉義之)
カエサルの暗殺は何時完遂したのか?
紀元前44年のどこに起きたのか?(上野修)
それらの問いと同等のものです。

女性の「死」のどこかに内在的で、微分的な
いくらかの要因があるのだろうか?
男との出会いは、光を受けるのと同じだ。
外在であり衝撃の大きいスカラー値だ、と思う。
一方、男には人を殺める内在的なベクトルが、
触発されて暴力へと変様する情動が、
もともとあったといえるのだろうか?
意図をもって秘湯付近をうろついたとしても、
彼女と出くわすそのことは同じく外在ではないか。

スピノザはクモの合戦をおもしろがった、とある。
ハエをクモの巣に投げ込んでは戦うのを喜ぶのだ。
ハエにしてみれば、おのれの死は外から到来する。
見よ、死はこのように来る。
スピノザはそう言いたいのだろうか?
あるいはドゥルーズは。

人と人が、大分のある地点で「衝突」を果たす。
その「出来事」も何かしらの効果ではある。
が「死」を受肉した個体は自己への効果を
見届けることはできない。
ジョー・ブスケが、自らの「傷」を「運命」とみる、
そのようになすことはできない。
スピノザについての記事を多く書いてるなあ。
東京にもドゥルーズの『スピノザ 実践の哲学』を
バッグに入れていった。
そこで、
スピノザに興味があるお方、僕の選択はこうです。

1.スピノザ 『エティカ』(工藤喜作・斉藤博 訳)
(中公クラシックスW48)

2.上野修 『スピノザの世界 神あるいは自然』
(講談社現代新書)

3.ドゥルーズ 『スピノザ 実践の哲学』
(鈴木雅大 訳 平凡社ライブラリー版)

4.ドゥルーズ 『批評と臨床』の第17章
スピノザと三つの『エチカ』(守中高明・谷昌親 訳)

これらにはミスリードはたぶんないだろう、
そう確信しています。(笑)

コナトゥス 申命記

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主は荒れ野で彼を見いだし
獣のほえる不毛の地でこれを見つけこれを囲い、いたわり
御自分の瞳のように守られた。(申命記32章10節)

あたかも瞳を守るように「自分の自由な本性」を守る。
それがスピノザから学ぶ僕固有の「コナトゥス」であると思う。
今から遡れば25年位前のことだが、
さる同僚女史から「あなたはとりあえず自分を守るからね」と
おだやかに「直言」された経験がある。
他人にはえてしてこのように他者(僕)が見えるわけです。
僕の「コナトゥス」は生来のものでしょう。
スピノザの「実体」「属性」「様態」の概念をみれば、
「コナトゥス」は各個人に、自然に配分されていることがわかる。
つまりあなたも情動的に「コナトゥス」に従い、
自己の構成関係を生きている。間断なく。切断することなく・・
思い出話を付け加えれば、女史はさらに
「卒業式はすべてをきれいにするのね」と、のたまわった。
「学校の魔法」を彼女も知っていたのですね。(笑)

私たちは生きる。そして死ぬ。
死ぬことより、生きることが眼目であることは言うまでもない。
どのように生きるかをスピノザ的に認識することが
今日的にはきわめて重要だと僕は感じている。
そのうえで、ドゥルーズに倣い、情動を構成して生きるすべを
イメージするのです。アレンジメント(アジャンスマン)です。
すなわち「リゾーム」でしょう。
非暴発のしかしパラドックスを含む「リゾーム」です。


記事に無関係の絵。
大東京。六本木ヒルズより。正面が青山霊園。
右に国立新美術館。奥が御苑、神宮、そして雲の下は新宿副都心。
(横1536の拡大画像あり)

エチカ 第五部

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スピノジストならばみな『エチカ』を知っている。
ドゥルージアンはどうか?必ずしもそうではあるまい。
というのもドゥルーズ発明の(?)概念に気を奪われるがゆえに
たとえば「内在平面」、たとえば「リゾーム」に差し向けると
『エチカ』どころではなくなってくる、というぐあいで。

しかしとりわけ「内在平面」、あるいは「リゾーム」ですら
ドゥルーズに対するスピノザの仕業だとしたらどうだろう。
僕はそうだと思っているのですがね。

『エチカ』第五部はスピノザが後になって到達した成果である、
とドゥルーズは言っている。
では、第五部の定理四をおみせします。
OCRをしないでスキャンしてものをまるまる1ページ、
画像です。サムネールから拡大画像を「読んで」ください。
(工藤・斉藤訳)


定理四二まで続く第五部のはしりです。
自由でかつ幸福になるための第五部といわれている。

身体は変様する。感情という観念によって変様する。
しかし衝動や欲望が「なみはずれた」暴走へと突き進むことを
避けうる能動的な観念がある。(変様能力)
私たちが「出会い」のなかで自己を構成してゆくさまを
想起してみてください。私たちは「あいだ」にいて揺れています。
触発し、触発されるが「外部の原因を遠ざけ」たという経験は
あなたにもあるでしょう?
そんな構成関係こそ「コナトゥス」にほかならない、と
僕はひそかに(経験的にはずっと)思ってきました。
身体の変様。自身スピノジストのドゥルーズが
身体のアジャンスマンとしてこれに着目しないわけがない。

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