ドゥルーズ: 2010年11月 Archives

記号と事件

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「唯物論的精神医学とは、」と『記号と事件』は
語り始める。(文庫版P41-)
「欲望に生産をもたらし、また逆の方向から
生産に欲望をもたらす精神医学のことです。
妄想の対象は父親ではないし、(父-の-名)でもない。
妄想の対象は歴史上の人名であるわけですからね。
妄想というものは大規模な社会の機械に組み込まれた
欲望機械の内在性に近い。
あるいは歴史的に限定された社会の領域が
欲望機械から備給を受けることだと考えてもいい。
精神分析が精神病の何を理解したかというと、
それはオィディプスや去勢につながる「パラノイア」の線
なのであって、またそうであればこそ、
オィディプスや去勢のような抑圧装置が
無意識の中に組み込まれることにもなったのです。
ところが妄想の分裂病的基盤、つまり
非家族的な運命を描く「精神分裂病」の線は
精神分析の理解を完全に超えている。
精神分析は狂気の声を聞くことができなかった、と
フーコーが述べていますが、じっさい、精神分析は
あらゆるものを神経症に変えてしまう。」

さて。
アスペルガー症候群はどうなんだろう?
門外漢の僕がいうのはおこがましいが、でも問う。
アスペルガーもひたすら「非家族的」な運命線上を
走り続けているのではあるまいか。
「唯物論的精神医学」のことはおくとして、
ここでのドゥルーズの言を参照項とする、
それは可能か?
適用することはできるか?
結局は何処に行こうがDSMによる基準と処方によって
「脳内科」(新宮一成)的なお薬をもらうことになる。
そんな病がけっこうあるのだ。
「心療内科」。あれは何だ、と思ったことがある。

医師がまず「やまい」について無知なのだ、と知っておこう。
だから僕らはとりあえず
自分を患者となす医師になることからはじめる。
検査も最小限にしておこう。
僕は毎年やってきた「胃検診」を今年はパスした。

場所 33.586971,130.394926

記号と事件

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「じっさい、私たちの関心をひくのは、物や人を、
あるいは主体を導き出す個体化の様態ではない。
それとは違った個体化の様態があるのです。
たとえば一日のうちのある時間、
あるいは地域の個体化、なんらかの気候、
流れる河、そよぐ風の個体化。
つまり〈事件〉の個体化ということですね。
それに、人や主体が存在するという信念は
まちがった考え方かもしれないのです。」
ドゥルーズ『記号と事件』(文庫版)

これだけでも、ドゥルーズという思想家が、
どれほど革新的であったかが感じ取れる。
ほとんど痛切な直感として届く。
概念という名のこれは美しい詩そのものではありませんか。
僕たちはある特異な諸線がおりなす地点で
特異な事態を受肉する。
それこそが個体化とよばれるものであり、
そこにつくねんと在るその人が主体なのだ。

ところで。
半月ほど前「九州国立博物館」にいったおりのこと。
太宰府駅の駅員に二日市での帰りの乗り継ぎを
調べてもらった。
ジャケットの内側から出てきたのはなんとダイヤグラム。
40年ぐらい前に西鉄駅員に尋ねた折にも
使っていたソレだ。
いまでも使うのだ。感動ものだ。

ネットで調べると私鉄では西鉄くらいなもんだ。
しかも小型版を一般配布している。
一昨日天神駅でもらってきた。(拡大あり)

カフカとの対話

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「では老年が、あらゆる幸福の可能性を締め出すのですね」
「そうではない。幸福が老年を締め出すのです」
彼は微笑みを浮かべながら、
すくめた両肩の間に埋めようとでもするように、
頭を前に傾けた。
「美しいものを見る能力を保っていれば、人は老いぬものです」
グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』(吉田仙太郎訳)
(組画像あり)


どういう経緯か知らぬが
国見高校で除籍され、寄贈されたもの。
こちらも借り手は少ない。
10年ぶりの外泊だ。

ドゥルーズは言う。
「書くとは、みずからの思い出、旅、愛や喪、
夢だのファンタスムだのを物語ることではない」

が、たとえドゥルーズにそう難詰されようとも、
人はそれらのものを書き綴る。
もとよりそうすることが、眠る、食べると同じように、
人に欲望されているからにほかならない。

動物になる

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ドゥルーズの基本概念、「動物になる」。
ハンスは諸力の中に引きずられ馬になったのであって、
馬の首=パパ=ペニスなんかじゃない。
ドクターフロイトは何か捉え損なっている・・・と。
いわくドゥルーズの「生成変化」の概念は
『批評と臨床』の第1章冒頭、そこにも、ある。
こんな衣装で漂う概念を僕は偏愛してさえいる。
その第1章をスキャンしてますんで、読んでみます?
(横1150ピクセル)



さて。
これがコンフォートホテルの「快眠ピラー」です。

黒崎ではデパスなしで一睡もできなかったが
うわさのコイツだけはしっかり見届けてきた。
昨日届いて早速使ってみた。
良好。

ハンスは馬になる

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福新樓で2日続けて博多皿うどんを食す。
待ち時間に昨日は「子供たちが語っていること」を読む。
もはやそこではみずからがなるところのものと
みずからとを区別することができないような
近接性のゾーンに到達しつつ、ハンスは馬になる・・
というかの9章だ。『批評と臨床』

今週は用向きで3度も天神に出る。
月曜日のジュンク堂は混んでいて立ち読み。
ミレナ・イェセンスカー(松下たえ子編訳)
『ミレナ 記事と手紙―カフカから遠く離れて』を。
昨日はカウンタで池内紀 『カフカの生涯』。

カフカはATOK変換で「過負荷」になるくらい遠い人?
僕のカフカ体験は高校時代に始まるが
21か22歳の頃、ヤノーホの『カフカとの対話』が
印象にある。「不壊なるもの」もここで覚えた。
県立図書館に『ミレナ 記事と手紙』・『カフカとの対話』を
リクエストする。

位置は、33.591156,130.40058
(コピペしてgoogleマップで検索すると地図)
ジュンク堂横の路地、僕の定点観測地。僕の富良野。
最初は月曜日。5D=ULTRON 40mm F2。
(拡大画像なし)
次が水曜日。5DMark II=EF16-35mm F2.8L II 。
(拡大画像あり)
三脚立てて撮ろうかなあ。富良野だもの!(笑)


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