記号と事件

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「じっさい、私たちの関心をひくのは、物や人を、
あるいは主体を導き出す個体化の様態ではない。
それとは違った個体化の様態があるのです。
たとえば一日のうちのある時間、
あるいは地域の個体化、なんらかの気候、
流れる河、そよぐ風の個体化。
つまり〈事件〉の個体化ということですね。
それに、人や主体が存在するという信念は
まちがった考え方かもしれないのです。」
ドゥルーズ『記号と事件』(文庫版)

これだけでも、ドゥルーズという思想家が、
どれほど革新的であったかが感じ取れる。
ほとんど痛切な直感として届く。
概念という名のこれは美しい詩そのものではありませんか。
僕たちはある特異な諸線がおりなす地点で
特異な事態を受肉する。
それこそが個体化とよばれるものであり、
そこにつくねんと在るその人が主体なのだ。

ところで。
半月ほど前「九州国立博物館」にいったおりのこと。
太宰府駅の駅員に二日市での帰りの乗り継ぎを
調べてもらった。
ジャケットの内側から出てきたのはなんとダイヤグラム。
40年ぐらい前に西鉄駅員に尋ねた折にも
使っていたソレだ。
いまでも使うのだ。感動ものだ。

ネットで調べると私鉄では西鉄くらいなもんだ。
しかも小型版を一般配布している。
一昨日天神駅でもらってきた。(拡大あり)

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このページは、が2010年11月19日 10:58に書いたブログ記事です。

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