記号と事件

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「唯物論的精神医学とは、」と『記号と事件』は
語り始める。(文庫版P41-)
「欲望に生産をもたらし、また逆の方向から
生産に欲望をもたらす精神医学のことです。
妄想の対象は父親ではないし、(父-の-名)でもない。
妄想の対象は歴史上の人名であるわけですからね。
妄想というものは大規模な社会の機械に組み込まれた
欲望機械の内在性に近い。
あるいは歴史的に限定された社会の領域が
欲望機械から備給を受けることだと考えてもいい。
精神分析が精神病の何を理解したかというと、
それはオィディプスや去勢につながる「パラノイア」の線
なのであって、またそうであればこそ、
オィディプスや去勢のような抑圧装置が
無意識の中に組み込まれることにもなったのです。
ところが妄想の分裂病的基盤、つまり
非家族的な運命を描く「精神分裂病」の線は
精神分析の理解を完全に超えている。
精神分析は狂気の声を聞くことができなかった、と
フーコーが述べていますが、じっさい、精神分析は
あらゆるものを神経症に変えてしまう。」

さて。
アスペルガー症候群はどうなんだろう?
門外漢の僕がいうのはおこがましいが、でも問う。
アスペルガーもひたすら「非家族的」な運命線上を
走り続けているのではあるまいか。
「唯物論的精神医学」のことはおくとして、
ここでのドゥルーズの言を参照項とする、
それは可能か?
適用することはできるか?
結局は何処に行こうがDSMによる基準と処方によって
「脳内科」(新宮一成)的なお薬をもらうことになる。
そんな病がけっこうあるのだ。
「心療内科」。あれは何だ、と思ったことがある。

医師がまず「やまい」について無知なのだ、と知っておこう。
だから僕らはとりあえず
自分を患者となす医師になることからはじめる。
検査も最小限にしておこう。
僕は毎年やってきた「胃検診」を今年はパスした。

場所 33.586971,130.394926

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このページは、が2010年11月27日 15:12に書いたブログ記事です。

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