ドゥルーズ: 2018年7月 Archives

ヴィヴェイロス・デ・カストロの『食人の形而上学』(檜垣・山崎訳)届く。
うーん。たのしみだ。


(α7s+COLOR-ULTRON 1,8/50 M42)

反復 リトルネロ

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α7sのテーブルフォト。かかる内的な衝動は常にある。
冗談ではなくスピノザに連なる「情動」なんです。生成されるリトルネロ。そして我という存在が効果としてそこにあるのを感じる。w
差異が発生するように撮っているのではない。フツーにレリーズする。すると「差異」があからさまになる。それが愉しいのでありんす。
拡大画像で分かることではありますが、一枚目hama VARIO MACRO LENS35mmとNEOKINO65mm。二枚目FEDインダスター53mmとズームニッコール35-70mm。
ズームニッコールは50mm=開放での撮影。



α7sとFED=インダスター53mm。L39マウント。M39-M42アダプタリングを使用しての接写。



エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロを読んだのはこの論攷が初めてだと思う。たぶん。(「現代思想」1月号)
現在、訳者の近藤宏=明治大学の野生の科学研究所のレポートにパナマの先住民「エンベラ族」の動物的身体について読むことができる。
(しかし「エンペラ族」で検索して出る彼らの観光客密着の画像を目の当たりにすると、つい割引して彼らをみる自分がここにいる)

それはそれとして、先に檜垣立哉・山崎吾郎訳の『食人の形而上学』が当地の県立図書館に配置されてない時点から僕の食指が行きどまりになっていて、そのこと(止まったままの事態)をも僕は忘れていた。
最近になっていくつかのガイドに接し、春頃、池澤夏樹-石牟礼道子-アニミズムのラインを読む経験も重なって「パースペクティヴィズム」を見逃したままで過ごせない気分が高じた。買い求めるしかないなと、さきごろHMV&BOOKS online で注文をしたところだ。



一方これは、BOSEのSoundTouch再生画面。これを閉じても、それどころかPC電源を切ってもBOSEは鳴り続ける。
ラフマニノフ自身が素早く演奏するOp23のNo.5です。youtubeからmp3を抽出したものをBOSEで鳴らせ、空気振動で聴いてます(補聴器無線ではなく)。無駄に320kbpsでエンコしてます。

最後はフツーのテーブルフォト。今日は話題ネタに使ったインダスター53mmでした。

たとえば作者自身が、「土の中の彼女の小さな犬」(短編集『中国行きのスロウ・ボート』所収)とか、『方法を読む』やらを読んで「たのしむ」というようなことがあるだろうか?
われわれにはそれがある。その手が残されている。フーコーやドゥルーズを寝物語に読むように、それら80年代の著作にあたることができる。読者=ROM専の身に降臨する特権だ。
というのも、こないだ手にした

文学界7月号

ここの太字の短編が三者三様つまらなかった。辛気臭いのだ。(すいません)
「老惨」は死臭ぷんぷん。「三つの・・」も実は同様だ。「胡蝶・・」もなんだかなあ。(ごめんなさい)

どんな場合でも当たりはずれは、ある。残されている「その手」を使って愉しめるものをかき集めることにしよう。
おお!。
途中の、「僕は違う」のくだりは、そうかもしれない。
いやがうえにもフーコーの「侍女たち」が想起される。そしてここにも(このコラムのこと、書物ではなく)マネが登場する。だから、おお!なのだ。目まぐるしいのは横尾忠則その人なのだ、実際。
これは読まずにはすまされぬ。

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