ドゥルーズ: 2012年2月 Archives

ダイソーの額縁

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医療センター での待ち時間はドゥルーズの文庫版を読むことと決めている。今日はこの箇所から始めました。エルマー65mm(ビゾ)EOS5Dでひざのうえのショット。(拡大画像なし)



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体についての第二の命題は私たちに、ひとつの体のもつ触発しまた触発される力を考えよと言う。ひとつの身体(またひとつの心)を、その形やもろもろの器官、機能から規定したりしないことだ。スピノザにとってひとつひとつの身体や心は、実体でもなければ主体でもなしに、様態であることを、スピノザの読者なら誰でも知っている。ドゥルーズ『スピノザ』第6章。

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さて。「ダイソー 額縁」でググルと、花火のようにアイテムが出てくる。これはいい、と店に出向く。おもしろそうなフレームを6コ買う。そしてさっそくつくってみる。(拡大画像あり)



縦フレームの中のマットは厚紙で自作。横はのりパネに貼ったA5サイズをダイソーの卓上イーゼルを使ってみる。たのしいではないか。(笑)4000PXの連続供給をやめて純正インク。もうさまざまなICCプロファイルを試してみる。(30コ以上かなあ。あのsGrayも。)たどりついたのがこれらの色。モノクロはPhotoshoでredチャンネル、編集のグレースケール。ICCはSILKYのPM40PBWP=実はこれはWaterPaper P.(PK)だ。Photoshopの作業用プロファイルでグレーの読み込みをいじっても、最終的にはICCにもっていかれる。一方カラーはsRGBを使うと暗いホンマタカシ風味になる。エプソンのマゼンタを嫌うぼくはこの青みを偏愛している。つまりはICCを自作するしかないのだろうねえ。

内在とは

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ひとは速さ、遅さによっていつのまにか物のあいだにはいりこみ、他のものと結びついている。ひとはけっして始めるのではない。白紙に還元するのではない。ひとはいつのまにかあいだに、ただなかにはいっているのであり、さまざまなリズムをともにし、また与えあっているのである。
ドゥルーズ『スピノザ』第6章

僕たちの身体と精神が、どのように作動し持続し転回するかを現前に示すことは誰にもできない。誰であっても自らの刻一刻の微分的な「展開」を説明などできはしない。僕たちの内在はそれこそいつも小さな津波に襲われる。それを生きそれを反復して差異にみちた日々を送る。ドゥルーズのいうように、何かを始めたのではない。いつのまにか、そうなっていたのである。


SUMMICRON-R 50mmF2 EOS5D

スピノザ「内在的原因」

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「神は、あらゆるものの内在的原因であって超越的な原因ではない。」スピノザ 『エティカ』第一部。
そうなのです。神は世界そのものでありんす。そうした「内在的なもの」が活動したとき(というより、活動しないことはないのですが)僕の欲望は誰の目に見ても歴然と様態化する。
スピノザによれば欲望は衝動と同じものだ。それはとどめようがない。そんなこんなで僕は古いライカレンズをいくつも所有することになったわけです・・(笑)ヒマラヤの壁面のこの場所には、ずっとピンストライプのNY松井秀喜が陣取っていた。エンゼルス、アスレチックス時代もそうだった。
ジャスコにお寿司を買いに行くときのスナップ。いつのまにイチローになったのだろう?そうそう、今日は節分とかでジャスコにお寿司はなかった。ぜーんぶ、恵方巻きだった。初めて恵方巻きなるものを食した。(フツーの巻き寿司だけど)



MACRO-ELMARIT-R 60mmF2.8 EOS5D

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