ドゥルーズ: 2012年5月 Archives
夜眠れずにぼんやりしていた。
そうだこのさいあれを書いておこう。
尊厳死宣言。自己流だけど。
1.人工栄養はしない。
経鼻チューブや胃ろうなどによる延命措置は一切不要。
2.痛みをやわらげる麻薬などは最大限施す。
それが原因して中毒死してもよし。
3.宣言は家族全員の了承済みであること。
4.主治医に迷惑が及ぶといけないので、
警察・検察は嫌疑をかけたり捜査をしたりしないで
欲しい・・うんぬん、である。日付、署名、捺印。
葬式はしない。これは家族に伝えてある。
火葬場で焼いてそれでオシマイ。
私とはそもナニモノか?と、問うて、
僕はまずは「生物」(セイブツ・イキモノ)と答えたい。
ウチの飼い猫はこれといったそぶりもみせず
ある日去っていった。見事というほかはない。
生命を微分の極みまで生き続ける、という考えもある。
わかります。
小泉義之流の生命哲学を僕は尊敬しています。
だが僕はごめんこうむりたい、と思うのだ。
そうだこのさいあれを書いておこう。
尊厳死宣言。自己流だけど。
1.人工栄養はしない。
経鼻チューブや胃ろうなどによる延命措置は一切不要。
2.痛みをやわらげる麻薬などは最大限施す。
それが原因して中毒死してもよし。
3.宣言は家族全員の了承済みであること。
4.主治医に迷惑が及ぶといけないので、
警察・検察は嫌疑をかけたり捜査をしたりしないで
欲しい・・うんぬん、である。日付、署名、捺印。
葬式はしない。これは家族に伝えてある。
火葬場で焼いてそれでオシマイ。
私とはそもナニモノか?と、問うて、
僕はまずは「生物」(セイブツ・イキモノ)と答えたい。
ウチの飼い猫はこれといったそぶりもみせず
ある日去っていった。見事というほかはない。
生命を微分の極みまで生き続ける、という考えもある。
わかります。
小泉義之流の生命哲学を僕は尊敬しています。
だが僕はごめんこうむりたい、と思うのだ。
(NEX-7 アンジェニュー28mm F3.5 TYPE R11)
花村誠一を、あるいは新宮一成を読んだりする。
なにより
樫村晴香の『ドゥルーズのどこが間違っているか?』は
定期的に読み直しをする。
ホンマなところドゥルーズは僕にとって何なのだろう?
ドゥルージアンの論考は実体的に生きうるか?
それはずっと思ってきたことだ。
自分を振り返れる年齢にきている。
振り返れば、即自的でその場その場の「自己産出」を
生きてきた、と自覚できる。
だからドゥルーズは僕の性(しょう)に合っている、
そう感じてきた。今もおおむねそうだ。
それでもこのトシになると少しずつ改まる自分を
感覚する。「改まる?」なんじゃ、それは。(笑)
ああ、なんじゃろ、それは。
暗室作業を再開する、昔のポップスを聴いて感じ入る、
村上春樹の新しいホンを買おうかと迷う・・
どうも、それらの根は同じもののように思える。
で、樫村晴香のこんなところなのだ、常に気にかかるのは。
//////////////////////////////////////////////
例えば、器官なき身体の概念も、
その構成途上での、流体的-尿道的なものといった、
固有の局相をもつ部分こそが本当は印象的で、
これは、キャロルやカフカ等々において、
常に「流動的」な、身体の「部分的-瞬間的伸縮運動」に
ついて語られる時、同時に喚起される。
そして、ベーコンの絵に端的に見られるような、
カタレプシー的ではなく、逆に分離的な身体運動、
―つまり言語-意識総体の圧力(抑圧)を背景に、
意識の完全な外部から原初的な運動が回帰-突出し、
あるいはそれが兆候として利用される、
神経症-分裂病的、あるいは倒錯的な過程ではなく、
身体制御回路それ自体の
ある種オーバーフィードバック的な事件によって、
言語回路を経ずに生ずる、
いわばローカルな身体表層の異変についてこそ、
彼の記述は光っている。
おそらく、彼自身が内在的に抱えていた
「偽装」のイマージュとは、
ニーチェのように分裂病的な、全存在-思考に起動され
主体を巻き込んでいくハードなものではなく、
言語を完全には介在せずに、身体制御上の一領域で
起動されるものだったに違いない。
//////////////////////////////////////////////
諸氏よ、どうです。彼のこの明察は!
僕はね、この部分に限らず基本的に樫村論文を受け入れる。
実は樫村晴香を「受け入れること」が
僕のなかでドゥルーズの「強度」が増すことに
はずみがかかる。奇妙なもんだ。
いや奇妙じゃない。なぜって、
樫村のこの部分はドゥルーズの魅力を
それこそ正当に語っている。
アナタにはどうです?
そうじゃありませんか?
精神医学・精神分析的なアプローチと
僕自身にも生起する「ローカルな身体表層の異変」は
僕の二股DNAの所産です。血に記されているのです。
(NEX-7 VISO ELMAR 65mm/3.5 属性:酒類)
「属性」というものがある。
人であるか植物であるか。
男であるか女であるか。
会社勤めか自営業か。
単身か同居人ありか。
アナログかデジタルか。
手動か自動か。
現代の研磨か手磨きのレンズか。
化学調味料が使われているかそうでないか。
そのような区別があり、属性が決定付けられる。
男性ならばその属性に沿ったトイレに入る。
間違えればトラブルが起きる。(僕は間違えた)
属性に応じて男のトイレに入れば、つまり
適正な「様態」であれば、
僕は女性から睨まれることはなかっただろう。
しかし様態は変容(変様)する。
触発の波を受けた属性はカガク変化する。
女性の服をまとい、化粧をする。
乳房、性器ですらもカガク変化する。
すると彼は属性「女」に成ってゆく・・
これ、なに?の経験が多いほど
たましいは豊饒に触れるだろう。
僕はそう信じている。