ドゥルーズ: 2018年3月 Archives

池澤夏樹=個人編集の日本文学全集30巻のリストです。石牟礼編の末尾からスキャンさせていただきました。(PC・タブレットの拡大画像でどうぞ)
古典は新訳。「古事記」は池澤自身の訳。芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫がないのは驚きだ。個人編集だから「異色」の作家もいる(だろう)。
もう10年若ければ、取り組めるかもしれぬと思う。と、言いながらも嘘ゆうな、の声も内部にきこえる。
本を読む営みが必要不可欠という日常を生きる「人種」が少なからずいる。棲息してる。池澤=日本文学を現に読んでおられる方に会ってみたいものだ。

α7sとコンタックスT3抽出レンズSonnarで撮った今朝(2018/03/13)のヘッドライン。



されど僕に大事なのはこちら。千葉雅也の論攷が目に留まると(コラムの類も含め)すべてチェックします。
いまをときめく(もはやそうではないという声もあるが)「思弁的実在論」をこのコラムで理解するのは少し酷だが、いいコラム。とはいえ、メイヤスーやガブリエルの論旨までは知り得ない。それはやはりそちらにあたるしかない。

そうかやはり「版権」がネックなのか。
フーコーは1984年に死去しているから、34年ぶり。ともかく、ついに、出る。

3月弥生。折々のことば。田中美知太郎。
田中美知太郎は、僕が20-30代の当時、2018年現在立花隆が務めてる文藝春秋の巻頭言をやっていた。義父が購読していたのでときたまに妻の実家で読んでいた。
僕自身の出会いは高校時代(たぶん1年か2年)。岩波の哲学講座。いきなりプラトンがでてくるあれだ。
1948-49年生まれの高校生はみなが(女は除く)「三太郎の日記」やら「出家とその弟子」やら藤村操の「巌頭之感」にかぶれていた。中身にリアリティを感じるのではなくバンカラ気分。懐かしい、というのも恥ずかしい。
流体力学ではギリシャ文字変数がオンパレードだ。僕は工業高校にいて、おまけに誘われてバプテスト教会にまで行ってたから、アガペーは、アルファ、ガンマ、パイ、イータの組み合わせで字面(じづら)を読めた。だから岩波講座の田中美知太郎が鉄砲玉みたいに繰り出すギリシャ単語にも、見様見真似のアプローチをしたものだ。それなりに、ですよ。
一般的に言えば17歳に、「言説」の理解を期待することじたいが無理なんではなかろうか。彼らには単語(用語)をもてあそぶのが関の山なんです。



あ、そうだ。藤村操で思いだした。文藝春秋の3月号の「自裁死・西部邁は精神の自立を貫いた」で保坂正康はこんなふうに言っている。

「日光の華厳の滝で自殺した藤村操、芥川龍之介、光クラブの山崎晃継、そして三島由紀夫と、近代日本には、新たな時代を開いた自殺の歴史がありますが、西部さんの死も、この歴史に連なる自裁だったと僕は考えます。」

このアーカイブについて

このページには、2018年3月以降に書かれたブログ記事のうちドゥルーズカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはドゥルーズ: 2018年2月です。

次のアーカイブはドゥルーズ: 2018年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ドゥルーズ: 2018年3月: 月別アーカイブ

Powered by Movable Type 4.01

photo pages

photos

地上の夜の天使たち