ドゥルーズ: 2010年10月 Archives
ドゥルーズの読み手には
『批評と臨床』が今年になって河出文庫化されたのは
よろこばしいコトにちがいない。
全17章の目次を以下に網羅します。
1.文学と生
2.ルイス・ウルフソン、あるいは手法
3.ルイス・キャロル
4.最も偉大なるアイルランド映画―ベケットの『フィルム』
5.カント哲学を要約してくれる四つの詩的表現について
6.ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ
7.マゾッホを再び紹介する
8.ホイットマン
9.子供たちが語っていること
10.バートルビー、または決まり文句
11.ハイデガーの知られざる先駆者、アルフレッド・ジャリ
12.ニーチェによるアリアドネの神秘
13.……と彼は吃った
14.恥辱と栄光―T・E ロレンス
15.裁きと訣別するために
16.プラトン、ギリシア人たち
17.スピノザと三つの『エチカ
いかがですか?
あなたがドゥルーズの読み手であり、
かつ、未読=「批評と臨床」状況であるとしたら、
これらの章タイトルのキーワードにふれただけで、
一も二もなく入手に走るでしょう。
僕はこれまで何度も、繰り返し、読んでます。
どこを開いてもオーケー。
章の途中から読んでも何の問題もない。
たちどころにドゥルーズの概念が展開されます。
それは彼の他の諸作品の概念に通底しています。
矛盾するかのような概念でさえ、
パラドックスのなかで通じあっています。
これはドゥルーズのzipファイル、概念圧縮ファイルです。
チンして解凍し、気楽に読まれるがよろし。
さてもさて、旅の途中、古賀SA(登り)での
位置は33.73726,130.51716から
南西側をスナップ。うーむ。感じるなあ。
(1536拡大画像あり)
カシミール3Dで調査したけど自信がない。
中央は尾東山?立花山?わからない。
低山だが、堂々としてる。
いいなあ。
『批評と臨床』が今年になって河出文庫化されたのは
よろこばしいコトにちがいない。
全17章の目次を以下に網羅します。
1.文学と生
2.ルイス・ウルフソン、あるいは手法
3.ルイス・キャロル
4.最も偉大なるアイルランド映画―ベケットの『フィルム』
5.カント哲学を要約してくれる四つの詩的表現について
6.ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ
7.マゾッホを再び紹介する
8.ホイットマン
9.子供たちが語っていること
10.バートルビー、または決まり文句
11.ハイデガーの知られざる先駆者、アルフレッド・ジャリ
12.ニーチェによるアリアドネの神秘
13.……と彼は吃った
14.恥辱と栄光―T・E ロレンス
15.裁きと訣別するために
16.プラトン、ギリシア人たち
17.スピノザと三つの『エチカ
いかがですか?
あなたがドゥルーズの読み手であり、
かつ、未読=「批評と臨床」状況であるとしたら、
これらの章タイトルのキーワードにふれただけで、
一も二もなく入手に走るでしょう。
僕はこれまで何度も、繰り返し、読んでます。
どこを開いてもオーケー。
章の途中から読んでも何の問題もない。
たちどころにドゥルーズの概念が展開されます。
それは彼の他の諸作品の概念に通底しています。
矛盾するかのような概念でさえ、
パラドックスのなかで通じあっています。
これはドゥルーズのzipファイル、概念圧縮ファイルです。
チンして解凍し、気楽に読まれるがよろし。
さてもさて、旅の途中、古賀SA(登り)での
位置は33.73726,130.51716から
南西側をスナップ。うーむ。感じるなあ。
(1536拡大画像あり)
カシミール3Dで調査したけど自信がない。
中央は尾東山?立花山?わからない。
低山だが、堂々としてる。
いいなあ。
徳泉川内を歩く。
山野には特殊な「入り口」がある。
その「潜勢力」が僕に作用し
山に深く入り込むことがある。
そんな「傾向」はいつでもリロードできるシステムとして
僕の地層で待機している。
もっとも、
時節の色は深く混然として美しいが
油断すると虫にやられる。
ご用心をというわけだ。
ほんの子供の時分から目的もなく逍遙するのを
まるで日課みたいに重ねてきた。
「傾向」とか「リクライン」といえば済むが、
「深部」でもあり「表皮」でもある。
あるいは、「坂」と言ってもいい。
久しぶりの山野=場所を歩くと
以前とすっかりと変わっていたりして
新鮮な思いをする。
昔の記憶が現前に出て
いまここ、のイメージと綯い交ぜになる。
パレットで絵の具を混ぜるようなもので
記憶といまここが分かちがたくなる。
山野の「潜勢力」と僕に内在する「潜勢力」。
線は複雑になる。事はずんずんすすむ。
そのときの「身体性」の切断面を
ほらこれです、と示すことはできないだろう。
大分県別府市の明礬(みょうばん)温泉で、
若い女性が殺害されるという事件があった。
痛ましい。が、この女性にも「潜勢力」は十全に働き
事は生成した。
通常、明示的ではないにせよ
僕たちはある種の慣れた主観とともに動いている。
「秘湯」を訪ねてとっぷり日が暮れる、というのは
僕にも経験がある。
不気味な地の音を感じながら湯にひたる。
不意に、前提とはことなる状況が指し示される。
山野の「潜勢力」とは本来そうしたものなのだ。
「坂」であり「穴」であってみれば
人は転げ落ちるし、深みにもはまる。
「出来事」という「点」は、様々な「線」の交接点といえる。
女性の軽率な行動が引き起こした事件だ、と
裁断できるものでもない。(気持ちはわかるけど)
山野には特殊な「入り口」がある。
その「潜勢力」が僕に作用し
山に深く入り込むことがある。
そんな「傾向」はいつでもリロードできるシステムとして
僕の地層で待機している。
もっとも、
時節の色は深く混然として美しいが
油断すると虫にやられる。
ご用心をというわけだ。
ほんの子供の時分から目的もなく逍遙するのを
まるで日課みたいに重ねてきた。
「傾向」とか「リクライン」といえば済むが、
「深部」でもあり「表皮」でもある。
あるいは、「坂」と言ってもいい。
久しぶりの山野=場所を歩くと
以前とすっかりと変わっていたりして
新鮮な思いをする。
昔の記憶が現前に出て
いまここ、のイメージと綯い交ぜになる。
パレットで絵の具を混ぜるようなもので
記憶といまここが分かちがたくなる。
山野の「潜勢力」と僕に内在する「潜勢力」。
線は複雑になる。事はずんずんすすむ。
そのときの「身体性」の切断面を
ほらこれです、と示すことはできないだろう。
大分県別府市の明礬(みょうばん)温泉で、
若い女性が殺害されるという事件があった。
痛ましい。が、この女性にも「潜勢力」は十全に働き
事は生成した。
通常、明示的ではないにせよ
僕たちはある種の慣れた主観とともに動いている。
「秘湯」を訪ねてとっぷり日が暮れる、というのは
僕にも経験がある。
不気味な地の音を感じながら湯にひたる。
不意に、前提とはことなる状況が指し示される。
山野の「潜勢力」とは本来そうしたものなのだ。
「坂」であり「穴」であってみれば
人は転げ落ちるし、深みにもはまる。
「出来事」という「点」は、様々な「線」の交接点といえる。
女性の軽率な行動が引き起こした事件だ、と
裁断できるものでもない。(気持ちはわかるけど)
福岡の人にはなじみの風景でしょう。
国体道路の春吉・南新地あたりに
「ウコンの力」がある。
バス窓から見る3枚。
もっとも画角はそれぞれ違う。
16-35の試し刷り、です。
こんなサムネールほどの絵でも
バス窓の反射・映り込みがハッキリわかる。
さて、そんなときフィルタは?・・フードは?と
アナタ、おっしゃいません?(笑)
フィルタを使って「効果」を出すならば
それを使わないのも「効果」であるわけですよね。
ぼくはこれが好きなのです。
ドゥルーズが構造について語るなかに、
空虚な桝目の循環による効果、というのがある。
バス窓の映り込みを排除する狙いは「効果」です。
それはまさに浮遊するシニフィアンです。
それ自体がまた移動します。
いわくゼロ価、国王の位置、です。
(『意味の論理学』第11セリー 小泉義之訳)
もちろん僕の方法・好みだってミメーシスだし
クリシェを免れえません。
でもね、
その場合でも、現実にはつねに差異の線が出るし
トポロジーの形状は変化します。
定型的な技法にかまけて
かえって愉しむ瞬間を奪われる、それが
僕には不都合なんです・・。審美的じゃないんです。
国体道路の春吉・南新地あたりに
「ウコンの力」がある。
バス窓から見る3枚。
もっとも画角はそれぞれ違う。
16-35の試し刷り、です。
こんなサムネールほどの絵でも
バス窓の反射・映り込みがハッキリわかる。
さて、そんなときフィルタは?・・フードは?と
アナタ、おっしゃいません?(笑)
フィルタを使って「効果」を出すならば
それを使わないのも「効果」であるわけですよね。
ぼくはこれが好きなのです。
ドゥルーズが構造について語るなかに、
空虚な桝目の循環による効果、というのがある。
バス窓の映り込みを排除する狙いは「効果」です。
それはまさに浮遊するシニフィアンです。
それ自体がまた移動します。
いわくゼロ価、国王の位置、です。
(『意味の論理学』第11セリー 小泉義之訳)
もちろん僕の方法・好みだってミメーシスだし
クリシェを免れえません。
でもね、
その場合でも、現実にはつねに差異の線が出るし
トポロジーの形状は変化します。
定型的な技法にかまけて
かえって愉しむ瞬間を奪われる、それが
僕には不都合なんです・・。審美的じゃないんです。