ハイブリッド: 2012年4月 Archives
(SONY NEX-7 ANGENIEUX-ZOOM 17-68mm 1:2.2)
『美術手帖』松井冬子、草間彌生の特集号。
アーチストの様態にはどこか特殊なものがある。
特集のお二人にもそれはいえる。
先日の朝日新聞の記事「フロントランナー」が
ヤフオクに出品されていた。
新聞記事が300円で取引されるのだ。
所与の状況、そして変わる状況、
業界にも新たな属性と様態が生じよう。
松井冬子は時の人、とみる。「買い」なのだ。
草間彌生は加速的=疾走的ともとれる生だ。
市民感覚的オンナをやってて
この人たちのアートは生まれない。
キューレターもツワモノであるに違いない。
現代美術のコマーシャル的な様相。
これらはナニモノなんだろう?
アートすなわち商業、の感をもつ。
美術館で絵の前に立つ。
そこにあるのは端的に「絵」なのか?
いや同時に商品とよべるモノなのだ。
代理人がメジャーリーガーをつくるわけではない。
キューレターが美術家を世に出すわけでもない。
松井冬子と草間彌生の並外れた表現、
突出したもの、ほかに例がない独創性、それがすべて、
と言いたいところなのだが・・。
何か下品なエージェンシーを感じてしまう。
『美術手帖』媒体からしてふんぷんたるエージェント。
アーチストは介在なしのアルチザン、などとは
牧歌的なシロウトさんの言うことなのか?
そうではないのではないか。
業界だけのやりとりに、シロウトはソッポを向く。
アーチストは自らの身体と精神を触発するものに
まずは身をゆだねるのだが、
エキシビションの連鎖を追っていたら
買い戻せない何かを失うのではないか?
優れた作家のなかにそれを感じるとき
シロウトはさびしくもあり、落胆もあり・・
興ざめすれば近づかない。
作家たちよ、自己を構成することからはじめよう。
マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし
身捨つるほどの 祖国はありや
林あまりは高校時代に、国語教科書の寺山修司に
まずは惹かれたのだ。
時代は違っても、同じように「現国」の教科書に
触発されたニンゲンはあまたいただろう。
マッチ擦る、を受肉した彼女は
大学時代に生身を曝すように生きたのだ。
短歌はそんな身体=情動を表象する方法としては
うってつけの道具なのだ。
少しまえの「be」の記事を切り抜いていた。
(拡大画像あり)
マーカーの部分に短歌があります。
なにもかも 派手な祭りの夜のゆめ
火でも見てなよ さよなら、あんた
短歌の自己撞着、ナルチシズム、これはそのまま演歌です。
短歌=ウタが自己の現実の様態とかけはなれていく事態、
そのありよう(装置)が徐々にいやになりました。
「火でもみてなよ」は物を殺害する結果の表象です。
反省をする、殺す、ウタにする。
そんな仕掛けは嘘くさく、長くは使えなかった。
マシナリーなら、はたまたサイボーグなら、
属性や様態はもっと夾雑でしょうよ、と。
いつのまにか「サラダ記念日」は雲散霧消して、
僕の皮膚は新しい様態を生きていた。
おなじ空気=様態を生きるトポスを「時代」と呼んでもいい。
そう、僕にも「サラダ記念日」を、林あまりを、
おなじように感受した時代があったのだ。
たまたま東京・町田に行ったおり、
駅に向かう途中の本屋に
それは幾重にも平積みされていた。
若き高校教師=俵万智の「サラダ記念日」を
そのような出会いのなかで購った。
擦過して、あれから何年が過ぎたのだろうね。
身捨つるほどの 祖国はありや
林あまりは高校時代に、国語教科書の寺山修司に
まずは惹かれたのだ。
時代は違っても、同じように「現国」の教科書に
触発されたニンゲンはあまたいただろう。
マッチ擦る、を受肉した彼女は
大学時代に生身を曝すように生きたのだ。
短歌はそんな身体=情動を表象する方法としては
うってつけの道具なのだ。
少しまえの「be」の記事を切り抜いていた。
(拡大画像あり)
マーカーの部分に短歌があります。
なにもかも 派手な祭りの夜のゆめ
火でも見てなよ さよなら、あんた
短歌の自己撞着、ナルチシズム、これはそのまま演歌です。
短歌=ウタが自己の現実の様態とかけはなれていく事態、
そのありよう(装置)が徐々にいやになりました。
「火でもみてなよ」は物を殺害する結果の表象です。
反省をする、殺す、ウタにする。
そんな仕掛けは嘘くさく、長くは使えなかった。
マシナリーなら、はたまたサイボーグなら、
属性や様態はもっと夾雑でしょうよ、と。
いつのまにか「サラダ記念日」は雲散霧消して、
僕の皮膚は新しい様態を生きていた。
おなじ空気=様態を生きるトポスを「時代」と呼んでもいい。
そう、僕にも「サラダ記念日」を、林あまりを、
おなじように感受した時代があったのだ。
たまたま東京・町田に行ったおり、
駅に向かう途中の本屋に
それは幾重にも平積みされていた。
若き高校教師=俵万智の「サラダ記念日」を
そのような出会いのなかで購った。
擦過して、あれから何年が過ぎたのだろうね。
切畝(きりうね)って言うんですね。
パッケージから切り取ったラベル。
長崎県=長崎新漁港にある日野商店製です。
400g入りの箱詰めを割引=2200円で買いました。
4日間独占排他的に堪能しました。
僕は学生のころから渋谷の「くじら屋」で刺身を
くらっていました。
貧乏なくせに鯨肉にはキャリアがあるのです。
食欲に限らず、あの欲、この欲・・欲が深い。(笑)
庭の山椒が、ことしはよく繁ってます。
ぬたで鯨を食しなさい、と誘うのです。
長崎は三重、京泊(きょうどまり)の日野商店に
出向いて食べようか、と思うほど旨いのでした。
長崎県上五島町で「アオブダイ」を食して
中毒死した人がいます。
「はこふぐ」もアオブダイなみの危険度。
これは知りませんでした。
シーシェパードの胡散臭さはどうかなあ。
巷間に知れ渡っているかな、どんな団体か。
僕が情報操作を受けてなければ、
クジラは実は増えている、と思うけど。
まあ、「調査捕鯨」にしたって
乗組員の持ち去り・分配うんぬんかんぬんで
胡散臭いのは五十歩百歩ですけどね。
それらの政治性とはまったく関係なく、
ボクは欲望からミンククジラを食べます。
(拡大画像あり)
石田徹也という作家を知っていますか?
どこかでみたことがあるかもしれませんね。
僕はどこだったか、以前眼にした記憶があります。
テレビ?あるいは雑誌かもしれません。
ググると冒頭のキャプチャのごとく
彼が遺した絵が出てきます。
ここに石田徹也の情報があります。 31歳で事故死。(自殺ともいわれてる)
その余のことはご自分でお調べください。
福岡天神の三菱地所アルティアムの次回展示が
その、「石田徹也展-今を生きる、僕らの姿」です。
小規模だけど、九州では初めてということ。
蜷川実花=二人展のときに得た情報。
三菱地所アルティアムのHP。 4月28日からです。