ハイブリッド: 2010年1月 Archives

カルメン変奏曲

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カルメン変奏曲はホロヴィッツ自身の

名演奏に勝るものはない。

「ホロヴィッツ オン・テレヴィジョン」を

僕が買ったのが確か20歳だと思う。

これも市焼却場で粉砕したクチだがジャケは

これです。(Amazonから拝借)

本家のホロヴィッツと

遊びユジャワンの「双璧」(?)をどうぞ。

Yuja Wang ユジャワン

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alice sara ott と同じように再びユジャワン。

これも flv ファイルのほうがいい。

wmv の1/5 くらいの容量?はるかに軽い。

JW Player で allowfullscreen を false にする。

フルスクリーンさせないぞ、とくる。

JW Player 偉大だね。

All-Player 4 でスナップショットも替えてみる。

再び、みたび alice sara ott アリス=紗良・オット

ストリーミング配信は制約が多い。

フルスクリーンにしたくない場合でも

利用者の Windows Media Player の設定に左右される。

フルスクリーンを回避する方法はいくつかある。

が、最終的には flv がいいかと思う。

埋め込みflv player は以前 mediaplayer3-1-6 についての

記事を書いたが、後で Vista での不具合があった。

気づいた直後から JW Player の最新バージョンを

使っている。

すごいなあ、 alice sara ott アリス=紗良・オットの

ピアノのバックに、鳴ってないオケが聞こえるようだ。

(メモ:ログを見ると"alice sara ott" の検索で

海外から迷い込んでくる人が多い。

以後は alice sara ott アリス=紗良・オットと

表記することにした。

2008年にこの映像を入手したが、最近youtubeに

アップされてもいる。人気が出てきたんだねえ。)

もうひとつ。

石橋美術館

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気付くヒトもいるかもしれぬが

ここんところ数回は記事のフォントフェースを

Times New Roman  ←this font face に戻した。

ブラウジングのフォントを「メイリオ」にしてるヒトは

プロポーショナルの関係で

自作のMT4の仕切りに収まらない。

もうそろそろVista,Windows7 が主流になるし・・

・・・・・

久留米でスターキーP675を調整するのにあわせて

「石橋美術館」をたずねた。

去年の秋から

「ランキングで楽しむ石橋美術館」てのをやっている。

4月18日までだ。

たぶん東京だろうね、特別展・特設展かなにかで

「海の幸」や「放牧三馬」をみている。ブリ美かな。

それとも、20代から久留米には縁があって

近くに何度も足を運んでいたので当の「石橋美術館」で

みたのかも知れない。

帰ってから妻に聞くと自分は2,3度行ったが

ソッチは行ってないんじゃない、という。

そうかもしれない。

ジジイの記憶とはそんなもんだ。

・・・・・

うむ、至福の一日だった。

「夭折の画家」というコーナーがあった。

青木繁29歳

佐伯祐三30歳

古賀春江38歳

早いなあ、死が。

別館にはガンダーラの仏頭(2-3世紀)が出ていた。

調査中なので詳細がわからぬが

仏像ブームなので今回初めて出します云々、と。

これがいい顔だった。元来ガンダーラはいい顔だけど。

メメント・モリ

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長文注意!

この2ヶ月間、僕の表面で起きた出来事を

考えているところだ。

怪我の功名もある。小泉義之=ドゥルーズをやれた。

表面、といえば「表面的」ということばが使われる。

「高貴さ」を対称軸として「内面的」に対しては

普通は軽く・見下げた扱いをうける。

しかし今回僕のからだに起きた出来事もそうだけど

出来事は「深層」とか「高所」で起きるのではない。

事件は深層や高所では起きない。

表面で、皮膚の上で、起きる。

深層や高所で生起することは表面で起きることに

くらべたらせいぜい「効果」にすぎない。

・・・・・

自分なりに概念化してみた。

1.死を思うこと。

2.死ぬことを練習すること。

3.死を生きること。

これらの位相構造は触れ合うことはあるが

互いに別モノと考える。

1.について

藤原新也の『メメント・モリ』を例に。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」で有名な

写真集である。衝撃的といえなくもない。

「死を思う」ことはできる。

が、駒ヶ根美術館に常設の生写真を見たときに

既視感のせいか「死を思う」まで至らなかった。

メメント・モリとはせいぜいその程度ではないのか?

擦過する。が傷は受けない。

2.について

今回の検査は「死ぬことを練習すること」だった。

今振り返ってもその思いは変わらない。

がんを疑われて造影CT、生検、骨シンチと受診する患者様は

この位相構造のどこかにいるだろう。

3.について

がんと確定し余命を告知された場合、

戦闘で致命傷を受肉した場合、

彼は「死を生きる」ことになるだろう。

・・・・・

これらの概念をドゥルーズのなかにたずねる。

『意味の論理学』を読む。命題的になってくるなあ。

僕の表面で起きた出来事を

ドゥルーズの『意味の論理学』第21セリーの

「出来事」に照らしてみる。

ジョー・ブスケが引用される緊迫のセリーだ。

ちょっと横道にそれるが、

小学生のころ映画『ビルマの竪琴』をみて

怯えた記憶がある。

なぜだったのか?

「運命」を引き受ける水島上等兵に

子供ながらも酷薄・恐怖を感じたのだろうか。

一方で同時に青年は過酷な「運命」をあこがれる。

開高健の『輝ける闇』には、弾丸が飛び交うなか

普通に飯を食うベトナム兵士のシーンがある。

振り向いたらいつのまにか倒れていた・・・と。

「運命」に対してかくも静かな死をもって処することに

一種の憧憬をもつ。

これを要するに、現実存在はパラドキシカルそのものだ、

ということ。

到来する「運命」に理想的な自己同定化を企てること、

そのことが倒錯なのだ。

常に分岐して留まらないのがパラドックスというものだから、

出来事はいくつもの位相構造を携えてラッシュする。

そう考えていいのではないか。

そこで改めて問う。

第21セリーでブスケを引き合いに出すドゥルーズに

僕らはどこまで倣うことができるだろうか?

第21セリーに自分はどう反照しているだろうか?

「すなわち、われわれに到来することに値する者になること、

したがって、到来することを意志し到来することから

出来事を解き放つこと、自己自身の出来事の息子になること」

諸氏や如何?

(読み返すといつのまにか、出来事=運命になってますなあ・・)

PSAマーカー

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骨シンチの結果が出てから1週間がたった。

問題の「腸骨の硬化像」は

骨シンチを読影した医師の見立てでは

前立腺がんを疑うような所見はなかった。

医療センター泌尿器科で継続して

PSAを監視することになった。

セルニルトンは服用を続ける。

さて、

PSAマーカーでいう4.0というのはカットオフの数値で

それ以下でも前立腺がんはあるのだそうだ。

僕はPSAマーカーはずっと以前(10年くらい前)から

出ていた。

「異常なし」は浮遊するシニフィアンだ。

が、当時は何も指示しなかった。

「異常なし」というけども4.0を超過した途端に

前立腺がんを疑われるのである。

くどいようだけど 0-4.0 はカットオフなのだ。

GOTやGPTなどにいう上限・下限ではない。

今回自分の過去のデータをチェックしてみて

2006年にはすでに3.6まで上昇していたことがわかった。

定年退職して3日後、突如排尿時の激痛があって

泌尿器科にかけこんだ。PSAはやらなかったが

その時点でも今の値(5.3台)が出た可能性はある。

今にして

「異常なし」が指し示すシニフィエを「オーケー」

と取り違えていたことに気付く、という次第だ。

泣き笑い、だね。

化学物質過敏症

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化学物質過敏症なんて病名はあるのだろうか?

昨日は、香水から逃げ回る天神行きだった。

まず津古のホームで。

次いでスタバでは男。

決まりは帰りの電車で。

鼻から喉の粘膜、舌が痛くなる。

この辛さは他人には理解しにくいようだ。

・・・・・

いいこともあった。

1.シアトルズベストと対面するスターバックス、ここで

シアトルズの無線につながりますな。

2.県立美術館での高校生の写真展。

一階フロアでは大人の写真グループもやっていたが、

比較にならないくらい高校生がいい。

(実はこれはしごくアタリマエの現象なんですよ)

高校生は、祭りとか花とか、滝やら美幌やら・・そんなもんは

撮らない。花鳥風月はジジババのコースと言わんばかり。

身の回りの「なんでもないもの」を切り取る。

それが彼らの記憶であり、記念なのだ。

僕が高校生に似てるのか、彼らが僕に似てるのか

それは知らんが僕は「高校生レベル」なのだ。(笑)

いえいえ僕の誇りみたいなもんですよ、それは。うん。大仰?

みてごらんなさい。これが記録・記憶・記念っていうもんです。

「私とは私の記憶にすぎない」といったのは

ジョン・バースは『酔いどれ草の仲買人』の

桂冠詩人、バーリンゲーム。

↓この身体感覚にもしも何も感じなかったら、

あなた、シャシン見る目がない。いやホント。

↑最後の4枚は特にいいねえ。

クレオパトラの夢

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(医師)「こんな天気の日は来なくていいんですよ。」
(僕)「裏をかいて、来ました。」
・・・・・
「骨シンチ」は来週早々に実施予定。
大雪で、医療センターはがら空きだった。
いつもの90分待ちが今日はすぐさま診察室へ。
(質問)造影剤の後遺症:9日経過後でも発疹、アリやナシや?
(対応)放射線科?に問い合わせ。
ないことはない、という回答。
それはそうだろう。
「差異」というものがあるはずだから。
・・・・・
TBSラジオのお知らせタイムに
あのバド・パウエルの「クレオパトラの夢」が流れる。
なつかしくなって何年ぶりかにCD聴いてみたもんだ。
単身赴任時代、留守電案内のBGMに使っていた。
20年も昔のことになる。暗黒時代だ。(笑)
そのBud の「クレオパトラの夢」を
mp3 に吸い出して置いときますんで、どぞ。4分24秒。

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