ハイブリッド: 2008年10月 Archives

メメント・モリ

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 先だって朝日に藤原新也の書評があった。ノンフィクション作家の久田恵が藤原新也の新著『日本浄土』についてふれたものだ。著者はまだ旅の途上にある、と。「今、出会えて良かったな、と思う」と思わせる作家ってシアワセだなあ。嫉妬してしまうねえ。(笑)書評の中で"社会を震撼させた"(久田)有名なコピー「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」に触れている。『メメント・モリ』のなかのことばだ。写真集でみたし、駒ヶ根高原美術館の常設展示でもみた。検索すればご当人のwebサイトでもみられる。
 「歩くことだけが希望であり抵抗なのだ」とはどうやら『日本浄土』のなかにあることばのようだ。44年生まれ、というから65歳か。『メメント・モリ』から25年経ったそうだ。機会があれば手にとってみたい。

セカンドベスト

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 10月17日付け朝日に岩井克人の『資本主義は本質的に不安定』という記事があった。ついこのあいだ15日、僕は「ワルラス均衡」のブログ記事を書いたばかりだったので、オッと思った。60年代からの新古典派経済学の思想が今回の金融危機で破綻した、というものだ。資本主義が不安定なのは基本的に「投機」によって成立しているからだ。いや通貨自体が投機だ。通貨は自己循環論法で支えられているにすぎない。もともと不安定だ。効率と安定の共存はもともとない。理想状態がないならば、効率的なパッチワークをそのつど施していくしかない。より良いセカンドベストを求める「永遠の実践主義」でいかざるを得ないというのが岩井記事の概要。
 しごく当たり前のハナシだ。1万円札を道端に見つけたら拾うだろう。それはその紙片で購入できるものが分かっているからだ。1ルピー紙幣だったら迷うだろう。価値がわからないからだ。基本的にそれらの心情は「投機」なのだ。思うに「投機」は人生そのものだ。憶測し、決意し、身を投ず。それが永続的な「均衡」や「安定」を生むはずがない。
 僕はこう考えている。「均衡」には「不均衡」の萌芽があらかじめ内蔵されてある。いいですか?あらかじめ、です。「不均衡」には来たるべき「調整的な均衡」が期待されている。そうみるべきなのだ。 経済の問題はすぐれて歴史の問題である。したがって生の問題なのだ。

Tommie Young

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 10月、まだ暑い日もあるっちゅうのに、「駅伝」の話題。箱根駅伝の伝説ともなっていたトミー・ヤングの"I must go"が今年はなぜか使われなかった。しかし、自分で創るシトがいた・・・これぞ日テレ裏編集者!という記事を以前書いた。ここはひとつ"I must go"と裏編集者に敬意を表して復刻版を・・と思っていたら・・・youtubeから消えていた。そんなわけで自前で、rm⇒avi⇒wma変換の"I must go"をmms配信します。これは"本邦初出"だと思う。音質は若干落としています。(注:現在はmp3で)



なお歌詞を確認したい人のために以下にあげておきますね。Fatherはキリスト教の父なる神のことです。曲自体は箱根駅伝とは縁もゆかりもありません。詩は決意に満ちた美しい詩、ともいえる。

I must go where He leads me
I must follow till we are free

Voices , visions made my decision
I hear my Father calling me

Chains can't bind me
And fear is behind me
For I hear my Father
He's calling me

I must go where He leads me
I must follow till we are, are free

Life He gave me
Men can't enslave me
For I am a child of destiny, of destiny

ワルラス均衡

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 学生時代のことだが、プリンストン帰りの教授から「ワルラス均衡」やら 「パレート最適」やらの講義を受けたとき、 「ほんとにそうなんだろうか?」と半信半疑だった。経済全体を見渡すメタレベルで、神の手が動き、均衡や最適をもたらす・・腑に落ちない気持ちがした。だけど僕の小さなアタマで反論なんてできっこない。(笑) 今思うにこれは、若いころ言語について言語で語るしかない矛盾を感じたことと同軸の居心地の悪さだった。
 自己を語る困難性は 自己を語るためのメタレベルが存在しない、ということに由来する。言語は実は自己を明かせないでいるのに自己を明かさないでは生きてゆけない。不問に付さないで済ませる「自己」などありえないのに言語は、コトバは、自己を語る十分なツールたりえてない・・こんな考えは高校時代からの僕の重大な悩みだった。

カラーバランス

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 デジカメ一眼にリバーサルフィルムのような繊細なカラーバランスの問題があるのかどうか知らない。昨夜三脚もって外に出てみた。いわゆるデジイチでこんな試みは実は初めてだ。↓セルフタイマ,32mm,F9.0,マンションをスポット測光,秒数30"。家のそばの空地。



 もう一枚はさる廃院の前。ぺたんと座って30cm高から見上げる。猫が4匹集まってきた。猫と話す。うち1匹が廃院入口前に移動。院内の黄色傘立て左あたりに・・わかります?28mm,ev-0.3,f9.0,秒数25",セルフ。ドアの貼り紙にはこう書かれてある。
患者様へ
このたび平成十八年十二月末日で
閉院いたしました。

敷地はしかし定期的に手入れされている。

愛と雲のゆくえ

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 雲がきれいだ。 で、出かけた。カメラが重い。トシだ。 途中のどが渇いてセブンでキリンの「PREMIUM無濾過」を買った。3本買ってセブンの店の前(正確には脇!笑)で 飲んだ。立ったまま(座って飲んだらキチガイだもんね)飲んだ。鬱憤がハレた。330*3=1リットル近く飲んで、酔った。しかし、それから雲がますますキレイになった。酔眼で気持ちよくシャシンした。ラーメン屋に寄る。 手に取ったマンガは「課長島耕作」の第4巻(たまたま4巻)。典子が高田馬場方面に向って「メリー・クリスマス・・・」と呟いてグラスをあげる・・ アノ場面が4巻にあった。15年前ボクは旅先のレストラン(というか食堂)で初めて「課長島耕作」のこの場面に出会った。 偶然は重なるから、今日はタイトルを愛と雲のゆくえにした。オーケーだ。

Anna Netrebko

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 以下ディーバが連続しましたなあ。hisaaki.com=移行のこれだけは外せない備忘的記事。アンナ・ネトレブコである。正真正銘のディーバです。これもケータイF906iに入れた。ケータイついでに言うとレオナ・ルイスのこれはコンテスト場面? "Without You" も入れる。うまいなあ、って今のところ感じている。ついでに中島美嘉+勝手にしやがれの"You'd be so nice to come home to" も。(マリオネットじゃないほう)こっち(中島)は眼を閉じて聴くと、うまいのかヘタなのか、ようわからん。ま、お三方とも「美形」だ。それだけでも満足。(笑)じゃ、話をもとに戻して、うまさで黙らせるアンナ・ネトレブコをようつべで、どぞ。

Leona Lewis

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 レオナ・ルイスを薦められて、CD 「spirit」を全曲聴いてみた。その間検索であれこれチェックしながら。ベジタリアン。毛皮・バッグのたぐいは身につけない。20年に一度の「ディーバ」。全米チャート1位だが、マライヤ・キャリーには及ぶまい、うんぬん。以下は「Footprints in the Sand」だが、「リクエストによる埋め込み無効」なので youtubeに直行。一見の価値はある。画質OK.

Diva

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 「ディーバ Diva」(1981) この映画は忘れられない。ずっとコレにこだわりをもつが、理由?・・自分でよくわからない。コレどこで観たのか?二子玉川あたり?あのころフランス映画は長かった。(笑) ディーバたるシンシア・ホウキンズ。(ウィルヘルメニア・ウィギンズ・フェルナンデス)のLa Wally (ワリー)を「ようつべ」でじかに聴くことができる!なんて素敵な時代に生き延びていることか。埋め込みflvplayerで。
 新宮一成の『ラカンの精神分析』のなかでも"他者の語らい"の部分はもっとも美しいシーンだと思う。「ヨハネによる福音書」8章のパリサイ人の問うエピグラフが精神分析のキーワードであることを見いだしたラカン=新宮センセの技量には敬服するしかない。しかし「自己言及の不完全性」がはっきりしていてもわれわれは日常さまざまな場面で、自分がそも何者であるかを証し立てなければすまされない。生を受けたからには他者の前で自己が何たるかを記述しないではニンゲンとして通ってゆかない。新宮センセはそれをいみじくも「受難」と呼ぶ。その通りだと思う。
↓今朝の街角。↓ こんな風景を好む。バカみたいでしょ?数日後はうんと寒くなる、という。

心斎橋筋1丁目

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 DiMAGE Scan Elite 5400のトーンカーブを最大限駆使して別コマにかすかに写り込んでるティラノサウルスを出してみた。凄いことになる。でもデジタル処理的にはここまでできるんだねえ。このフィルムの傷は何なんだ?現像がこんなにヒドイってこと?それはともかく、場所は心斎橋筋1丁目ということがわかる。
都島タクシーの配車センター?
アップルストアがある付近かな?そういえば堀江方面からてくてく歩いてきた記憶がある。まあ「記憶」ってのはあとから補強するもんですがね。(笑)

トライX

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 これも同じ日(99年8月16日)に現像したものだ。 「書店」コマとは別フィルムだがやはりトライXを1600で使いSPDで現像している。 暗闇の白い点は星ではなくホコリか傷だと思う。 大阪。

ニューシーガル VC-FB

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 オリエンタルのニューシーガルを使っていた。VCは多階調、FBはバライタ紙の意味。フィルタは何号を使っていたか手元にプリントメモがないのでなんともいえない。コレ↓はまた何いうプリントじゃ。印画紙に斜めにプリントしている。(というかイーゼルにカミを斜めに置いた)でもまあ額装するとき大調整をやったんだろね。古いハナシ。
 思い出した!
ダイアン・アーバスやロバート・メイプルソープを読み(?)ふけったであろう書店のネガがあったはず・・
これだ。大阪。たぶん心斎橋近くのこのミセだった。時は1999年8月か。GR1でトライXをISO1600にして撮影しSPD(スーパープロドール)で、22度、5分30秒という現像メモがある。いやあモノクロ時代がナツカシイ。ほんとに。画面いっぱいになるけど、ここにメイプルソープの写真集が鎮座してるかもね。ちなみにDiMAGE5400Ⅱでスキャニング。

俺に是非を説くな

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 「俺に是非を説くな激しき雪が好き」
野村秋介の『銀河蒼茫』中の句を定時制の生徒に対して話したことがある。あわせて
「看守にもいゝ人がゐて木の実をくれた」も紹介した。そんなことがあった・・。

飯島愛 岸部シロー

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 先日
飯島愛のポルノ・ホスピタル Powered by アメブロ岸部シローの四郎マンション をハマって読んだ。
セイゴオちゃんねるやら内田樹の研究室にもハマったけど・・。
いやあ、ブログのチカラとでもいうほかないものがあるんですね。個人の「物語」にあれほど多くのニンゲンが付き合ってくれるんだもんね。「四郎マンション」を読んでると、シローさんに「相棒」の一徳さんが、小野田官房室長のノリで「おまえはねえ、いつまでもそうなんだから・・」と登場しそうな雰囲気。じゃありません? ドラマ仕立てで読んでます、僕は。

カラヤン

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 検索かけると「エスプレッソの扉」の過去ログにも出るカラヤンことK氏が焙煎するコーヒー。その香りは一度味わったら生涯(おお!)忘れられない。なくなってしまったギャラリー「アレンジ」で飲めたが、今は?
さて、ここがたぶんK氏の「現場」だと推測するが、営業しているふうには見えない。(ごめんなさい)しかし、このたたずまいは実にポップだ。見惚れてしまう。こらえきれずにシャッターを切った。

ブロガー 内田樹

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 内田樹なるジンブツを知る。(はいはいはい・・わたしゃ知らなかったんです)(笑)同僚から教わりまして・・ググリました。2005年「ユリイカ」に記事がある・・ということで、「ユリイカ」を引き出す。「史上最弱のブロガー」・・コレは読んだ記憶アリ。Wikipediaをスタートラインに渉猟しはじめるが、ま、当のブログを読むがいちばん、といくつか読んでみる。ふむふむ。おもしろい。たのしみができた。

もりのなか

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 ほんとうに「それ」だと気付かぬまま通り過ぎてゆく。シャシンは山歩き以上に一人旅を求める。細心の注意を払わなければ巡り合えないものに出会うためにも。ヒトを撮る行為は時に 「それ」と巡り合いたいぼくの気持にそぐわない。ならば(だから)ヒトを巡り合いの風景のように・・・と思いはじめるわけだ。

純愛

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 いやあ、いいブログタイトルやねえ。大人には"純愛"はないスよねっ!17歳にはあっても。いいトシした大人が"純愛"しちゃうと何かを破壊しないではすまないもんね。(笑)精神分析的なアプローチが必要になるのはしかし、泥沼をケイケンしたあとになるわけよフツーは。

ユリイカ

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 青山真治の映画ではなく、雑誌の。以前「枕元」のホンのことを書いたが、思い出したことがある。『ものぐさ精神分析』、『続ものぐさ精神分析』(中公文庫)を「枕元」にしていたことを。学歴詐称でも有名になったりする岸田センセに着目したのは、センセが「ユリイカ」にしばしば登場していたから。ま、昭和の時代ですが。給料は安いくせに、文芸誌をたんまり買っていた。文芸5誌のほか、「現代詩手帖」や「世界」それに「太陽」までも・・・。何考えていたんだろうね。ともかく、岸田センセのくだんのホンは「ユリイカ」などに掲載した雑文(失礼!)を寄せ集めたもの。なつかしい。ところでタイトルの詩誌「ユリイカ」。これをまとめてヤフオクしようと企てたことがある。2、3年前。(未遂)そのとき撮った写真が、HDDに残ってる。30年分かなあ。金子国義の挿絵も見える。Macゲームで『Alice/アリス』ってのがあったよなあ。

UNTITLED

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 hisaaki.comにアーバスのことを書いたことがある。セルフポートレートや「UNTITLED」・・それらをどこで見、 写真集をどこで手にしたかはっきりとした記憶はない。 大阪に行った時、心斎橋あたりの書店だったかな?
 メイプルソープ、深瀬昌久、牛腸茂雄・・にも同じような衝撃・共感をもつ。 ようするに"イカモノ"に惹かれるのだ、端的に。性向だからしかたない。 メイプルソープにも有名な"UNTITLED"群がある。 シャシンは本来すべてがUNTITLEDだとぼくは考える。 今のいま思い出したが、10年くらい前、 県か市の美術協会の依頼で全紙のセルフポートレートを1枚 展示したことがあった。そのタイトル(?)が"UNTITLED"だった。

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