Results matching “藤田嗣治” from 新地のドゥルーズ
野見山暁治の『4百字のデッサン』(1978年)は書下ろし、「戦争画とその後―藤田嗣治」から始まる。もしかしたらアッツ島玉砕の絵の件で公式に触れたのはこれが初めてなのかもしれぬ。僕が以前読んだ記事と少し違うなあ、と思いつつも放っていた。ふと思い当たる日が訪れ、探し出したのが10年前のユリイカだった。両者の間には30年間の隔たりがある。
結果的にはあれこれいうほどの差はなかった。記憶は再構成される。表象での「再現」に事実は宿らない、とみていい。
フジタの記事は目についたら必ず手に取る。しかしこの性向にはなにがしかの「疲れ」も付随する。もう、いいじゃんフジタは、と思っているのか?
昨年、最初の妻、登美子あての書簡が人文書院から出た。林洋子監修、加藤時男校訂。これは以前の「資料集」を書籍にしたものだろう。もう何年まえのことか、当の「資料集」を送料込みで5000円で頒布する、と前述のユリイカ誌上の加藤氏記事の末尾案内に気づき、遅まきながら電話で問い合わせをしてみた。ないんです、と加藤氏に言われた。今回の書籍というのは上下巻でその資料集の3倍近くの価格になる。やれやれ。w
それはそうと、自分自身の備忘のためにフジタのことについては過去に何度か記事にしている。
こんな具合です。
「現代思想」というタームに、
フレンチセオリーというルビがふられる。
「現代思想」一月号の2冊の臨時増刊号では歴史的なフランスのセオリーに、いまどのような反応が出来しているのか、を知らされる。
偶然の特集ではなく編集部の意図がある、と思った次第。
「ポスト現代思想としての日本哲学」(檜垣・北野)のなかに、日本人は日本思想と西洋思想の「2階建て構造」に住んでいる、というくだりがあって、思わず苦笑する。
翻訳語(言語の壁)に関するいつもの雑念が脳裏をよぎる。
ジジェク=『事件』で、鈴木晶は
古池に 蛙が飛び込む ポットン
と芭蕉の句を訳している。
田中美知太郎の括弧内ギリシャ語をみるたびに、ギリシャ語を知らなければ哲学はできない、と引け目とともに過ごした高校生時代。
フーコーは吉本隆明との対談(蓮實重彦もいたが)で、あなたの本が早く翻訳されることを望む、と言っている。
(その吉本は「2階建て」の話題に登場する)
世界中で作品が翻訳されている村上春樹は、翻訳者と会って打ち合わせをやるらしい。(どこまで可能かは不明だが)
1913年に藤田嗣治は渡仏。自分で機織りした「雑衣」を平気に着て、モンパルナスで評判となっていた。いち早く仏語を覚え、語り、溶け込み、フランス世俗をものにする。
「美しい書物はどれも一種の外国語で書かれている」『批評と臨床』
云々かんぬん・・。
コトバは言語学の構造的な諸問題とは別にその場所にリアリティが立つかどうかが肝だろう。
リアリティが湧き立てば、ポットンでいいし、ポットンでなければならない、とさえいいうる。
日本人が日本語で世界に語る、そんな文化空間が到来するとは考えにくいが。
(α7R,Durst Componon105mm5.6)
Wikiで知れるが、野見山暁治は1920年の生まれらしい。95歳だ。
田中小実昌つながりで知った。コミさん自身が、カミサンは野見山暁治の妹だ、なんてことをどこかに書いている。
忘れもしない『ポロポロ』は1979年だから僕はそのころ野見山暁治を知ったのだろうか。絵は石橋美術館で見れる。東京ではどこかの駅でも見れる。
ともかく。『文藝春秋』の記事をPhotoshopPDFにして
ここに
置いてます。2ページあります。
さてと・・。
このハナシを何度もする野見山暁治のことを思った。
藤田嗣治の強烈な残像が刻まれるハナシだが、なぜ何度も話すのだろう?
老いか?
そういいながらも新鮮な気持ちで野見山のハナシに膝を寄せる。僕こそが老いか?
特別な脳内物質が出るのだろう。
高校の頃、ゴッホ、ゴーギャンを好きな下級生がいた。その男のアパートにゆくとまさに貧乏画家のアトリエ然の部屋だった。
僕はそのころモディリアニに惹かれていて、それも誰かの影響だった。
互いに「他者の欲望を生きる」ことは若者の証明、特権みたいなものだったのだろう。
「エコール・ド・パリ」関連から藤田嗣治を好きになったのだと思う。
爾来半世紀も藤田の絵や文献とつきあってきたことになる。
去年(だったか?)竹橋の近代美術館で「アッツ島」の前に立った時、野見山暁治の話を思い出し、胸が熱くなった。
「アッツ島」が公開された当時、絵の前に賽銭箱が設置されていて、近くには藤田が軍服姿で直立不動で立っていた。賽銭を投ずる人にいちいち敬礼をしていた・・。それが野見山が目撃した話だった。
絵というものは不思議だ。アトモスフィアを携えてそこに君臨する。絵の前に立つと、藤田の生涯のパノラマに触れるがごときだ。藤田が現前するがごときだ。
しばしば絵は戦争で国境を移動する運命に遭う。「アッツ島玉砕」はアメリカが持ち去り、現在は日本に「貸与」されている絵だ。これも奇妙な事案だ。
朝日の「戦後70年シリーズ」記事でいろんな逸話が再現される。藤田は痛々しいくらい濃密で熱の人だった。
拡大画像で記事が読めます。
(α7R/Sonnar 1:2 f=85mm/SILKYPIX)
「パリ留学初期の藤田嗣治」研究会の手になる『藤田嗣治書簡-妻とみ宛』全4巻を通読する。これはやはり第一級の資料だ。借り受けの期間はあと1週間ほどある。まだ繰り返し目を通すことはできる。ところで。上の絵の奥にあるのは「ユリイカ」2006年5月の特集号だ。その中にはこの書簡集の編纂に深く携わった加藤時男氏の論考もある。そこで僕は、氏に頒布用の資料がいまだ残っているかFAXで問い合わせる。残余はないという返事であった。いたしかたない。当地の県立図書館をわが蔵書と見立てて、藤田書簡に会いたければ借り受けすることにしよう。それも「夢」がありそうだ。
閑話休題。県立図書館が僕の住む街に移転するという。生きているかどうかはわからぬが、老いた僕が藤田にまた会いたいと足を運ぶかもしれない。実は、新しい県立図書館はここに建つのでは? と僕が密かに想像する場所がある。そこまで歩いてゆく日が実現するかもしれぬ。
昨今書物に限らず、モノを増やしたくないという気持ちが強い。にもかかわらず僕の所持品はまだ増え続ける。藤田にかかわる書物や図録もまだ増えそうな予感がする。これも「いたしかたない」。「いたしかたない」ことは受け入れるしかない。
藤田が永遠に日本に見切りをつけてパリに戻るのは彼が64歳のときである。今の僕と同じトシだ。どんな思いであったろう。
近藤史人の年譜にはこうある。「1950年(昭和25年)64歳。2月、パリのサン・ラザール駅に到着。美術雑誌は『かつて一時代の中心だったが今はひとつの大通りでしかないモンパルナスに一人の亡霊がやってきた』と、書いた。」
日々は流れる。藤田がいまゆくりなくここに到来し、挨拶をしておもむろに立ち去る。出来事とはそういうものだ。そして再来(反復)しおそらくは新たな「出来事」があるのだ。
第一級の資料、と第一巻の巻末にある。まさにその通りだと思う。後世の藤田が「自伝」でも一切触れなかった最初の妻とみ。とみを恋しがる様子や渡仏直後のいきいきとした暮らしがここにある。第一次大戦勃発の頃フランスで藤田がどのように自らの芸術を編み出していったかが、「恋しい」妻とみ宛ての三年余りにわたる179通の手紙の中に見事に表出されている。僕はようやく第一巻を読み終えようとしている。雨の日に図書館に借り受けに行く。濡れないようにビニール包みにくるんでくれた。2006年に借り受けた人物がいて、この県では僕が二人目の借り受け人である。
おりしも先だっての「日曜美術館」に続いて民放では昨日(2月11日)こんなスペシャル企画があり、それもみる。が、書簡集からはそんな企画が吹き飛ぶくらいの圧倒的な藤田が立ち現れる。
ここです。
最初の妻とみ宛ての書簡も公開されてるとか。有名人は後々大変だ。いろんなものが公開される。調べたら全4巻のとみ宛て書簡集がある。ホンになってるのだ。県立図書館に借り受け予約を入れる。
キキの埋葬に最後まで付き添った男。
日本人=同業の画家に妬まれた男。
日本芸術院会員を辞退した男。
国籍を捨てた男・・・
と、若い頃から特別な情動を駆使してみ続けてきたものだ。
ツグジの絵があればできる限り出向いた。
十数年ぶりに、図録を買った。
ポーラ美術館とフジタの記念に。
ポーラ=フジタらしいおしゃれな図録だ。
僕の「純粋記憶」はこの図録を手に取るたびに
このあと幾度も幾度も更新されるのだろう。
そも「記憶」とはいったいなんだろう?
フジタを思えば、高校時代の画家志望の男のことや
ゴッホとゴーギャンの逸話をうわごとのようにする男、
エコール・ド・パリの作家たち、とりわけモジリアニを
好きだった女のことなどが浮かんでくる・・・
「記憶」がここに再現前する。
再現前?いやいやそんな表象でまとまる感情ではない。
ひとつひとつが入り組んで、陶然となる。
僕の思い入れ満載の作家なのだ、フジタは。
(クリックで横1800の拡大画像)
さらにEOSの最大画像、横5616がここにある(笑)
死を回避した哲学(松浦寿輝)
現実-強度を、強度についての言術-隠喩の水準で処理する
(樫村晴香)
いちいちもっともである。
ドゥルーズの調書(長所の変換ミス)、
彼の調書を取ったとすると、
短所があからさまになる風でもあるのだ。
パラドキシカルなのがドゥルーズである。
まるくおさまるのが僕のドゥルーズだ。
器官なき身体=リゾーム=アレンジメントであるどころか
内在平面(存立平面)ですら等式でよろしいのが
僕のなじんだドゥルーズだ。
小説家がしそうな「幻想贈与的」なドゥルーズに
僕はなにより惹かれた。だから身も蓋もないけど、
それを承知で流れ入る。
『現代思想 2008年12月号』を置き忘れてなかったか
天神の数軒の店を尋ねて回った。見つからず。
再度買うしかないか。
カメラが重いときは体調もよくない。
ジュンク堂で2時間、jQeryやCSS関連を南側カウンタにて
読んでみたが大半は居眠りしていた。
も少し若ければたぶんjQeryに飛びつくだろう。
ちなみに突貫工事ではありんすが、
Lightboxでシャシンを動かすとこうなります。
(loading.gif以外はデフォルトです)
ここをクリック 天神に出て食指が伸びないのは街に飽きたのか。
春になれば箱根で藤田嗣治の回顧展があるという。
かの「乳白色」はシッカロールだった、
うんぬんの記事をネットで読んだ。
土門拳が撮ったシャシンにシッカロールの缶が
写り込んでいたという。へえ、そのシャシンを見たいな。
ま、これもネット記事の「幻想贈与」ですかね。
移り気:天神様→箱根権現、春は箱根(ポーラ美術館)に
出向きませうかね?
参考までに「ユリイカ2006年5月号」に
林洋子「乳白色の下地の誘惑」という論攷がある。