ドゥルーズへの批判

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ドゥルーズには他者性が欠如している(宇波彰)
死を回避した哲学(松浦寿輝)
現実-強度を、強度についての言術-隠喩の水準で処理する
(樫村晴香)
いちいちもっともである。
ドゥルーズの調書(長所の変換ミス)、
彼の調書を取ったとすると、
短所があからさまになる風でもあるのだ。
パラドキシカルなのがドゥルーズである。
まるくおさまるのが僕のドゥルーズだ。
器官なき身体=リゾーム=アレンジメントであるどころか
内在平面(存立平面)ですら等式でよろしいのが
僕のなじんだドゥルーズだ。
小説家がしそうな「幻想贈与的」なドゥルーズに
僕はなにより惹かれた。だから身も蓋もないけど、
それを承知で流れ入る。

『現代思想 2008年12月号』を置き忘れてなかったか
天神の数軒の店を尋ねて回った。見つからず。
再度買うしかないか。

カメラが重いときは体調もよくない。
ジュンク堂で2時間、jQeryやCSS関連を南側カウンタにて
読んでみたが大半は居眠りしていた。
も少し若ければたぶんjQeryに飛びつくだろう。
ちなみに突貫工事ではありんすが、
Lightboxでシャシンを動かすとこうなります。
(loading.gif以外はデフォルトです)

ここをクリック

天神に出て食指が伸びないのは街に飽きたのか。
春になれば箱根で藤田嗣治の回顧展があるという。
かの「乳白色」はシッカロールだった、
うんぬんの記事をネットで読んだ。
土門拳が撮ったシャシンにシッカロールの缶が
写り込んでいたという。へえ、そのシャシンを見たいな。
ま、これもネット記事の「幻想贈与」ですかね。
移り気:天神様→箱根権現、春は箱根(ポーラ美術館)に
出向きませうかね?
参考までに「ユリイカ2006年5月号」に
林洋子「乳白色の下地の誘惑」という論攷がある。

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このページは、が2011年1月20日 19:26に書いたブログ記事です。

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