藤田嗣治書簡-妻とみ宛
(α7R/Sonnar 1:2 f=85mm/SILKYPIX)
「パリ留学初期の藤田嗣治」研究会の手になる『藤田嗣治書簡-妻とみ宛』全4巻を通読する。これはやはり第一級の資料だ。借り受けの期間はあと1週間ほどある。まだ繰り返し目を通すことはできる。ところで。上の絵の奥にあるのは「ユリイカ」2006年5月の特集号だ。その中にはこの書簡集の編纂に深く携わった加藤時男氏の論考もある。そこで僕は、氏に頒布用の資料がいまだ残っているかFAXで問い合わせる。残余はないという返事であった。いたしかたない。当地の県立図書館をわが蔵書と見立てて、藤田書簡に会いたければ借り受けすることにしよう。それも「夢」がありそうだ。
閑話休題。県立図書館が僕の住む街に移転するという。生きているかどうかはわからぬが、老いた僕が藤田にまた会いたいと足を運ぶかもしれない。実は、新しい県立図書館はここに建つのでは? と僕が密かに想像する場所がある。そこまで歩いてゆく日が実現するかもしれぬ。
昨今書物に限らず、モノを増やしたくないという気持ちが強い。にもかかわらず僕の所持品はまだ増え続ける。藤田にかかわる書物や図録もまだ増えそうな予感がする。これも「いたしかたない」。「いたしかたない」ことは受け入れるしかない。
藤田が永遠に日本に見切りをつけてパリに戻るのは彼が64歳のときである。今の僕と同じトシだ。どんな思いであったろう。
近藤史人の年譜にはこうある。「1950年(昭和25年)64歳。2月、パリのサン・ラザール駅に到着。美術雑誌は『かつて一時代の中心だったが今はひとつの大通りでしかないモンパルナスに一人の亡霊がやってきた』と、書いた。」
日々は流れる。藤田がいまゆくりなくここに到来し、挨拶をしておもむろに立ち去る。出来事とはそういうものだ。そして再来(反復)しおそらくは新たな「出来事」があるのだ。