青山景さんの自死

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先日自死した青山景という漫画家の作品を
いくつか読んでみる。
twitterでの彼のつぶやきもWebで見る。
32歳。なんとも若すぎる自死だ。

私たちの内在には微分的な潜在性が充溢する。
そこから現実に出来事が発生もする。
だがそのルーティンをたどり、再現することは
事実上できない。
他者にも想像上の方程式を立てることはできる。
だがしょせんその「解」はない。
いわく、青山景というアーティストは
概念を創り続けたヒトだったのだろう。
すぐれてイマージュに富んだヒトだったのだろう。
解けない微分方程式を抱えたヒトだったのだろう。
・・・そんな感慨で終息するしかない。
今となってはその切断は深く大きい。

以下は、作品『SWWEEET』第1巻。
巻末によくあるボーナストラックです。
拡大して読んでみてください。



本編の外部だからこそ表出することがらです。
作者の自意識の強さが窺える。
これは「自己言及の不完全性」の問題ですね。
「自同律」の諸問題です。
「自同律の不快」というのではありません。
「自同律の快」があるのが現実ですから。

ドゥルーズが言うごとく、
内在の平面は「建設」されねばなりません。
内在の平面は所与のものではない。
自己をどう構成してゆくかと同じことです。
私たちが日々創造してゆくものです。
はっきり言えることがあります。
自己の構成には、手順はない。
不確かで実験的ですらある。
現実には口で言うほど楽ではない。
青山さんは「建設」に失敗したのだろうか?

小泉義之はこのように言う。
「差異を生産する場を運命として引き受けながら
ボールは自ら解を出しながら走る。」
そう。投げたボールがt秒後にどの位置にあるかなんて
決定できるはずがない。

差異と差異がどのような関係にあるのか
極小微分の様相を知ることなぞできない。
予感を受けとめることはある。
予兆におののくこともある。
ならばあらゆる潜勢力=前兆に対抗すべく
われとわが身を放擲することもあるだろう。

そして、ボール自らが描く放物線の軌跡は
再現することはおろか知ることもできない。

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このページは、が2011年10月15日 16:39に書いたブログ記事です。

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