コナトゥス 申命記

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主は荒れ野で彼を見いだし
獣のほえる不毛の地でこれを見つけこれを囲い、いたわり
御自分の瞳のように守られた。(申命記32章10節)

あたかも瞳を守るように「自分の自由な本性」を守る。
それがスピノザから学ぶ僕固有の「コナトゥス」であると思う。
今から遡れば25年位前のことだが、
さる同僚女史から「あなたはとりあえず自分を守るからね」と
おだやかに「直言」された経験がある。
他人にはえてしてこのように他者(僕)が見えるわけです。
僕の「コナトゥス」は生来のものでしょう。
スピノザの「実体」「属性」「様態」の概念をみれば、
「コナトゥス」は各個人に、自然に配分されていることがわかる。
つまりあなたも情動的に「コナトゥス」に従い、
自己の構成関係を生きている。間断なく。切断することなく・・
思い出話を付け加えれば、女史はさらに
「卒業式はすべてをきれいにするのね」と、のたまわった。
「学校の魔法」を彼女も知っていたのですね。(笑)

私たちは生きる。そして死ぬ。
死ぬことより、生きることが眼目であることは言うまでもない。
どのように生きるかをスピノザ的に認識することが
今日的にはきわめて重要だと僕は感じている。
そのうえで、ドゥルーズに倣い、情動を構成して生きるすべを
イメージするのです。アレンジメント(アジャンスマン)です。
すなわち「リゾーム」でしょう。
非暴発のしかしパラドックスを含む「リゾーム」です。


記事に無関係の絵。
大東京。六本木ヒルズより。正面が青山霊園。
右に国立新美術館。奥が御苑、神宮、そして雲の下は新宿副都心。
(横1536の拡大画像あり)

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このページは、が2011年9月 9日 10:02に書いたブログ記事です。

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