Results matching “ミニルックス” from 新地のドゥルーズ
ライカミニルックス抽出のSUMMARIT40mm。知人工房製(SONY=eマウント)。α6300を使用。
当地の県立図書館に行ったのは岩波「世界」3月号の「ひろゆき論」を読むため。まあ中身は想定したものではあります。
かつては絵に奥のレストランを取り込む愉しみがあった。昨年暮れに閉店。
以前はこんなふう
当地の県立図書館に行ったのは岩波「世界」3月号の「ひろゆき論」を読むため。まあ中身は想定したものではあります。
かつては絵に奥のレストランを取り込む愉しみがあった。昨年暮れに閉店。
以前はこんなふう
しばし若いヒトは付き合いきれないテキストです、はい。
検索をよける(かわす、が標準語かな?)ために施設の固有名はなし。図書館です。この位置はいつもは高校生が占める。コロナウイルス規制で現在児童生徒は入館できない。
知人工房改造のライカミニルックス抽出SUMMARIT40mmはピントストロークが繊細で、ピーキングで撮るとピントを外す。よって拡大してヨイショとなるが、スナップにはちとてこずる。
手前テーブルのホン。ぐちゃぐちゃな映りだが(それにしてもきたないなあ)右は高橋源一郎「今夜はひとりぼっちかい?」左が東浩紀「テーマパーク化する地球」。
いやなかなか衝撃的でしたよ。うーむ。やっぱり世の中すっかり変わっちまったんだ。といってもそれは団塊世代老人にいえること、いまのヒトにはフツーなんですけどね。東浩紀はそういえば今なにやってんだろう?と思って読んで読後了解。やっぱり僕なんかは「批評空間」=柄谷行人的、疑似的には「現代思想」的なんだなあ。根っこは長谷川一夫=忠臣蔵であってアニメじゃない。岡田斗司夫とは線で分けられる。アニメ的ではなく少年画報的なのだ。高橋源一郎でいえば、椎名麟三、ドストエフスキーなぞは認知ゼロ。椎名林檎のカンケイですか?とくる。いやはや。以下の絵はα7sと。
ライカミニルックス抽出のSUMMARIT40mm。40mmには、Rollei-HFTのSonnarやエンラージャ用のEL-NIKKORなど印象深いレンズがある。
最初の絵は拡大画像が横1600あります。手前の男性にピントを合わせ施設のエントランスや照明を取り込むため左に振る。1/100秒で撮影。SILKYPIX現像のそのまま。一切の補正なし。PhotoshopのWeb用保存。PCの方はぜひ拡大画像で隅々までご覧になってみてください。流れなどの破綻もほぼゼロ。工房のEマウント改造です。
さて暮れに池内訳の「ミレナへの手紙」を借り受けて期限が切れそうなので延長。辻訳と対比しながら読んでるので時間がかかる。右側が2段組の新潮社版です。持ち込み(仕込み)撮影。w
裏表紙に戸塚一丁目の二朗書房のシール。なつかしい。電話は東京03の時代。以下の2枚は少しの補正を施している。
最初の絵は拡大画像が横1600あります。手前の男性にピントを合わせ施設のエントランスや照明を取り込むため左に振る。1/100秒で撮影。SILKYPIX現像のそのまま。一切の補正なし。PhotoshopのWeb用保存。PCの方はぜひ拡大画像で隅々までご覧になってみてください。流れなどの破綻もほぼゼロ。工房のEマウント改造です。
さて暮れに池内訳の「ミレナへの手紙」を借り受けて期限が切れそうなので延長。辻訳と対比しながら読んでるので時間がかかる。右側が2段組の新潮社版です。持ち込み(仕込み)撮影。w
裏表紙に戸塚一丁目の二朗書房のシール。なつかしい。電話は東京03の時代。以下の2枚は少しの補正を施している。
カメラはα7R。最初にNo.333***のSummarで撮って、なるほどソフトだなあ、と思う。そのついで思いがのびて他のレンズで撮影。すべて開放。三脚。(今朝は念のためジッツオの三脚を使った)まずSummar 5cm F2。
ライカミニルックス抽出のSUMMARIT40mm F2.4。鮮明。
オフィチーネ・ガリレオのTEROG 4cm F4。
最後は同じオフィチーネ・ガリレオのEliog 5cm F3.5。
いったい何をやってんでしょうね。
①端的に個物単体に対する興味(レンズの表現性を含む)がある。
②カメラの由来。レンズが取り出され加工される状況。この時点で脳は「歴史」すなわち「時間」の問題に支配される。
③撮影中は忘我的。まあ道なり=現働=いまここ。始めがあれば終わりもある。過程すなわち「中間」は撮影の冥利です。
ライカミニルックス抽出のSUMMARIT40mm F2.4。鮮明。
オフィチーネ・ガリレオのTEROG 4cm F4。
最後は同じオフィチーネ・ガリレオのEliog 5cm F3.5。
いったい何をやってんでしょうね。
①端的に個物単体に対する興味(レンズの表現性を含む)がある。
②カメラの由来。レンズが取り出され加工される状況。この時点で脳は「歴史」すなわち「時間」の問題に支配される。
③撮影中は忘我的。まあ道なり=現働=いまここ。始めがあれば終わりもある。過程すなわち「中間」は撮影の冥利です。
でましたね。ニコンのZ7。
GIZMODEのレヴューには、ソニーのアルファに対してのZだろう、と。アルファが苦手な分野に磨きがかかってる、うんぬんかんぬん。ふむふむ。
おもしろくなりそうですね。これでソニーは当然としてキヤノンも巻き返しをやりますかね。がんばって長生きしませう。w
「ソニー」のα7sとミニルックス抽出のズマリット40mmで撮った記事です。以下もズマリット。
うまれ故郷、岩川町の「ひぐち」に最初に行ったのは50年前、18歳。鹿児島産のうなぎが食べられる。
アタマの記事は24日、こちらは25日の「be」。歩荷(ぼっか)の休憩。同行記事(注文写真)とはいえ雰囲気いいね。写真・恵原弘太郎、とある。ズマリット、暗室での自然光。
GIZMODEのレヴューには、ソニーのアルファに対してのZだろう、と。アルファが苦手な分野に磨きがかかってる、うんぬんかんぬん。ふむふむ。
おもしろくなりそうですね。これでソニーは当然としてキヤノンも巻き返しをやりますかね。がんばって長生きしませう。w
「ソニー」のα7sとミニルックス抽出のズマリット40mmで撮った記事です。以下もズマリット。
うまれ故郷、岩川町の「ひぐち」に最初に行ったのは50年前、18歳。鹿児島産のうなぎが食べられる。
アタマの記事は24日、こちらは25日の「be」。歩荷(ぼっか)の休憩。同行記事(注文写真)とはいえ雰囲気いいね。写真・恵原弘太郎、とある。ズマリット、暗室での自然光。
(ズマリット40mm。ライカミニルックス抽出)
シリーズ2日目。主体が、生成のただなかにいる。AI、ビッグデータ、VRとともに生きている(生かされている)。いまだからこそ切実に感じる。ここにもドゥルーズは生きられている。フクシマを経験し、温暖化=異常気象を肌で知るニッポン人にとって論攷に違和感はない。(ちなみにシリーズ前回は、ベーシックインカム=月10万円を国民に支給するべし、というもの。これにも僕は異論はない)
ニンゲンはもっとニンゲンらしいことに専念する。
外国人に3K(死語か)を任すのではなくAIロボットにしていただきましょう。高額医療器械ではなく、身近で必要なマシンをたくさん製作・頒布して欲しい。そんな時代を待望します。
3月16日の「徹子の部屋=角野卓三」。食事しながらみていたら、著作『予約一名、角野卓三でございます。』の話に。
これは、京都で一人泊まりができる宿のことだ、と早とちり。ネットで注文。昨日届く。が、これは宿ではなく、太田和彦と同じグルメ本だった。気落ちするが、まあ仕方ない。
開くと、食べ物のシャシンに僕と似た絵作りがある。たとえばこれです。食べ物のまんなかにピントがあって周囲はぼける。α7sとライカミニルックス抽出のズマリット。40mm F2.4。
次のは僕のグルメ。角野本とは無関係。茹で上がりの大村湾のタコ。タケノコは頭を出すと猪にやられる。しかしざまみろ海にはもぐれまい。プリプリしていてホントにうまい。いい塩梅に山椒が芽吹くのでぬたで食す。猪って山椒は食らうのだろうか?
以下は先日の食べ物屋さんで。
この一枚だけは、一切れ食して、しまった、とカメラ出し。
僕はほんに食べ物に「いやしか」ニンゲンです。これはもう本性でして。お口が慎ましい上品なかたには敬服します。
これは、京都で一人泊まりができる宿のことだ、と早とちり。ネットで注文。昨日届く。が、これは宿ではなく、太田和彦と同じグルメ本だった。気落ちするが、まあ仕方ない。
開くと、食べ物のシャシンに僕と似た絵作りがある。たとえばこれです。食べ物のまんなかにピントがあって周囲はぼける。α7sとライカミニルックス抽出のズマリット。40mm F2.4。
次のは僕のグルメ。角野本とは無関係。茹で上がりの大村湾のタコ。タケノコは頭を出すと猪にやられる。しかしざまみろ海にはもぐれまい。プリプリしていてホントにうまい。いい塩梅に山椒が芽吹くのでぬたで食す。猪って山椒は食らうのだろうか?
以下は先日の食べ物屋さんで。
この一枚だけは、一切れ食して、しまった、とカメラ出し。
僕はほんに食べ物に「いやしか」ニンゲンです。これはもう本性でして。お口が慎ましい上品なかたには敬服します。
長文注意。検索でこの記事に遭遇した方はご存知でしょう。
2016年1月号の「現代思想」。マルクス・ガブリエルの論攷。最初の2ページ分。拡大画像で読めます。
その①
その②
その①でいうと下段、「それに対して・・」以降。
その②では上段、「実在論の射程と意味・・」以降。
僕はふだんここでは「シャシン」をもっぱらとしている。自称アーチスト老人。
さる関わりで多くの古い、がしかし「稀有」なレンズを所有しています。それらは時代的にはフィルム(多くははモノクロフィルム)を詰めて使用されていたカメラに付属するものです。
それらの古いレンズをカメラから分離すなわち抽出する。そして現代のデジタルカメラにマウントできるように「改造」します。それを使う。
ファインダ越しに見える世界は(世界なんてない!って言わないで、今は。w)対象に「差異」がある。時には前世紀のはじめ、たとえば1920年代あたりのレンズにも味わい深い個性がある。まあそんな時代のレンズだからこそ個性に充ちている。
だが、若きガブリエルが②で述べるごとき「自然主義的な重荷を予め背負わされている」レンズなのです。例えばここに「ヘクトール28mmF6.3」というレンズがあります。1935年から1955年の間に9694本作られたそうです。ライツ社の傑作とされるレンズです。
このレンズは機械式のバルナック型ライカに装着して使われます。
当初はそうですが、現在僕はこれをアダプタを介してSONYのミラーレス一眼で使用します。背負わされた重荷から「解放」されている、といえましょうかね。そのことによって新たな表現のプラトーに出ますが、明らかに言えることは、機械式カメラに装着しフィルムに焼き付けた画像とは異なります。そのぶん重荷は「失われた」とも言えるわけです。
あるものを獲得する別の層では何かを喪失するわけです。言語論的な謂いではなく、また脳科学的な感慨と言い切れるものでもない「秘密めいた実感」が付きまといます。僕のそのような経験とガブリエルの実在論にはどこか関連があるような気がします。
デジカメで撮ったヘクトールの写真。それは「ヘクトール」ではない、と信じて疑わない方がきっといます。そのような方への「解」もあるかもしれない。(正解ではないとしても)
例え話をしますね。あなたはどう思われますか?
ガブリエルのいうように、「物理学によって確証された」ものを留保するとこうなります。
昼食時。皿うどん。(ここは長崎です)A「ごめん、そこのソースを取ってよ!」。B「ん?ソース?これソースっていうの?そんなの信じちゃだめだよ、ないよソースは」w。
今日の結論。僕はブログタイトルにおおむねレンズ名をあてる。厳密には「留保付きの」の記事です。
ガブリエルは困難な仕事をしていますね。しかし苦労がわかる、というか同情します。シンパシー抱いてます。w
先日食べた皿うどんの絵を最後に出します。この日は麺がほどよく焼けていました。チェーン店でも調理人によって違うのです。ライカのミニルックス抽出のレンズとSONYで撮りました。このピクチャに現実感がなく「非物理性」を見出せば、あなたは本物の新型実在論者です。w
2016年1月号の「現代思想」。マルクス・ガブリエルの論攷。最初の2ページ分。拡大画像で読めます。
その①
その②
その①でいうと下段、「それに対して・・」以降。
その②では上段、「実在論の射程と意味・・」以降。
僕はふだんここでは「シャシン」をもっぱらとしている。自称アーチスト老人。
さる関わりで多くの古い、がしかし「稀有」なレンズを所有しています。それらは時代的にはフィルム(多くははモノクロフィルム)を詰めて使用されていたカメラに付属するものです。
それらの古いレンズをカメラから分離すなわち抽出する。そして現代のデジタルカメラにマウントできるように「改造」します。それを使う。
ファインダ越しに見える世界は(世界なんてない!って言わないで、今は。w)対象に「差異」がある。時には前世紀のはじめ、たとえば1920年代あたりのレンズにも味わい深い個性がある。まあそんな時代のレンズだからこそ個性に充ちている。
だが、若きガブリエルが②で述べるごとき「自然主義的な重荷を予め背負わされている」レンズなのです。例えばここに「ヘクトール28mmF6.3」というレンズがあります。1935年から1955年の間に9694本作られたそうです。ライツ社の傑作とされるレンズです。
このレンズは機械式のバルナック型ライカに装着して使われます。
当初はそうですが、現在僕はこれをアダプタを介してSONYのミラーレス一眼で使用します。背負わされた重荷から「解放」されている、といえましょうかね。そのことによって新たな表現のプラトーに出ますが、明らかに言えることは、機械式カメラに装着しフィルムに焼き付けた画像とは異なります。そのぶん重荷は「失われた」とも言えるわけです。
あるものを獲得する別の層では何かを喪失するわけです。言語論的な謂いではなく、また脳科学的な感慨と言い切れるものでもない「秘密めいた実感」が付きまといます。僕のそのような経験とガブリエルの実在論にはどこか関連があるような気がします。
デジカメで撮ったヘクトールの写真。それは「ヘクトール」ではない、と信じて疑わない方がきっといます。そのような方への「解」もあるかもしれない。(正解ではないとしても)
例え話をしますね。あなたはどう思われますか?
ガブリエルのいうように、「物理学によって確証された」ものを留保するとこうなります。
昼食時。皿うどん。(ここは長崎です)A「ごめん、そこのソースを取ってよ!」。B「ん?ソース?これソースっていうの?そんなの信じちゃだめだよ、ないよソースは」w。
今日の結論。僕はブログタイトルにおおむねレンズ名をあてる。厳密には「留保付きの」の記事です。
ガブリエルは困難な仕事をしていますね。しかし苦労がわかる、というか同情します。シンパシー抱いてます。w
先日食べた皿うどんの絵を最後に出します。この日は麺がほどよく焼けていました。チェーン店でも調理人によって違うのです。ライカのミニルックス抽出のレンズとSONYで撮りました。このピクチャに現実感がなく「非物理性」を見出せば、あなたは本物の新型実在論者です。w
SONY NEX-7とアンジェニュー35-140mm、TYPE LA2。
これはSILKYPIX現像のデフォルトです。最初からシネマ調です。カラー補正とかトーン補正なしでここに出しています。好みは分かれるでしょうが、アンジェニューというかレトロ調子がそのまま出ます。カメラとの相性も大いにあります。(拡大画像は横1200)
同じレンズを使い、フルサイズのα7Rで撮るとケラレが出ます。シネレンズですからね。色合いがNEX-7と全然違います。同じカメラメーカーのものとは考えにくい。(注意:拡大画像は横1840)
お終いはα7sとSUMMARIT40mmです、ライカミニルックス抽出の。
使用カメラはみな違いますが、モデルは開高健『オーパ』です。w
うん、言い訳みたいですが風景写真です。
思うに、僕は大江健三郎でも村上春樹でもなく開高健に負うところがある。だって、寂しがり屋ですから、俺も。w『輝ける闇』『夏の闇』『ロマネ・コンティ・一九三五年』だけでも十分。
ネット渉猟で知りましたが、開高健記念館(元自宅)が湘南(茅ヶ崎)にあるんですね。僕の友達の家から徒歩20分。
それと21歳だったっけ僕が研修を受けたSONYの施設(今は研修所→保養所を経て、ダイワハウスグループのネオ・サミット茅ヶ崎とかいう老人(?)施設になっているようだが)これも近くにある。以前(10年位前?)友達と歩いて行ったことがある。箱根駅伝3区の国道は海側のすぐそこって場所。
ううーむ。行ってみたいなあ、記念館。
僕は花王の「リセッシュ」がホテルに配置されるようになって以来ホテル泊ができなくなった。それが旅ができなくなった理由だ。友達は「待ってるよ」と言ってくれるが、「リセッシュ」の害には勝てない。受動喫煙もつらいが化学物質はもっとだもんね。なんのハナシをしたんだろう、きょうは。w すいません。
これはSILKYPIX現像のデフォルトです。最初からシネマ調です。カラー補正とかトーン補正なしでここに出しています。好みは分かれるでしょうが、アンジェニューというかレトロ調子がそのまま出ます。カメラとの相性も大いにあります。(拡大画像は横1200)
同じレンズを使い、フルサイズのα7Rで撮るとケラレが出ます。シネレンズですからね。色合いがNEX-7と全然違います。同じカメラメーカーのものとは考えにくい。(注意:拡大画像は横1840)
お終いはα7sとSUMMARIT40mmです、ライカミニルックス抽出の。
使用カメラはみな違いますが、モデルは開高健『オーパ』です。w
うん、言い訳みたいですが風景写真です。
思うに、僕は大江健三郎でも村上春樹でもなく開高健に負うところがある。だって、寂しがり屋ですから、俺も。w『輝ける闇』『夏の闇』『ロマネ・コンティ・一九三五年』だけでも十分。
ネット渉猟で知りましたが、開高健記念館(元自宅)が湘南(茅ヶ崎)にあるんですね。僕の友達の家から徒歩20分。
それと21歳だったっけ僕が研修を受けたSONYの施設(今は研修所→保養所を経て、ダイワハウスグループのネオ・サミット茅ヶ崎とかいう老人(?)施設になっているようだが)これも近くにある。以前(10年位前?)友達と歩いて行ったことがある。箱根駅伝3区の国道は海側のすぐそこって場所。
ううーむ。行ってみたいなあ、記念館。
僕は花王の「リセッシュ」がホテルに配置されるようになって以来ホテル泊ができなくなった。それが旅ができなくなった理由だ。友達は「待ってるよ」と言ってくれるが、「リセッシュ」の害には勝てない。受動喫煙もつらいが化学物質はもっとだもんね。なんのハナシをしたんだろう、きょうは。w すいません。
今期の芥川賞、山下澄人=「しんせかい」を読む。
あきらかに有利な状態に今はある。なのならもちろん前回を上回るでしょ、というのはしかし間違いで、むしろ大間違いで、ものごとは便利になり余裕が生まれるほど切羽詰れなくなり堕落する、と、みんなの中にそういう負いの思いがすでに芽生えている時点で、もう勝ち目はなかった、のだけれどそれでもやらなければならなかった。
文体に特徴がある。あるとはいえ、読み進むとそれが自明的で、むしろ心地よいナラティブと化すような気分。
あれ、これで終わり?というような感じで、特に感慨の残る作品とは思えなかった。(あくまでも、僕には、です)
以下もみな、α7sとminilux SUMMARIT 40mm。