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Results matching “セックス” from 新地のドゥルーズ

記事はPC拡大画像で読めます。(W=1872pix)
(Canon 5Dmk2 EF24-70mm)



朝日。夏の集中講座「ミライ×ヒト」最終回。村田沙耶香。

①記事のなか、女性のしんどさ 原動力、の「性欲の発散が必ずしもセックスじゃなくていい」以降の言説に注目。

②参照記事
千葉雅也=「消滅世界」の評(2016年)

③現在僕の村田沙耶香体験は、『コンビニ人間』『しろいろの街の、その骨の体温』『殺人出産』にとどまる。
若い村田沙耶香の文学はフーコーの『性の歴史』的系列とは異なる。むしろ現代の医療=遺伝子革命と生殖、そして来るべき人間(民衆)にかかわることのように思う。すなわちこれはドゥルーズに連なる現代の「思想」です。興味をもって見守っている。
数日前の朝日のコラム。気になって切り抜いていた。アガる友達、はわかる気がする。ソフレやカモフレはどうですか?添い寝をしてくれる、っていいですねえ。
ボーイズラブ、これはアリです。歴史的にギリシャのころからあったわけだし、男友達でインティミットな関係だとノンケでも「友愛」感はふつうにわく。とまれ、記事を読んでみてください。



SNSが(総じてインターネットが)われと他者の相関関係を変えた、それはもう既定の社会現象だと思う。アガる友達とメールのやりとりをする場、そこにも吉本隆明の「対幻想」としての個体は立ち上るのだろうか?第三者が介入しないインティマシィが、秘密が、場を占め、そこに個体が表出するのだろうか?
恋人がいてもソフレの需要があり、自分がアガれば、セックスもいいわけですね。うむ。時代はよくなってるんですかね。
僕なんかにはこのような「恩寵」は降臨しないでしょう。気持ちで支持している自分を感じますね。


『職業としての小説家』(村上春樹)のなかで、小説の構想=引き出し、うんぬんのハナシ。
そこに『カフカ 迷宮の悪夢』のことが書かれてある。
1991年。『セックスと嘘とビデオテープ』のスティーブン・ソダーバーグの作品。
税込み16274円とある。ヤフオクで競争なし=990円。w
押し入れから、パナの名機、NV-DH2を出しRCA端子を接続して鑑賞。

7sとコダック,EKTAR35mm3.3を使う。映画も異色ならこの映りも異色。

ノマド

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 以下は河出文庫版(宮林寛 訳)ドゥルーズ『記号と事件』P277です。

 教師の実生活が面白いということはまずありえません。もちろん、旅をすることはあります。ですが、教師は言葉や経験によって旅費をまかなうわけで、学術会議や討論会に出席し、いつも、ひっきりなしにしゃべっていなければならないのです。知識人は膨大な教養を身につけていて、どんなことについてでも見解を述べる。私は知識人ではありません。すぐに役立つような教養もないし、知識の蓄えももちあわせていませんからね。私が何かを知っているとすれば、それは当座の仕事の必要上知っているだけなのであって、何年もたってから過去の仕事にもどってみると、一切を学びなおさなければならなくなっているほどです。かくかくしかじかの点について見解も考えももたないというのはとても気持ちがいい。私たちはコミュニケーションの断絶に悩んでいるのではなく、逆に、たいして言うべきこともないのに意見を述べるよう強制する力がたくさんあるから悩んでいるのです。旅をするとは、出かけた先で何かを言ったかと思うと、また何かを言うために戻ってくることにすぎない。行ったきり帰ってこないか、旅先に小屋でも建てて住むのであれば話は別ですけどね。だから、私はとても旅をする気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの言葉に感銘を受けたことがあります。「ノマドとは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らはノマドになるのだ」というのがそれです。(引用終り)

 最近何度か「線」のことを記事にしている。それで、ドゥルーズが「点は嫌い」ということをどこかで言ってるその箇所を探しているのです。が、なかなか見つからない。その探索の折にこれに「再会」したというわけです。ココは僕が大変気に入ってる箇所です。「人には旅をする必然性はない」という僕の妙な信念の根拠になってます。セックス(性行動)と同様「旅」にも必然性はない、というような意味ですがね。ww。

 ドゥルーズのこの言は1988年、ちょうど僕の今の年齢なのです。読み手はかくのごとく何度もなんども行き着くのです。それにしても「点は嫌い」の典拠はどこにいったのでしょうか?

新宮一成 語らい

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自分の中でずっと宙吊りになり続けることがら、
そういうものはきっとみなさんにもあることでしょう。
書物、発話、様態のなかに何か宙吊り状態で
気になる重要なものがある、と。

僕にとって、2004年「大航海」No.51の
「精神分析の21世紀」はそのひとつだ。
正確に言うと新宮一成の
「精神分析家に人は何を語りうるのか?」なのです。
そもそもは編集部が
「精神分析は二十世紀とともに終わり、精神医学は
向精神薬とともに終わったのか?考える主体への
科学的な問いかけであろうとした精神分析は
いまどうなっているのか?」
という問いかけに応じた論攷である。

ハリウッド映画では「分析」というセリフが
しばしば出ます。アメリカではかつては
「分析」を受けることが日常化していたのでしょう。
ベトナム戦争もありましたしね。

映画のタイトルは忘れたが、悪魔祓いの映画だった。
神父と娘の両親が裁判にかけられる、というもの。
なかで、検察官(?)が親にこう尋ねる。
「あなたはDSMをご存知ですか?」
親は知らないとこたえる。
DSMに則して処方された薬を使用しなかった科を
責めるシーンだった。おもわず苦笑した。
DSMはかくも権威があるのだ。

新宮センセも「脳内科」という「シニカル」な
言い回しについて触れている。
『たしかに、薬で上手に脳を統御するのが仕事なら、
「精神科医」に付いた「精神」という冠は、返上するのが
筋というものであろう』と。

さて、本題に戻るが、編集部の問いに対して
新宮センセはこう答えている。(問いかける)
『精神分析家に向かってしか、語れないこと、
そういったことはあるのだろうか?
それがあるなら、そうした語らいが存続する間だけ
精神分析は存続することになる。
その語らいの必然性が消えれば、精神分析も
消えるわけである。二十世紀とともに精神分析は
終わったのかどうかという問いにも再び答えることになる。
その語らいの独自性を、三つの面から見よう。
自由連想、夢、そしてテレパシーである。』

人が旅をするとかセックスをするとかには必然性は
ない。これは断定できる。山に登る必然性なんて
あるはずがない。
しかし精神分析的に主体に問いかけることは
シニフィアンのなかで生きるニンゲンには
必然も必然、避けては通れない、と僕は思っている。

分析家に語らずとも、
人は自分の欲望がいったいなにものなのかを問いかける。
そこでは自らが分析家となり患者となって応え、問う。
それが必然的に繰り返されるあいだは
たとえば自らの対象aをさがし出す精神の旅を
続けるしかないのだろう。

新宮センセの基本的な態度は今もこの論攷の時点と
変わりないのではないか、と思う。
あれ? 僕は何を言いたかったのだろう?(笑)

前立腺 針生検

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前立腺の針生検を実施。
PSAマーカー、値7.92。
2泊3日。当地の医療センターにて。



同じ運命を持つ方への参考的感想(要点のみ)
1.2泊3日は不必要。
2.僕の場合は10本。
3.仙骨麻酔。痛くない。
4.お産の体勢。
5.実行そのものは麻酔も入れて20分くらいか?
6.2時間安静。紙おむつ。
(2時間経過)
7.血尿あり。5回までは最初の出だしに血液が薄く。
(水をたくさん飲むべしとの指示あり)
8.血便なし。
9.熱も37度程度まで。(暖房のせいかも)
(12月23日、3日目に退院)

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さてさて。
僕はかねてからここをブックマークしていました。
まあごらんください。

ここのセンセは日帰りでやります。
センセはPSA10以下で56%の癌を見つけてます。
「超音波検査での前立腺体積をもとに
癌らしいかどうかを計算し」針生検に踏み切る・・
いわば「確信犯」を追尾し、逮捕するのです。
「凄腕」のドクターと僕はひそかに思ってます。
ブラックジャックなのです。(笑)

10.僕は術後24時間後に、センセのWeb記述の
「セックスすると血が混じる」というのを
こっそりマスターベーションで実験しました。(笑)
すると、センセの記述どおりに
「トマトジュースのような鮮やかな赤色」の精液が出て
ホントにびっくり仰天しました。(笑)

このセンセね、横浜の開業医です。
でもキャリアはかなりのものです。
院長あいさつです。

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11.要はあわてない、ということです。
僕を担当したドクターは「前立腺は小さいですね」と。
つまり見立てはそれぞれの医師でかなり違います。
指触診で、ある医師は「大きい」と診断し、
別の医師はそれほどでもない、と言う。
CTスキャンで内科の主治医はかなり大きい、と・・・
つまりは大きさですから受け止め方も個人差がある。
医療センターの泌尿器科の主治医はPSAの値に
一喜一憂しないことです、とおっしゃる。

さればこそまずは自らが自らの主治医となる必要が
あると思うのです。
ただまあ針生検はヒットすればそこに癌があるわけです。
これは確実です。
どの時点で踏み切るか、先の横浜のセンセの方針は
僕にはとても得心のゆくものなのです。
あ、でも、マスターベーション実験はしないがいいですよ。
ちなみに僕の結果が出るのは来年になります。

メリー・クリスマス、ミスターPSA!

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