桜井哲夫「フーコー」(現代思想の冒険者たち26)

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 ここんところたまたまではあるが、読みなおす論考・著書がいくつかあった。古いものは桜井哲夫の「フーコー」(現代思想の冒険者たち26)。それほど古くもないのは小泉義之の「来るべき民衆」(「ドゥルーズ/ガタリの現在」所収)。とてつもなく古いのは瀬戸正二(似たような名の写真家がいるが)の「カフカ その謎とディレンマ」(1967年刊)。
 もう20年近くになるか、思想書を読み続けてきた。よくまあ飽きもせずに。手近に30~40冊の書物が散らされていて大概はこれらを寝て読む。小泉=来るべき、は引用部も参照すべくと、かの大著を枕元に運んだ。午前1時にもなろうかという時刻だ。ちなみにこんな具合だ。


(NEX-7/E 2.8/20/SILKYPIX/拡大画像あり)

 さて、さきの3冊。作家は時代の証言をなすように言説を出す、と思う。どれも時代の反照のごとき作品だ。
 よくよく哲学は男のするものだと思う。思弁は男専用のものなんだろうね。アートの領野では女は元気に闊歩してるが、哲学はしない。

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このページは、が2013年9月 8日 14:50に書いたブログ記事です。

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