フランシス・ベイコン

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ベイコンについては『磔刑』を知るのみだ。
(イェルク・ツィンマーマン 五十嵐訳 三元社 2006年)
それだけでも強度は十分だけど。
いまあちらこちらでベイコンについて精査中なんです、実は。
明日はジュンク堂で時間をかけてやる予定。



この絵は、「みずゑ」のNO.810 1972年 の見開き。
(これはネットにもないと思うので)
ベイコン知らない方のために。
この絵だけで、あなたの潜在イマージュに
何かが顕現しますか?
何かが滲み出てきますか?

ドゥルーズには
『感覚の論理~画家フランシス・ベーコン論』がある。
が、ベイコンに限らず、スピノザ、カフカ、フーコーを
ドゥルーズの著作にみたいと考える余裕がない。
ドゥルーズ本人のことで手にあまる。
そのうちにね。読みましょう。

72年の『みずゑ』のものは
フランシス・グッドマンという写真家によって
撮影されている。
これは僕のラインだけど、
おのおのがいわば秘儀をもって何かに接近してゆく。
概念化はそのようにして始められる場合がある。
ポートレートのモデルとしてのベイコンに何か
!と感じる。
他のモデルには感じられない何か、だ。
①全身である。
②表情は不自然を装ったふうである。
(彼の意図だとおもう)
③ポートレイトが何たるかを撮影者以上に知っている。
④全体に「いかがわしい」ムードである。

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このページは、が2010年9月12日 17:09に書いたブログ記事です。

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