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檜垣立哉の『西田幾多郎の生命哲学』
(講談社現代新書)については先に触れた。

高校時代に西田の『善の研究』を手にしたが
てんで歯が立たなかった。
クラスに弊衣破帽を気取った友人がいて
彼に阿部次郎とか倉田百三を薦められた。
読み始めたがどちらも途中で放棄した。
僕のピントじゃなかったからだ。
むしろ当時は、岩波哲学講座の田中美智太郎が好きだった。
で、繰り返すが西田幾多郎は理解できなかった。

今回半世紀を経て、檜垣センセのおかげをもちまして、
ふたたび西田幾多郎に巡り合う。僥倖このうえない。
しかも今度はジャストピントなのだ。

さてさて。
檜垣センセが最終的に取り上げているのは
『絶対矛盾的自己同一』という論文だ。
これがどんな概念であるかは、
檜垣センセの前掲書を読むがよろしい、ということになる。
だが幸い、現在「青空文庫」で同論文を読める。
僕はそれを片手に檜垣=西田を読んだ。
それをパナのCF-R8上で読めるサイズにPDF化。
以下のパーティハットをダブクリすると、
たちまち祝祭的雰囲気が立ち込めまして、
西田幾多郎『絶対矛盾的自己同一』のPDFが開きます。(笑)


ビジネスモバイルのレッツノートで、
西田幾多郎『絶対矛盾的自己同一』だって?
そんなお方は万が一にもいますまいね。うむ。

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