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太宰治と文語訳聖書

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 「ベン・ハー」の記事で思い出したのは文語訳聖書のこと。高校生の頃僕を聖書に近づかせたのはまぎれもなく太宰治であった。承知のとおり(ご存知の方もいようが・・というべきか。笑)太宰と聖書(キリスト教)については佐古純一郎や野原一夫の研究がある。太宰の小説にはいたるところに聖句が挿入される。『桜桃』ははなから「われ山にむかいて目を挙ぐ」とある。詩篇の句だ。 太宰はそこで止めているが、あとには「わが扶助はいづこより来たるや」が続く。賛美歌にもあるくらい有名だ。読み物『桜桃』自体はちょっと辛く自虐的。新約聖書でいえば、太宰は「マタイ傳」からの引用が多い。僕にイエスの「山上の垂訓」を導いたのも太宰だ。いまでも僕は文語訳でそらんじている。文語訳がみぞおちがいい。腑に落ちる。それが17歳の空気だった。
 「空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず」
 「栄華を極めたるソロモンだに、その服装(よそほひ)
 この花の一つにも及(し)かざりき」
 「明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。
 一日の苦労は一日にて足れり」
 とかなんとか呟きながら職場を後にする、ホントに。

 太宰治には実になつかしいものがある。「なつかしさ」を基準に一編だけ挙げよと問われれば 『正義と微笑』だね、と僕は答える。

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