" href="http://hisaaki.net/mt/cgi-bin/mt-search.cgi?tag=%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%81%A8%E6%AD%BB&Template=feed&IncludeBlogs=2" />

Results tagged “フーコーと死” from 新地のドゥルーズ

フーコーと死

|
D・エリボンの『ミシェル・フーコー伝』(田村訳・新潮社)は以下の文で閉じられる。

1989年の初頭、ささやかな本が刊行された。『コレージュ・ド・フランス年鑑』のためにフーコーが記した《講義概要》を、それは集めている。彼が書いた最後の概要は、《主体の解釈学》に当てられた、1981~82年度の講義にかんするものである。その末尾には、ストア派の教えにかんする以下の言及を読むことができる。
 「死にかんする瞑想の独得の価値が生み出されるのは、世論では一般に最大の不幸と考えられている事態を、その瞑想があらかじめ思索するからだけではないし、また、その瞑想のおかげで、死は不幸にあらずということを確信できるからだけではない。自分の人生にたいして回顧の視線を、いわば先取りの思索によって投じうる可能性を、その瞑想こそが提供してくれるのである。自分は死に瀕しているのだと自分自身のことを考えることによって、われわれは現に自分が行ないつつある行為の一つ一つをそれ独自の価値において評価することができる。エピクテトスの言うところによると、死は農夫をその耕作中に、船乗りをその航海中に襲うのであって、〝ところできみは、何をなしているときに死に襲われたいのか?〟というわけである。そしてセネカは死の瞬間をば、人が自分自身の言わば審判者となりうる、そして、自分の最後の日までに達成した道徳的進歩を測りうる、そうした瞬間だと見なしていた。セネカは第二十六書簡のなかに、こう書いていた、〝私がなしうる遺徳的進歩については、私は死を信じよう…。私は自分が自分自身の審判者となるであろう日を、そして徳を自分が口の端にか、それとも心のなかにもっているかを知るであろう日を、待っている〟」。  これらのいくつかの文章は、何と不思議な木霊を今日ひびきわたらせていることか。(引用終わり)
(シャシンは本文とは関係ありません)


 (NEX-7/E16mm F2.8 /Photoshop CS)

photo pages

photos

地上の夜の天使たち

タグ