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ノマド

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 以下は河出文庫版(宮林寛 訳)ドゥルーズ『記号と事件』P277です。

 教師の実生活が面白いということはまずありえません。もちろん、旅をすることはあります。ですが、教師は言葉や経験によって旅費をまかなうわけで、学術会議や討論会に出席し、いつも、ひっきりなしにしゃべっていなければならないのです。知識人は膨大な教養を身につけていて、どんなことについてでも見解を述べる。私は知識人ではありません。すぐに役立つような教養もないし、知識の蓄えももちあわせていませんからね。私が何かを知っているとすれば、それは当座の仕事の必要上知っているだけなのであって、何年もたってから過去の仕事にもどってみると、一切を学びなおさなければならなくなっているほどです。かくかくしかじかの点について見解も考えももたないというのはとても気持ちがいい。私たちはコミュニケーションの断絶に悩んでいるのではなく、逆に、たいして言うべきこともないのに意見を述べるよう強制する力がたくさんあるから悩んでいるのです。旅をするとは、出かけた先で何かを言ったかと思うと、また何かを言うために戻ってくることにすぎない。行ったきり帰ってこないか、旅先に小屋でも建てて住むのであれば話は別ですけどね。だから、私はとても旅をする気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの言葉に感銘を受けたことがあります。「ノマドとは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らはノマドになるのだ」というのがそれです。(引用終り)

 最近何度か「線」のことを記事にしている。それで、ドゥルーズが「点は嫌い」ということをどこかで言ってるその箇所を探しているのです。が、なかなか見つからない。その探索の折にこれに「再会」したというわけです。ココは僕が大変気に入ってる箇所です。「人には旅をする必然性はない」という僕の妙な信念の根拠になってます。セックス(性行動)と同様「旅」にも必然性はない、というような意味ですがね。ww。

 ドゥルーズのこの言は1988年、ちょうど僕の今の年齢なのです。読み手はかくのごとく何度もなんども行き着くのです。それにしても「点は嫌い」の典拠はどこにいったのでしょうか?

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