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いつだったか、池澤夏樹と世界の果て「パタゴニア 冒険の旅」、てのをNHKBSでみた。
これはそのときWooo画面をショットしたもの。





ドキュメンタリーの中で彼は、こんな旅に残りの人生を使ってもいい、みたいなことを言う。ふむ。そうなんだ。
池澤個人編集の石牟礼道子でたいそうな財産を頂戴した。たまたま同じ時期にイサム・ノグチ評伝の「石を聴く」を読んだことも偶然とは思えない。
自己のための備忘メモをひとつふたつ。

①石牟礼道子は、字義通り石の牟礼(山)とつながる。祖父は水俣で石を扱う人だった。それがもとで一家は零落する。
②五島(長崎)でつかう「みじょがる」(かわいがる)「そこんにき」(そのちかく)「ちんちろまい」(てんてこまい)などなどの方言が、五島、天草、水俣などの沿岸に船を介して伝わっている、と想像する。はやい話が、「椿の海の記」の地名、うまわりのとも=「大廻りの塘」である。ぼくらは、うーまわり、と言った。
③香川県高松市牟礼町牟礼にはイサム・ノグチ庭園美術館がある。まさにイシムレである。
④イサム、石牟礼、池澤らの異能は、生来のもので出自に由来する。

⑤存在は生成(構築)の「効果」なのだ、それもこんなに不可視で微分的な。われもそうなんだが、イサム、イシムレ、イケザワのThree I を知るにつけてもそうした感慨にいたるのです。
「石を聴く」のP475以降、第51章。京子。
このテの逸話にはグッとくる。手渡される衝撃がいつもある。脇田アヤコのハナシもすごいと思う。エネルギッシュなオトコだ。制作に至るまではオンナが必要で、制作に入ると邪魔になる、そんなところだろう。真に孤独なのだ。
80歳の誕生パーティで踊るイサムと川村京子。α7Rとヘクトール7.3cmでページ絵を撮る。



いっぽうこれはDVD『STONES AND PAPER』のカバー絵。年代的には同じような時期ではないか。

「無」の石膏模型を制作中=1950年日本滞在中のノグチ。40代後半。『石を聴く』P266(部分)をダイレクト撮影。
α7RとNEOKINO65mm。SILKYPIXのハードモノクロ。

『石を聴く』から。27章、P247。アーシル・ゴーキーの自死に接して。
「友人や家族に対して自分はヒーローでしかありえないとゴーキーは感じていた・・・この奮闘努力すべての目的はなんだったのか? 注目とはなんと表面的で残酷なことか! ぼくはそれ以来、一日一日をぼくが受けるに値しない贈り物と考えてきた。どうにかして自分自身をより完全に表現し、より広い世界、ぼくの友人を殺した世界よりも自由で親切な世界と接触することを求めた。」

以下はα7RとM42改造ズミクロン50mm、F8相当固定絞り。
アタマ2枚はSILKYPIXのテイストを使用している。





椹木野衣による『石を聴く』の書評。



ヘイデン・ヘレーラ/北代美和子/訳 『石を聴く イサム・ノグチの芸術と生涯』
まだ100ページほどだが、他の読物をうっちゃって読んでいる。



宮崎誉子『水田マリのわだかまり』。当地の県立図書館に予約する。
水田マリ、水溜まり?



さて。県立図書館からの借り受け依頼は、市図書館を通して行う仕組みになっている。しばらくすると返信があり、
「リクエストの図書のうち『水田マリのわだかまり』は、当館でも注文しておりました。準備ができ次第、貸出手続きを行いますので、もうしばらくお待ちください。」とのことである。すなわち僕は新着図書を真っ先に読むことになるわけです。うふふ。

依頼は3冊で、他の2冊は、
①ヘイデン・ヘレーラ/北代美和子/訳 『石を聴く イサム・ノグチの芸術と生涯』
②渡邊源昇 『お寺はじめました』

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地上の夜の天使たち