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エミール・ブッシュのNEOKINO。工房M42改。α7sと。











ヴィヴェイロス・デ・カストロを読む。力が抜けてしまう。「動物になる」。無理というもんだ。パースペクティヴ主義、そうかもしれない。だが今ここのニンゲンは、うーむ。
大きな物語はない。狭くとも自分のテリトリで生きる。
α7sとエミール・ブッシュ=NEOKINO 65mm。



以下もNEOKINO。
大量にあてがわれる野菜。朝の一人一食分。w







α7sとエミール・ブッシュ=NEOKINO 65mm。
妻が読み終えた篠田節子を退屈しのぎに。
読み終える。









α7sとエミール・ブッシュ=NEOKINO 65mm。
撮っていたらアブが。









妻のホンを読んでみる。いやはやエグかった。

α7sとエミール・ブッシュ=NEOKINO 65mm。











α7sとエミール・ブッシュ=NEOKINO 65mm。









α7sとNEOKINO 65mm。

















α7sとエミール・ブッシュNEOKINO。









カメラをα7Rで。



α7sとNEOKINO 65mm。











今日の昼。特大ハンバーグと特大鰯ツミレ。



α7Rとエミール・ブッシュ=NEOKINO 65mm。M42改造。











α7sとエミール・ブッシュ、NEOKINO 65mm。
色とりどりの庭のフリージャ。



あさりチャンポンというものもある。

バッグにカメラ。コンビニに行く。ビールを買う。近くの棚をチョイ撮り。帰りにウチのドラ猫ポートレート。
埃をかぶったフィリップスのノンフライヤで、久しぶりにメンチカツを、と思ったら「予熱」の仕方がわからない。マニュアルをネットで探す。PDFをみながら操作。いやあ。トシはとりたくないもんだ。
α7sとエミールブッシュ NEOKINO 65mm。M42改造。僕はこんな画像を偏愛します。変かなあ。











お昼に鰤窯(ぶりかまですシャシンは)を頂戴し、ベッドに横になって、一気に『サラバ』を読み終えた。
うーむ。僕もラストは泣きました。どうやら実際に又吉直樹は「持っていかれた」ようでこれをきっかけに小説を書いたと、解説にある。いやはや。

『サラバ』読後に、躊躇している同窓会に出てみようか、という気になった。(まあだ五月のことだからわからないけど)つまり言いたいことはそんな気分にさせる西加奈子の手腕のことです。
α7sとエミールブッシュ NEOKINO 65mm。M42改造。



2018年1月11日。雪になる。α7Rとエミール・ブッシュNEOKINO 65mm。M42改造。



この個物はeBayほか世界中探しても見当たらない。
必要あってエミール・ブッシュ、Emil BuschのNEOKINO改造個物をNEX-7で動画に。
以下はその一コマの切り出し。拡大画像はSVCHD元画像の1920x1080。
ちなみに上はE35mm1.8OSS、下はCOLOR-ULTRON50mm1.8にて。



以下は「ポスト現代思想としての日本哲学」檜垣立哉+北野圭介の対談(現代思想1月号)中の部分。 

(檜垣)京都学派について内在的な話をすると、
西田の哲学のポイントは、「場所」論でもなければ「純粋経験」でもなく、「永遠の今」という問題だと考えています。
これは木村敏がよく書いていることでもあるのですが、「イントラ・フェストウム」、すなわち祭のなかを意味するような今の横溢、今の過剰のようなもので、分裂症的事態です。
永遠の今に対する西田の執着は大変なものがあります。時間的な今ということをあそこまで掘り下げ、永劫回帰に結びつけるという論点は、それこそドゥルーズがやったことですが、それは西田より三、四〇年後のことです。
そしてこの永遠の今という問題設定こそが、ヨーロッパが隠してきたものというか、ヨーロッパの近代が自由・平等・民主主義を掲げて広げてきた水平性を突き抜けてしまうような垂直性を持っています。

気になる箇所の多い対談だ。先日バスで福岡入りした際にもリュックに入れていった。
気になると完全に消化、ウンコになるまで読み返す。w
ラリュエルの「秘密」、吉本隆明の反時代的な60年代の記紀読み・・などもそうだ。
生きるということはそうやってずっと気になることを思いめぐらしながら、いまここに実存するということに相違ない。

これはバスの日、大名で撮った壁面。街にはこんなのがけっこうある。でもこれは初見。(だとおもう)
7sとNEOKINO。もう一枚は「のだ」のカップ。IDCのモノクロ現像。



これは4月4日。医療センター。α7Rエミール・ブッシュNEOKINO。



駐車場から臨む。造成中の土地。轍。奥の桜。



散る花。



4月2日の朝。α7Rエミール・ブッシュNEOKINO。







長文注意。2016年3月26日撮影。18時前、寒いうえに強風。
α7Rとエミール・ブッシュNEOKINO42,5/65mm。
現場まで歩いて20分。今日は鉄橋にピントを合わせよう・・。SSを1/160秒に設定・・。
すると不意に下りがやってきた。時刻表にはない列車だ。
急ぎヘリコイドに手をのばす。
コイツはいったい何者なんだ?



今日はこの幸運だけでいい、と帰路につく。w。
さっそく調査をする。
結論から申します。このたびのJRダイヤ改正で、前日廃止になった「特急川内エクスプレス」なのです。
決め手になったのはこの燕ロゴ(トレインマーク)です。(等倍)
昨日まで川内-鹿児島中央間を走行していた列車が「退役」し、夕まぐれに当地の在来線を走っているのです。うむ。



北海道新幹線もこの日3月26日に開通。ダイヤ改正は「事件」ですなあ。
この列車、あるいは当県の大型レジャーランド絡みのエクスプレスに変貌するのかもしれない。そんな空想をするのでした。

さてこの後も蕾を愛でる写真家は、寒さに震えながら、NEOKINOを酷使するのでした。欲が深いのです。w



で、このあとの2枚の「光源」の特徴。
最初のあかりは左側にラグビーボールのように横長になっています。(無謀にも欄干にのぼって撮影)
次の絵はあかりが中央部に位置するのでほぼ円に近い。
NEOKINOのコマ収差です。





遠くの山容は当地の「琴ノ尾岳」です。

NEOKINO 42,5/65mm改をNIKKOR135mm 1:2で。



さて。この42,5/65mmはeBayで探しても目下のところ見当たらない。
ググっても資料すらヒットしない。まして「使用」している男は世界中捜してもいない。w

最初の数値、42,5。これがずっと気になっていた。今朝ようやくつきとめた。
この記事の最後のあたり。

ここです

I think the 62.5 is the barrel diameter for the projector focus housing.
眼からウロコだ。バレル(筒)の「径」だと思う、とある。
それを読んだ男のコメントは、
Splendid. This clarifies it. w
で、個物の径をとると、たしかにそうなのだ。
いやはや。
しかも、32,5 42,5 52,5 62,5と10mm刻みで製作されている。

リンクが切れるかもしれぬが、NEOKINO32,5/60mm、NEOKINO62,5/110mmは作例がある。

NEOKINO32,5/60mm

NEOKINO62,5/110mm

せっかくだから。
NIKKOR135mm2.0で小学校の一輪を撮ってきた。

3/22、深夜2時に起きだす。少し寒い。
さて。昨日(3/21)のことなのに、つんく♂のWikiには略歴の追加がある。
いわく、

2016年3月21日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に11年ぶり3度目の出演。手術後初めての本格的トーク番組への出演となる。パソコンを使った“筆談”は同番組開始以来41年目にして初。

たまたま僕もみたが、うむ、涙が出たね。
なぜ? それはまあ、書かないでおきましょう。w

パソコン筆談のタイピングの速さ、段落のタイミングが完璧だった。
病歴や障碍があっても、音楽=美への情動=自己の技芸の「生き様」をみた。
(ちなみに、生き様というコトバはない、死に様はあるが、と阿川弘之は子供たちを教育した)

記事には関係ないが以下はα7RとNEOKINO 42.5/65mm改。
小学校の桜が一本だけ満開。早咲き桜なのだろう。ヒヨドリが蜜を。他はまだ咲いてない。一輪だけ開いた樹があった。







α7sとNEOKINO_M42改。極端なフレア現象を回避するため、絞り用の円形紙片を噛ませています。
改造した知人はもともとそのように製作しています。(ここ)
M42のネジが両面に切ってあるのでレンズを前後つけかえての使用もできる。
もとはプロジェクションレンズだったと思う。

今朝の枯葉・枯れ枝特集。w
SS優先。レリーズ時に動いてピントがずれているのもある。
SILKYPIX現像。Photoshopの自動カラー補正を施す。













さて。
エミール・ブッシュのNEOKINOを実用=遊びに使用している男は、世界広しといえども限られています。
検索にかければお分かりになると思います。
このような「特権的」な遊びは、エミール・ブッシュへの改造の技巧があるからだ。
技巧が夢を生む。謝謝。

NEOKINO

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 銘板には NEOKINO との刻印がある。キネ(kine,cinema)用途であることには違いない。鋭意検索すれば、原形を留めた個体に出会えると思う。「エミール・ブッシュ 」でググる。Wikipediaがヒットする。そこで枯淡の歴史が知れます。


(α7R/COLOR ULTRON 1.8/50)

 円形に切り抜いた黒い紙で蔽いをつけている。絞りの効果を出すためです。「NEOKINO 42.5」でググればeBayにこれの仲間とおぼしき個体がみつかります。(以下はeBay掲載画像を拝借:拡大すれば刻印も見える)



 さて。借りたレンズで撮ってみる。銘板面を逆向きにM42にマウントしてます。正方向でもいいのです。このようになります。


(α7R/NEOKINO)

 ビールのラベルが中央のピント位置になります。拡大画像でみていただければそれなりにわかります。中央以外はボワーっとした感じです。ではもう一枚。


(α7R/NEOKINO)

 奇妙奇天烈なレンズ(?)が鎮座してます。いやはや。これらも知人からの借り受けです。どんな絵が作れるのか、ざっと扱っただけなので目下のところ不明。NEOKINOはこの絵でも中央部以外は流れたように写る。「効果」と「遊戯」の世界ですね。
 最後にひとつ。「エミール・ブッシュ」で 検索してウェブをさまようと、ニコペル(ニコラ・ペルシャイト)とかいうプロ用のレンズに行き当たる。そこをまさぐると数時間が過ぎてしまいます。ネットの時代、それは検索とそこから広がる知の情報綱の世界だ。web(クモの巣)とはよくいったものだ。出来事はドゥルーズの言うように直線的だ。しかも網の目状の結索点として線上に存在する。少し似てる。

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地上の夜の天使たち