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Results matching “NIKKOR” from 新地のドゥルーズ

推定Nikkor28mm/F3.5 M42改

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知人工房作M42改のNikkor28mm/F3.5。α7sと。撮影日=2023/11/20。時系列。拡大画像あり。
Nikkor28mmには違いないのですがベア状態なので推定です。色補正なし。完璧なレンズ。



















NIKKOR28mm F3.5 M42改

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知人工房作M42改のNikkor28mm/F3.5。α7sと。撮影日=2023/11/07-08。拡大画像あり。









ウチには知人工房作のニコノス35mmF2.5が2個存在する。一つはSONYのEマウント、もうひとつはM42マウントである。
今日のは373***のEマウント。フルサイズで使うとケラレが出るがそのまま掲示する。長崎市住吉。最初のここには70年代は消防署があった。初代α7sと。撮影日=2023/11/03。時系列。拡大画像あり。











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帰着後自転車置き場からこれが15時55分。

ニコノス UW-NIKKOR 28mm 1:3.5

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UW-NIKKOR 28mm 1:3.5。ニコノス抽出のM42改。(知人工房作)



以下はα6300とこれで。APS-Cサイズのカメラでも接写でない限り周辺は流れる。
その「妙」を受け入れると世界はまた違ってみえる。













2週間前に借りたホン。①「格闘者ニーチェ 2 自己格闘者ニーチェ」(清 眞人)、それと
②「フェリックス・ガタリと現代世界」(龍谷大学国際社会文化研究所叢書)



それを返してこちらは、予約していた
③「絶対悲観主義」(楠木 建)
うーん、これは脱構築のハナシですよ、実のところ。「ハイホー」の世界とおなじ。
そんなもんです。(笑)



下は「絶対悲観」を借り受けた日のスナップ。



いちばん上はNIKKORの24mmで下はSONYのα6300とE1.8/35で撮った絵。等倍でみるとメガネのフレームまできちんと映ってます。絞りF4ですがすごいもんです。



「決壊」は連れ合いが購入して途中放棄した平野啓一郎。
ここはシャシンのWebサイトでもあるんで、タイトルで来られた方、ごめんなさい。
水中カメラ、ニコノスから抽出されたUW-NIKKOR28mm 1:3.5(工房M42改)。



初代α7Rと。暗いのは朝6時前。











NIKKOR-N・C Auto 24mm 1:2.8

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NIKKOR-N・C Auto 24mm 1:2.8とα7sで。その2。













NIKKOR-N・C Auto 24mm 1:2.8

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1972年から1975年に作られたNIKKOR-N・C Auto 24mm 1:2.8。その1。
(下部はアダプタ)



以下は初代α7sとこれで。















Micro-NIKKOR-P・C Auto 55mm F3.5

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画像多し。注意。初代α7Rと70年代のMicro-NIKKOR-P・C Auto 55mm F3.5です。接写はF5.6他はF8。















知人工房作テッサータイプの正体不詳レンズ。M42改。17-31mmのヘリコイドアダプタにつけた姿。



以下はこれとα7Rで。











ニコノス抽出、UW-NIKKOR 28mm(知人工房作M42改)の姿。



以下α7sと。フルサイズで撮影すると周辺の流れが目立つ。







NIKONOS 35mm

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正体不詳のNIKKORレンズをテーブルスナップ。上はコンタックスT3抽出Sonnar35mm、下は謎レンズBRILLANT5㎝で。カメラはα6300。
NIKKORはおそらくニコノスの35mmだと思います。α6300で使うと周辺の流れが軽減される。





NIKKOR-Q Auto 1:2.8 f=135mm

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α7RとNIKKOR-Q Auto 135mm2.8。
135mmの中古レンズの取引は低調です。使いにくいのかなあ。
NIKKORの135mmは多種あります。これは優秀なレンズだと思う。









α7sとNIKKOR 28mm 1:2.8。
70年代のレンズでKタイプともいわれるシリーズ。1974-1978年の製造で当個物は末期1978年。
すばる5月号では沼田真佑のほかは
井上荒野「刺繍の本棚」,奥憲介「共感をめぐる病」,武田砂鉄「マチズモを削り取れ」がよろしい(独断)。













Micro-NIKKOR-P・C Auto 55mm F3.5

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フィルム時代にNIKKOR 55mm F2.8てのを使っていた時期があった。55mmはヴァリエーションが多い。このF3.5は小振り。映りは端正で好ましい。(α7R+Micro-NIKKOR-P・C Auto 55mm F3.5)











これはα7sと。

NIKON=ニコノス抽出の28mm(M42改)をα6300で。F5.6あたり。
図書館が再開され昨日メールがきた。4月当初に予約を入れていたホン。貸し出します、と。予約したことすら忘れていた。レストランもやってないし人はご覧の通り。もっとも高校生はこの時間学校だけど。











SIGMA70-300mm 1:4.5-5.6

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10群14枚のSIGMA70-300mm 1:4.5-5.6(SONY A-mount)をバラしました。中央銀溝のレンズ部は下部ネジ山を潰して取り出せません。ネジ一本に負けました。
左はペンタックスのルーペを想像してもらえればいいです。右は絞りが付いてる部分。
もともと動作不良のブツを工房から頂戴したもの。再組立てなしの気軽な暇つぶし。でも、これらは調度品としてテーブルフォトに役立ってくれます。レンズはとてもきれい。まあオタク趣味です。w



Micro-NIKKOR55mm 1:3.5で撮影。
最初はα7sとMicro-NIKKOR-P・C Auto 1:3.5 f=55mm。F11で撮影。あとはSONYのα6300とPZ 16-50 OSSのプログラム撮影。









ニコン NIKKOR 35mm 1:2.8

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α7sとNIKKOR 35mm F2.8。最初の4枚は開放。あとはF8。













ニコン NIKKOR 35mm 1:2.8

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α7sとNIKKOR 35mm F2.8。F8で撮影。色補正なし。
暗室時代はFM2Tと35mm F2をよく使っていた。これは70年代のレンズ。











SILKYPIX Pro9の自動調整で現像すると色調が変化する。

NIKKOR 35mm F2.8

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α7RとNIKKOR 35mm F2.8。











ライカミニルックス抽出のSUMMARIT40mm。40mmには、Rollei-HFTのSonnarやエンラージャ用のEL-NIKKORなど印象深いレンズがある。
最初の絵は拡大画像が横1600あります。手前の男性にピントを合わせ施設のエントランスや照明を取り込むため左に振る。1/100秒で撮影。SILKYPIX現像のそのまま。一切の補正なし。PhotoshopのWeb用保存。PCの方はぜひ拡大画像で隅々までご覧になってみてください。流れなどの破綻もほぼゼロ。工房のEマウント改造です。



さて暮れに池内訳の「ミレナへの手紙」を借り受けて期限が切れそうなので延長。辻訳と対比しながら読んでるので時間がかかる。右側が2段組の新潮社版です。持ち込み(仕込み)撮影。w



裏表紙に戸塚一丁目の二朗書房のシール。なつかしい。電話は東京03の時代。以下の2枚は少しの補正を施している。



メディカルニッコール=MedicalNikkor 120mmについてはニコンサイトで知れます。工房にて改造。
F8ではアバウト1メートルの撮影距離になる。モデルはF.Zuiko 38mmレンズ。ハーフ用オリンパスPenの標準レンズです。



以下はこのZuiko38mmで。カメラはα6300。









ライカですがこのシリアルナンバーは1949年です。僕が生まれた年です。

NIKKOR50mm F1.4

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α7RとNIKKOR50mm F1.4。PLフィルタ使用。





文學界12月号掲載。柄谷行人にはずっと付き合ってきてます。「あるトシになったらわかるようになった」みたいなことを言います。僕もそう思う、同意できる。ある時期に(といっても60歳を過ぎてからかなあ)頓悟(とんご)するのです。以前は分からなかったいろんなことが理解できるようになりました。同じようなことを大江健三郎も小泉義之も口にしてる。この論攷(講演)は「世界史の構造」以後の(最新の?)思いが出ている。凡人の眼にも美しい。そこでも「ちょっと気づいたんですが」と率直な発言をしている。「交換様式」は柄谷行人の真骨頂です。彼が発明したといってもいいんじゃないだろうか。来春には構想をまとめてホンになるそうな。今から愉しみ。



同じレンズでもう一枚。



「文藝春秋」1月号=「日本人よ、健康神話を棄てよ」=塩野七生と新見正則(オックスフォード大学医学博士)の対談。その中に心臓移植をしたマウスにオペラをエンドレスに聞かせ、平均7日間の寿命を平均40日まで延ばす、という実験。すごいハナシだ。なかでもこれが一番、というのがジョージ・ショルティ(と、新見先生は英語読みしてます)指揮の「椿姫」。アンジェラ・ゲオルギュー(ソプラノ)。ウチにあるこれがDVD盤の説明書裏面のサー・ゲオルグ・ショルティです。威厳に満ちてますね。7sとペンタックスのFA43mmLimitedをPK-NEXアダプタを使っての撮影。フルサイズで使うのは実は初めて。

で記事に触発されて「椿姫」をDVDで全編を視聴しました。いいんですよね、やっぱり。オペラも前世紀にはみーんな完成してるんですかね。下の絵はDVDから第2幕でしたか、アンジェラ・ゲオルギューのヴィオレッタ。日立のWoooモニタを1/20秒で撮影(1/20秒でモアレは消滅、TV画面撮影とは思えない)。こちらはM42改造のNIKKOR50mm F1.8です。

テッサータイプの正体不明のレンズ。M42改。17-31mmのヘリコイドアダプタにつけた姿。



以下はでべそ雰囲気レンズを7sにつけて。SILKYPIXでノーマル現像しただけです。そのままのデジタル画像です。















さて最後の絵。浅井慎平選「日本カメラ」カラープリント部の金賞。α7ⅡとFE 24-240mm。F8,ISO6400だそうです。71歳の男性です。
NIKKOR 28mm 1:2.8とα7s。1970年代のレンズ。52mmPLフィルターを行きつけの施設で試した。結論をいえばダメでしたね。あくまで自分の感想です。スナップにモタモタ操作は致命的。警備員からつまみ出される。といって決め打ちすると次のような失敗例。



そんなわけで以下は失敗を免れた絵を。最初のセピア処理の絵にもちゃんと反射は出てます。時間をかければ消せます。しかし反射も受け入れる態度の方が自分には向いてる。













NIKKOR 28mm 1:2.8とα7s。1970年代のレンズ。52mm径のPLフィルターがあるのでそれを使ってみる。PLフィルターって20年(もっと?)ぶりか。



効いてますね。中央最奥に当地の名峰=経ヶ岳を入れる。左側からぬっと人が出現。
28mmだと車窓シャシン(信号停止時フロント)をやるときはぐぐーっと身を乗り出す。それでも咄嗟だから自車のダッシュボード部が映り込むことが多い。







モニタはオン(ブルーのインジケータ)ですがスクリーン画像はフィルタで消失させてます。



この効果が僕の「行きつけ」の○○図書館でどこまで有効か今からワクワクする。w
うーん。絶望の淵まで赴いて、手を差し伸べてくれるファインダに佇立するミューズ。爺さんもうちょい生きましょうね。

NIKKOR 35mm 1:2.8 α7R

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NIKKOR 35mm 1:2.8とα7R。









Vario Sonnar 3.5-6.5 28-56(コンタックスTVSレンズ)Eマウント改(画角30㎜程度)です。知人工房作。ズームレンズの改造は初めてだと思うがこれが難行。最終的には画角固定となる。ちなみにこの絵は7sとNIKKOR Ai50mmで。PLフィルターでモニタ画面が消えます。



以下はα7sとVario Sonnarで。















YVAR 75mm F2.8 M42改

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α7sとYVAR 75mm(M42改)。F5.6とF8で。色補正なし。









YVAR 75mm(M42改)の姿。7sとMedical Nikkor 120mmで撮影。
F8=1mの距離。色補正なし。

PayPay ユニクロ B3

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こないだ(10日くらい前)部屋着を欲しくて久しぶりに(1年?2年?)ユニクロに行った。レジがない。
自動レジになっている。うーんと思っているとどこからともなく店員現る。
店員:クーポンは持ってますか?
小生(内心):(PayPay支払い画面にユニクロのアイコンがあったがあれか)(もってない)。
彼女はそれ以上の説明はしない、はしょる。きょうび店員はそんなサービスはしない。ここは「ユニクロ」ですから。w
そんなことゆーなゲージュツ家はイマージュに専念しなさい、はい。Projectionレンズで。自然光。三脚。リモコン。ビースリーのパンフ。(脚が長い)
右端。昨夜ユニクロ会員登録。(これは笑いです)



ニコンの医療用Medical-Nikkor/120mmで。開放=距離2m。室内光。三脚。リモコン。



追い打ちオマケ。ROKKOR-PF50mm。

Sonnarはいい

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知人工房作のM42改=ローライSonnar40mmの姿。ニコンの医療用=MedicalNikkor120mmで撮影してますのでPCの方、拡大画像でご覧のほど。α7s。



それでそのSonnar40mmで。アダプタは17-31を使用してます。寄れます。Sonnarはどのタイプも好みです。最初は6300ですが他は7sです。





ライカ1c 改 1f など

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α6300とE16-50 OSS。



10月4日朝のテーブル回りも、現像結果もそのまんま。やらせと補正なし。w
前日に「ライカ1c 改 1f」というWebページを閲覧するかたわらテーブルフォト。結果、テーブルがごちゃごちゃしてる、ということなんだろうか、いやそうでもない。最近は普通がこうなのだ。ともかく最初の絵に「つくり」はない。リモコンのそばに撮影したカメラがあったのでそれは画面から消失してるけれど。w
でその前日のテーブルフォトを以下に。ライカ逆像ビドムにピント。
上。6300とアンジェニュー17-68mm。68mm側。距離1.2m。F4。矩形切り取り。
中。7sとSUMMICRON-R50mm。M42改。
下。7sとメディカルニッコール120mm。M42改。右端、メガネ横の7sに取り付けてるのがMedicalNikkor120mmです。







ビドムのついてるライカですが、1949年だと思います。
ニコノス抽出の28mm(M42改)をα6300で。









先日のコラム。α7sとM42改造=C.P.Goerz(ゲルツ) Dogmar 75mm F4.5で撮影。知人工房作。
以下にその姿を。パンダの耳みたいなのが絞り。「C.P.Goerz TENAX」でググると出ます。恐ろしく古いカメラ(1910年代から)ですね。NIKKOR-H・C 5cmで撮影。



状況にもよるが、中央部にハレーションというかフレアというか出ます。しかし100年前のレンズですからね。立派なものです。





田辺 聖子のジョゼと虎と魚たち (角川文庫)に続き講談社文庫の三冊を読む。復刻単行本、変じて文庫化の恩恵である。昭和の物語を令和元年に新本で読める。
絵はα7RとNIKKOR35mm F2.8。







ライカマウントのNIKKOR-H・C 5cm F2については、ニコンのサイトに「戦後の復興を支えたレンズ」として解説されています。それに尽きます。当方所有のそれはオリジナルをEマウントにした知人工房の逸品。接写なみに寄れる。1946年生まれ。α7sとこれで一昨日の一枚。



今日の朝日=津田大介。



なにやらアダプタが勢ぞろい。明日以降に記述します。

NIKONOS UW-NIKKOR 28mm M42改造

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α7sとNIKONOS抽出(M42改)UW-NIKKOR 28mm 1:3.5。









Aiニッコール 50mm

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自分で4092nikkorと呼んでいるニッコール50mm F1.4。α7s。









さて、別に所有する知人工房製=M42改NIKKOR 50mm 1.8のこと。最短撮影距離45cmはM42改造で接写なみの扱いが可能。小生にはこれがたまらない。

ニッコール50mm F1.4

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知人より頂戴したレンズ。ニッコール50mm F1.4。4092***台。かなり使い込まれたレンズで、使った方は現在どんなしてるんだろう?
アタリも多く、前玉には傷も散見できる。刻印は薄れている。かわいがられたレンズに違いない。



ニコンレンズはバージョンがとてつもなく多い。しかも50mmレンズとなればなおさら。ただし4092***番台ははっきりしている。これです。

直下は、SILKYPIXを使わずにPSの新しいCamera raw(11.3.0.197)で現像したそのママのものです。開放、手持ち。α7s。





以下はF2.8。PSで現像。自動カラー補正だけ施しています。





NIKKOR-H・C 1:2 f=5cm

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α7sとNIKKOR-H・C 1:2 f=5cm(Eマウント改)。









SONYのα7sと工房作Eマウント改造=NIKKOR-H・C 1:2 f=5cm。





ニコンNIKONOS抽出M42改造=NIKKOR35mm F2.5。α7s。陸(おか)でもよく映る。







α7sと知人工房作の
CarlZeissJena Sonnar5cm F1.5
で撮影。ガラス素材(硝材)によるのか独特の描写をする。carl-zeiss-jena-lens-serial-numbers.htmlで検索すれば1936年ということがわかる。
上:届いたばかりの吉村万壱 『前世は兎』をモデルに。帯の下方=こだま、なる作家がいるのですね。その本のタイトルが・・。おお。
下:これも工房作NIKKOR-H・C 5cmのフード部。



湊かなえ 夜行観覧車

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妻が読みこのあと資源ゴミに回収される=湊かなえ。一気に読了。記念撮影。以下の絵はすべてSONYのα7sと工房作Eマウント改造=NIKKOR-H・C 1:2 f=5cm。



ラスト=「週刊フタバ」の記事はすごい。ニンゲンはリゾームにその場を生きるのだ。TVドラマをみるように読める。前向きに解釈する。w





このコーナーは見知ってる、ような場所。
α7sとNIKKOR-H・C 1:2 f=5cm。







α7R EL-NIKKOR 40mm F4

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α7RとEL-NIKKOR 40mm F4。
昔(?)暗室で使用していた引き伸ばし用レンズ。 L39-M42リングを使う。











α7sとMedical Nikkor120mm。35cmから1.6mまでのレンズです。
一枚目。ガシャポン HGIF 新世紀エヴァンゲリオン 貞本義行コレクションのアスカですが、真ん中はゴスロリヴァージョンっていうんだそうです。あはは。







ニコン Medical Nikkor 120mm F4

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ニコンのMedical Nikkor 120mm F4(6群9枚,IF,最短撮影距離0.35m,1981年12月発売)の鏡筒部。
最長1.6メートルまでしか撮影できない。距離と絞りが連動している。F8あたりだと0.9メートルくらい。
最短では絞りはF32にもなる。リングライトで適正露出を出すしくみ。
写真の左側のストリップ部にリングライトが備え付けられていた。フルセットでは相当の価格だったのではないか。産業用ですからね。インナーフォーカスで、操作しても全長は変わらない。











先ごろ「正体不明レンズ」として紹介させていただいた知人工房作のコレ。Kominar105mmで撮影した絵の左端の大ぶりのレンズ。
Medical Nikkor 120mm F4(IF) (1981年12月発売) 。6群9枚。最短撮影距離0.35m、と判明。
フィルム時代の医療・学術用のレンズです。内部にストロボを組み込んだ特殊な機構になっているようです。
これを使えるようにする工房の技に脱帽と敬意。
ある種キッチュなテーブルフォトにはおもしろい。僕向きではあります。
フードを外して49mmのフィルターをつけてみます。



以下撮影例。「億男」はα7Rで。
舞妓さん、億男は偶然ウチにやってきたホン。「本屋大賞」系の読物ってなんだかなあ。w





最短撮影距離で。





外に持ち出す!





手垢で汚れていた伊吹マヤを洗ってやる。きれいになった顔を。w

Tele Kominar 105mm 1964年

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日東光学。 Tele Kominar 1:3.5 105mm。(ニコンマウント)
午前4時過ぎ、初めて使う。まず一枚。最短撮影距離=1.2m。1/100秒。F5.6とF8の中間。プリセットになってます。羽根は8枚。1964年製。
拡大画像はα7sの解像1/2=横2120です。PCの方は大きくしてご覧になれますので、ぜひ。うん。いいレンズですね。派手さのない静かな味わいがします。隅々まで端正に出る。ピントは、「NIKKOR 35-70mm」の銘板文字あたり。近くにあれこれ文字列を配置。ぼけが確認できます。フィギュアは4-5㎝後方。

SILKYPIXノーマル現像。PhotoshopでのWeb用保存。色調の補正はしていません。



以下は午前6時過ぎ、α7Rで。









Ai-S Zoom-NIKKOR 35-70mm F3.3-4.5

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Ai-S 35-70mm/3.3-4.5 Zoom。1984年まで28万本も出荷している。



α7sにつけて。3枚はワイド側。そのあとはテレ側。F5.6。











なお最初の絵はVARIO MACRO LENS 35mm/3.5というレンズを使っている。正体がはっきりしないが、hamaの製品じゃないかといわれている。

ニコン ニコレックス

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α7RとNIKON ニコレックス抽出=NIKKOR-H 48mm F2.0(M42改造)。









たとえば作者自身が、「土の中の彼女の小さな犬」(短編集『中国行きのスロウ・ボート』所収)とか、『方法を読む』やらを読んで「たのしむ」というようなことがあるだろうか?
われわれにはそれがある。その手が残されている。フーコーやドゥルーズを寝物語に読むように、それら80年代の著作にあたることができる。読者=ROM専の身に降臨する特権だ。
というのも、こないだ手にした

文学界7月号

ここの太字の短編が三者三様つまらなかった。辛気臭いのだ。(すいません)
「老惨」は死臭ぷんぷん。「三つの・・」も実は同様だ。「胡蝶・・」もなんだかなあ。(ごめんなさい)

どんな場合でも当たりはずれは、ある。残されている「その手」を使って愉しめるものをかき集めることにしよう。

α7s EL-NIKKOR40mm

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α7sとEL-NIKKOR40mm。各地に被害を出した雨。当地は梅雨が明ける。
週三回クルマで移動販売していた八百屋さんが今日を限りに廃業する、と。西瓜をどっさり買う。集まって世間話をする機会がなくなった、と連れ合いは嘆く。さもあらん。
事件は突然出来する。













EL-NIKKOR 40mm

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α7sとEL-NIKKOR40mm。最初がF5.6であとはF8。









α7sとNIKONOS抽出のNIKKOR35mm2.5。
アウトフォーカス部が鮮烈に浮き立つ。







バカげた遊び。上がNIKKOR35mm、下は固定絞りM42改SUMMICRON50mm。絞りを同じにしている。



ニコノス 35mm

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α7RとNIKONOS抽出のNIKKOR35mm2.5。









NiKKOR 35mm F2.5 NIKONOS

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α7RにM42の17-31mmヘリコイド。NIKONOS抽出のNIKKOR35mm2.5。
拡大画像は大きめ横1840あります。
描写はごらんのように隅々まで精緻。周辺光量の問題もない。α7Rと上記のヘリコイドチューブ、それに工房製作改造レンズ=3者のベストアレンジメント、とは当方の経験的な実感。
これもまた世界に誇れるレンズのひとつだと感じる。「ニコンS時代の35mmF2.5をリファインした水陸両用レンズ」ということだが詳しくはニコンサイトで知ることができます。「改造」ゆえにデジタル時代でもなお万能を標榜できるレンズだと思う。





最短撮影(およそ15cm)。開放F2.5。(拡大画像920*614)

Emil Busch NEOKINO NIKKOR 135mm

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Emil Busch NEOKINOで撮影。 大口径ニッコール135mm/2.0のM42改造レンズ(知人工房作)ほか。





ニコノス35mm F2.5 M42改造

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α7Rに17-31mmヘリコイド。NIKONOS抽出のNIKKOR35mm2.5。









Ai NIKKOR135mm F2.0 大口径

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SONYα7RとM42改造のニッコール135mm 1:2。天気は靄気味。









「サイレンロゴとボタニカルモチーフ」の耐熱ガラスマグカップ。
α7sとM42改造のニッコール135mm 1:2です。大口径の。絞ってます。1メートル未満。ヘリコイドチューブのタイプによっては無限がでなかったりするので接写と風景は分けて選ぶ。

EL-NIKKOR 40mm 変換リング

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α7sと引き伸ばし用EL-NIKKOR 40mm。L39-M42リングを使用。
梅雨の晴れ間。雲がきれい。夕方6時過ぎ。









EL-NIKKOR 40mm

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α7sと引き伸ばし用EL-NIKKOR 40mm。
L39-M42リングを使用。F5.6で撮影。









α7R NIKKOR-H・C 1:2 5cm

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α7RとNIKKOR-H・C 1:2 5cm。









僕はヤフオクを使う。知人工房の関連で使うこともある。
現在ただいまナウに、オクをやってないのでこの際書いておく。
直近の出品でちょっとしたことがあった。落札者から3日目にさしかかっても連絡がこない。お前たった3日も待てないのか!という気持ちはわかります。ただ、僕は「落札日を含む3日以内に連絡・決済すること」を注意事項の筆頭に明記している。

そんなわけで、入札全履歴と落札者の評価を参考までに閲覧してみた。①落札者は当初から参加し最後まで自動入札で落札していた。②前回取引に「非常に悪い」評価を受けている。その、理由。「多忙で、落札されていたことに気づかず」連絡をしてなかった・・。それで出品者から「落札者の都合によりキャンセル」として削除されたもの。結果的に自動的に「非常に悪い」評価になる。

そこから僕が推測したことはもうおわかりでしょう。落札者は自動入札で自身が落札したことに気づいていない、と判断。取引ナビで連絡をもらえるよう「督促」をしました。で、今朝メールで4日目の深夜にすべての処理が決定済みであることを確認しました。やはり落札者は気付いていなかったのでした。
おなじような経験をされた方がいるでしょうね。約束違反でもすぐには削除せず、取引ナビで(ヤフオクの「ヘルプ」には「連絡掲示板」を活用する方法もアナウンスされてます)促すことが肝要ですね。これは勉強になりました。4日目の朝、午前7時には本局から商品を発送しました。

ニンゲンは生き物だからなにかコトがあれば未経験の事態であっても試行錯誤して解決への道を探るものですね。
督促のナビを送信したあと、ホンを読みながら、うん1週間は待ってみようと思いました。さすれば朝は「解決」。案外そうしたもの。ナビ送信前は、うーんどうしたもんか、と少しストレスを感じましたがね。

実を申せば、それをごまかしてくれたのはウディ・アレンの『ブルー・ジャスミン』と昨夜(というか日付は今日)読み終えた西加奈子の『きいろいゾウ』だった。ありがとう。





両方ともSONY α7RとNIKKOR-H・C 5cm F2.0です。モニタを実写。ゾウの本には帯はついてませんよ、本屋では。これ古本なので。
画像多し。注意。α7sとニコノスのUW-NIKKOR 28mm。M42改造。
海に入って魚群を撮っているような気分で。陸(おか)でも、中央はきちんと撮れる。

























今期の芥川賞を読んでいる。α7sとニコノスのUW-NIKKOR 28mm。M42改造。



EL-NIKKOR 40mm L39-M42リング

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α7sと引き伸ばし用、EL-NIKKOR 40mm。
L39-M42リングを使い、F5.6で撮影しています。とても優れたレンズです。











これはエルマリート90mmのレンズヘッドに刻印されたシリアルです。

NIKKORの大口径135mmで撮影するニコレックス抽出=NIKKOR-H 48mm F2.0(M42改造)。



以下はα7sとNIKKOR-H 48mm F2.0の作例。









α7RとM42改造のNIKKOR28mm F3.5。



F5.6くらいだったのかな、最奥の雪山に合わせた。最奥等倍は









ところで。山田錦の横は工房作のPEN、Olympus D.Zuiko 1:3.5 F=2.8cmです。



くしくも画角と明るさが同じです。でもハーフ用のレンズ。これで撮ると(山田錦の横がM42改造のNIKKOR28mmです)

α7RとM42改造のNIKKOR28mm F3.5。
M42改造です。レンズは小さく、ストリップ状態なので持ち出しに便利。





忘れな草です。







養老孟司の中に、ある学生が、赤い糸を吐く蚕を遺伝子操作でつくったという話がでてくる。それと、柄谷行人は中国でのNAMを模索している。かの地にこそ「アソシエーション」がある、と。生きてますNAM。ううむ。

NIKKOR 28mm F3.5 M42改造

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銘がないので、このレンズが何だったのか。知人に尋ねてNIKKORということが判明。ううむ。ボケてきてるんかな。w



これで撮影。接写中心。











NIKKOR-H・C 1:2 f=5cmそのもの個物を撮影。最初はDurstComponon105mmで。いずれも使用カメラはα7R。

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次なるはCarlZeissJena Sonnar 1:1,5 f=5cmで。



さて。
今月はじめに、長い間お世話になっている無農薬農業家からこのようなチラシが配布された。胸を打たれた。この方(女性)は妻によると75歳くらいだという。ウチとは25年以上の取引があった。ぜひ拡大画像でご覧になってください。こんな勁い(つよい)ヒトもいるのですね。鼓舞されます。そんなメッセージとして僕は受け止めました。



今朝12月25日に電話があり、合鴨は別業者で今年まではどうにか仕上げることができた。形は悪いが、個数はある、ということだった。ありがたい話だ。
何事にも終わりはあるし、いつかは「店じまい」もある。僕は非力で、ちょっぺ(下手くそ)な男だから、男性であれ女性であれ生産・製作に携わる人間に一種の敬意(リスペクト)に似た感情をもつ。ええなあ、と。
妻も僕もそれぞれの知り合いに、今朝の吉報=鴨を届けることができる。今年までだ。
NIKKOR-H・C 1:2 f=5cm。知人の手になるEマウント改。ピント合わせのストロークがとても長く、ここぞというところまでぐるぐるやります。
いいレンズです。この優美な姿。カメラにつけてるだけで決まってる。
(NEX-7,SUMMICRON-R 50mmにて撮影)



12月24日。店がとても混んでいた。先日みつけたアイテムをランドスケープでワンショットする。続けてポートレイトを。と、その時ぬっと女子が現れた。とっさの出来事で、その女の子も固まったふうであった。まあ電子シャッターなので無音なのが救いである。こんなこともあるんだ。





では、怒涛のアップ、クリスマスバージョン。w

























NIKKOR 35mm F2.5について

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8月のこの記事・・

このNEX-7に取り付けているレンズ。正体不明としているが、なんとなくNIKONOSに似ている。今朝ふと考えた。まず下の2枚。補正なし。





それぞれ左端に鎮座するのが、順にニコノスの35mmと正体不明とされる35mm_F2.5。どちらも開放でDurst Compononを撮っている。よく似ている。

ケラレがあるのでNEX-7で撮影したのが先の8月記事だが、今日は正体不明をα7sで使用。まずはそのケラレから。











ツーショット。左ニコノス。右正体不明。



ミステリアスだ。レンズ番号が離れすぎかな、とも思う。よく似てる。でも銘のタイポグラフィーが少し違う。


香港から届いたアダプタ。径が一回り大きい。M42-NEX 17-31mm。(これでないとこのレンズの無限が出せない。)α7sにつけたシーン。取り付けレンズはニコノスのUW-NIKKOR 28mm。M42改造。知人製作。なんとなく似合う、と思いませんか?
ですが下のはα7Rにつけて、夕方=車窓越しの街。海のものを陸(おか)で使う。いやいいですなあ。空が海のようだ。
雲もあるしこんな絵は好きです。



これはOSCILLO-PARAGON 56mm f1.9。M42改。M42アダプタに入れて撮影している。
(α7sとニコノスのUW-NIKKOR28mm)
あなたの眼が悪いのではありません。今日の画像はすべて周辺が「流れる」レンズで撮影しています。



α7sとOSCILLO-PARAGONで、まず開放で撮影する。









近場は絞るほうがいいような気がする。



中景はともかく遠景には不向きかな。





ニコンのニコノスから取り出したUW-NIKKOR 28mm 1:3.5(M42改造)とα7s。ほとんどカラー補正しなくてよい。ブルーの色合いに特徴がある(ような気がする。気のせかな)。





(下)遠景は中央部以外はアウトフォーカスになる。周辺の色合いも割と自然。







SONY_α7sと、ニコンのニコノスから取り出したUW-NIKKOR 28mm 1:3.5(M42改造)。怒涛の10枚。w



















ニコンのニコノスから取り出したUW-NIKKOR 28mm 1:3.5(M42改造)とα7s。



中央部はしっかりしているが周辺がぼんやりしているのがわかる絵です。立ち位置は違いますが、これを六櫻社ベビーパール抽出のヘキサー5cm 1:4.5で撮るとこうなります。



枯淡なベビーパールですが白いフェンスがきっちり出てます。
それはともかく今日はニコノス。近接をごらんください。











“made by Rollei” stamp ではないテッサー40mm F3.5です。知人の工房から借りてきました。M42改造です。ローライ35とレンズについては、Wikiなさってください。来歴の複雑さが知れます。ともかくこれはドイツ製です。シンガポール産ではありません。
そう言ってしまえば、いかにもシンガポール産に不利な言い方になりますか?決してそうではありません。わたしは知人の恩恵でシンガポール産のレンズをあれこれ所有しています。極めて優秀です。念のため。(拡大画像なし)





以下はα7sとこのテッサー40mmF3.5で店内を。モデルになってるレンズはUW-NIKKOR 28mm 1:3.5、あの水中カメラ、ニコノス抽出のレンズです。わたしのM42-NEXヘリコイドに干渉があり、このニコノス28mmを今日は使用できない。なのでまあ姿を撮りにですね、ビールを買いに行くついでに店に寄ります。(以下は拡大画像あり)









画像多し。10月31日。快晴。雲一つない午前中。撮影には不向きだが出たついで、というのがある。α7RとNIKKOR-H・C 1:2 f=5cm=Eマウント改。















NIKKOR-H・C 1:2 f=5cm。接写もできる万能のEマウント改。
まことにもっていいレンズです。まずもってこの姿を気に入ってます。
(NEX-7,SUMMICRON-R 50mmにて撮影)



で、α7Rにつけて夕刻17時前。10月末日のムラサキシキブはすっかり実を落としています。









NIKKOR 35mm F2.5

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左がCONTAX Tvsからの抽出レンズ。NEX-7に付いているのが正体不明のNIKKOR 35mm 1:2.5。いずれも知人製作のもの。



鋭意調査したがNIKKORのレンズの由来は不明。フルサイズではケラレが散見。よって今日はNEX-7で撮る。綾屋紗月のリクエスト本が県立図書館より届く。奥の作業場が当市に建設中の新県立図書館。なお、日傘は意図的に挿入しています。





開放でもシャープです。



NIKKOR 35mm F2.8

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SONYのα7sとNIKKOR 35mm F2.8。ムラサキシキブも色づいてきた。読み終えて返却する夕方。
ドイツ野戦郵便は300億通ものやりとりがなされた、とあとがきにある。書物でとりあげるのは100通にすぎない。(アーカイブの総数は16000通)ドイツ国防軍というのは普通に戦争に駆り出された一般市民だ。いわゆる親衛隊(SS)の任務とは別。それでも随所に戦争の過酷さが垣間見える。ユダヤ人のゲットーや虐殺のことも書かれている。
現代ではこのような手紙は書かれようもない。手紙はゆえに古いアルバムにも似ている。そして皆がみな、男たちによって書かれた。
「空から降ってきた男」は毎日新聞社の特派員がロンドンで起きたある事件を追ったノンフィクション。ジャンボ機の車輪格納庫に潜んで密航を企てたアフリカの若い黒人にまつわる話だ。男に生まれ、女との「対」の幻想に憑かれ、そして破壊された男ゆえの悲しい実話だ。
女にとってはこの事件も「擦過傷」にすぎぬ。



ここでこうして撮るのは初めて。後方にも傘が来たので入れてみた。

NIKKOR 35mm F2.8

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SONYのα7sとNIKKOR 35mm F2.8。日傘は意図的に入れてます。









ナルチシズムの極み。こんなのがファイルにあったのでベタやネガ、それとノートを調査。平成9年(1997年)、5時半より牧ノ戸からとりつく。久住から天狗、すがもりへ降り牧ノ戸へ戻る、とある。これはけっこう長丁場だ。テン泊できなかったと反省している。テン場が何かの都合で使えなかったものと思う。登山はカメラバッグに三脚。FM2とNIKON24-120mm。それとポケットにGR1と書いてある。400プレストを640で使っている。D76現像。22℃。(現像時間不詳)
これをplustekで読む。ウェブ用に小さく。それをPhotoshopでKに。他の処理なし。



手にGR1を持っている。コンタクトシートをみると、全身きちんと収まっている絵もある。わざわざ頭部が切れているのをプリントしている。当時カメラ雑誌(アサヒカメラか日本カメラ)に応募したような気がする。入選はしてない。
この程度のアタマの切れより、フレームに足がちゃんと入っていることが肝要だったのです。LOWAの靴が入ってます。
背後の白煙は硫黄山です。

NIKKOR 28mmF3.5

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α7sとM42改造のNIKKOR28mm F3.5。
M42改造です。したがってストリップに近い。タイトルにM42改造を入れると、SEOが。







α7sとNIKKOR 28mm/2.8でLIGHT_BOX上のベーコンのスライドを撮影。



で、一枚をPlustekでスキャン。1953年の作品。



同じNIKKORで、2階からカーポートを。衛星円盤の下に職人さんが顔を出してます。先日プラフックが劣化して3枚が風で飛ぶ。100メートルほど先の道路に、しかもスレート自体は無傷。このテのスレートは壊れない、そう言ってました。台風来襲に備えて全部張り替えてもらう。12日に依頼したらば、盆の13日に朝から2時間ほどで一丁上がり。さすが餅は餅屋です。一度上って自分で補修しようかと試みたが開けた穴を合わせることができない。意地はって滑り落ちたらコトですもんね。九州は「ナフコ」。ブロンズフロスト8尺8枚、ステンレスフック、総額3万4千5百17円。風で飛ばされて、よそ様に迷惑かける懸念にくらべると安いもんです。胸をなでおろす。いい盆でした。
このレンズはシブイですなあ。うん。

NIKON NIKKOR 28mm F2.8 Ai kit 27

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α7sとNIKKOR 28mmF2.8。(Kタイプ)
最初のはフランシス・ベーコンの図録から。







α7s NIKKOR 28mmF2.8

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α7sとNIKKOR 28mmF2.8(1976か1977年)
最初のはW=1200あります。記事が読めます。なかにフリーWi-Fiのことが。コーヒーショップにWi-Fiはいらない、と。わかるような気がする。



以下も機材は同じ。雲のきれいな一日だったが、猛烈に暑く、38度近くになる。







暗室にて。6時ころ。自然光。



「芥川賞・直木賞に決まって」=けさ8月4日の朝日。α7sとNIKKORの「よんさんはちろく」で。ズーム60mmくらいか。サムネールはシャシン向きの方に。拡大画像は記事読みプロパー向きに。
サービス精神です。
佐藤は20代から知っている(読んでいる)。遅咲き。沼田真佑、不知(読んだことない)。のっけから「自分はただの愚か者で、・・」とはねえ。おふたりとも「気負い」から遠い装いだ。沼田は読むのが愉しみでもある。(きたるべき「文藝春秋九月特別号」)

おとこって「けなげ」だなあ。ハナシがいとおしい。
あれまあー、タイトルが。長崎ちゃんぽん式。
奥にあるのはEP578というナショナルのマッサージ機です。いつだったか動かなくなったのでメーカーに修理してもらった。3万円くらいかな。「使っていませんね」と言われた。使わないで駆動部が固着していたそうだ。ついでに「もみ玉」も交換した。
それでも月に一度使うか・・。そんな始末。



最近「ベルメゾン」のフレームに「モットン」のマット、という組み合わせでベッド生活にした。一気にじぶん寝室が手狭になった。こいつをパソコン部屋の窓際に強制疎開。
これに寝そべると正面視界はこうなる。





リコーのプリンタの上にパイオニアのブルーレイ・プレーヤ、その上はシャープのLC-16E5。リコーとパイオニアの隙間からちゃんと排紙もできます。
このマッサージ機、ネット渉猟してみた。何と英文のサービスマニュアルが出る。取扱説明書ではありませんよ、サービスマニュアルです。全32ページ。ビス一本にいたるまで詳細に記載されてます。ニッポンメーカーの律儀な姿が垣間見える。

もうひとつある。20年もなる古手のマシンをいたく重宝し「最高」と絶賛しているお方のブログに出会いました。彼(たぶん)もメーカーの修理を受けている。が、半年後に故障する。よって自分で直した、とある。解説写真付きで。こんないいマッサージ機は今はない、と言い切っている。ううむ。
もっとも彼が当のサービスマニュアルを参照したかどうかは不明。



二日間で読み終えた小玉武=開高健を、返却する前に「記念撮影」。



これまで知らないことが多かった。さっそく次なるホンを県立図書館に借り受け予約。
高恵美子「ヨーロッパの白い窓」と、こう書けばピンとくるお方もいるでしょう。一方、佐々木千世「ようこそ!ヤポンカ」は稀覯本で国立国会図書館はじめ有数の図書館にしか見当たらぬ。当県では無理のようだ。
シャシンはすべてα7sとニッコール28mm 1:2.8(非Ai,70年代) 。設定を間違えて、下のはなんと1/4秒で撮影していた。絞りF5.6。



電子シャッターだからできたことだろう。次なる爺さんは1/8秒。リモコン操作の右腕が揺れている。



お昼、自分用に「鴨南そば」。鴨をたっぷり投入する。出来がよくうまかった。暗室シャッターを開け、窓際でまたも記念撮影。



参考までにレシピ。そばはもともとは生協のざるそば用「出雲そば」(つゆ付き)。これを僕はホットで食す。
ダシは、いりこと鰹。いったんとったダシに、鴨の脂身を少し紙袋に入れてもう一度。このときちくわをいれる。(ちくわの風味がでる)
味付けは塩とみりん。酒はなくてもよい。塩は生協の岩塩、みりんもなんちゃらの妻がこだわるみりん。そばに付属する「つゆ」も入れる。チョーコー醤油(といっても知りませんよね)の京風だしの素をほんの少し。これが完成つゆ。
さて鴨肉は固くなるのを避けるため、完成つゆにざるでさっとつけて引き上げる。10秒くらいか。盛り付け時に投入。あとはネギ、わかめ、おぼろ昆布。七味唐辛子。
だし用の鴨と食す鴨を分けて使う、というのが僕流のキモ。ただし、ここが最後のポイントですが、ひとそれぞれ、です。

あ、そうだ、これが「出雲そば」です。鴨はついてませんよ。鴨は有機農法でお米を作っている方から年契約で購入してるんです。今日は何を記事してるんだか・・。

NIKKOR-H 48mm ニコレックス

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α7sとニコレックス抽出のNIKKOR-H 48mm F2.0。









最後のレンズの絵。知人から頂ったレンズです。詳細は調査中。4+3/4インチとありますから120mm相当。ケラレが出るのでAPS-CのNEX-7で窓から3キロ先の空港を。(色補正なし,拡大画像なし)



等倍でみると

α7s NIKKOR-H・C 1:2 f=5cm

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α7sとNIKKOR-H・C 1:2 f=5cm。











ジョシュア・グリーンの「モラル・トライブス」は僕が二人目の借り受け。読まれてないんだなあ。上巻も写真に開いたあたりだけが読まれたと推測される。(そこにさしかかるとやわらかくなる)「トロッコ問題」の箇所だ。

EL-NIKKOR 40mm F4

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α7sとEL-NIKKOR 40mm。
雨もよいの庭の花。買ったホン。いつものお店。パンはあれはフェイクです。













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地上の夜の天使たち