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SUMMICRON-R 50mm

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ズミクロン-R 50㎜。1963年。固定絞り工房M42改。α7R。



















α7sとM42改1963年ライカSUMMICRON-R50mm。F8相当固定絞り(工房作)。











SUMMICRON-R 50mm M42改

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しばらく使ってないと使いたくなるSUMMICRON-R 50mm。(M42固定絞り)α7s。
モデルになってるレンズは知人工房作の正体不明50mmレンズ。(テッサー型)
色付きイルミネーションは「仕込み」です。w





SONY α7sと1963年ライカ、SUMMICRON-R 50mm2.8。(M42改_F5.6相当固定絞り)





ここにあった監視カメラが消えた。





SONY α7Rと1963年ライカ、SUMMICRON-R 50mm2.8。(M42改、F5.6相当固定絞り)



野見山暁治の『4百字のデッサン』(1978年)は書下ろし、「戦争画とその後―藤田嗣治」から始まる。もしかしたらアッツ島玉砕の絵の件で公式に触れたのはこれが初めてなのかもしれぬ。僕が以前読んだ記事と少し違うなあ、と思いつつも放っていた。ふと思い当たる日が訪れ、探し出したのが10年前のユリイカだった。両者の間には30年間の隔たりがある。







結果的にはあれこれいうほどの差はなかった。記憶は再構成される。表象での「再現」に事実は宿らない、とみていい。
フジタの記事は目についたら必ず手に取る。しかしこの性向にはなにがしかの「疲れ」も付随する。もう、いいじゃんフジタは、と思っているのか?
昨年、最初の妻、登美子あての書簡が人文書院から出た。林洋子監修、加藤時男校訂。これは以前の「資料集」を書籍にしたものだろう。もう何年まえのことか、当の「資料集」を送料込みで5000円で頒布する、と前述のユリイカ誌上の加藤氏記事の末尾案内に気づき、遅まきながら電話で問い合わせをしてみた。ないんです、と加藤氏に言われた。今回の書籍というのは上下巻でその資料集の3倍近くの価格になる。やれやれ。w
それはそうと、自分自身の備忘のためにフジタのことについては過去に何度か記事にしている。

こんな具合です。

抽出 SUMMICRON-R 1963年

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α7RとROUSSEL50mmで撮った第一バージョンのSUMMICRON-R 50mm2.0。SILKYPIXのトイで現像。長さは単三電池ほど。(知人作)



ライカレンズの番号表で見る限り1963年。ただしこれがつけられたライカフレックスは1964年から発売されたそうだ。「ライカレンズの見分け方」のサルトリウスも1964年としている。番号表は「割り当て」という話もある。
もう一枚。H.ROUSSELとSUMMICRON-Rを並べて。(NIKKOR35mm2.8にて)

画像が多いです。ご注意。
α7RとM42改造SUMMICRON-R(1963年)。F5.6相当。











SUMMICRON-R50mmの改造 M42

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画像が多いので注意。
すべてα7sとM42改造SUMMICRON-R(1963年)。F5.6相当。











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