Sonnar 85mm f2.0

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 「何が見えるかを語っても無駄だ、見えるものは決して語るもののうちには宿らないのだから。」
 (フーコー 『言葉と物』)
 僕の場合、いま生きているここ(現働の場)での様態にはつねにこのような知のバイアスがあるのだろう。フーコーの知が内在化しているというべきか。実のところ「なんでそうなったのか」というのはヒトには説明できないのが本当のところだ。
 スナップ・街撮り中心の僕が定点観測やテーブルフォトに足場を移した・・ようにもみえる。が、まあこれはひとりごとです。あれこれぬかせば「プチ物語」すなわちレシになる。昨年11月にソニーという誰もが知るメーカーからα7Rというカメラが出た。これは僕に何かが起きるな、と直感したがまさにその通りであった。僕の心身は「外」に対してよくもわるくも率直に反応する。かつて「カメレオン」とか「あじさい」とかのあだ名を頂戴したのも根拠があるわけか。

 α7Rと知人譲りのレンズ個物のアレンジメントが、近頃の僕のシャシン時様態を決定付けている。うーむ。おそらく二桁になるだろう数の個物を得る。それらを用いてα7Rの100パーセント拡大解像力の視覚的で深遠な領域で遊んでいる。レンズ個物は28mmからせいぜい100mm前後までのもの。世に「オールドレンズ」と称されるものばかりだ。
 僕は昔、京セラ=コンタックスG1のSonnar 90mm を使ったことがある。AFが不良だったのか「ピント」を得た実感がまるでなかった。失望の経験しかない。まあ一眼レフでも90mmで開放、至近距離でピントを得るのは難しい。ファインダが優れていてもいざレリーズの段階で体が数センチ揺れるとピントはズレる。その前に本当にピントがきていたのかどうか検証のしようがない。検証用に4つ切りプリントを何十枚もラボに出すということは不可能だ。G1のSonnar 90mm に失望して二束三文で手放した。
 そんなコンプレックスを一挙に吹き飛ばしたのがデジタルの技術だ。フーコーにならって、見えるものを語る無駄を省き100パーセント画像(部分)を見ていただきましょうね。アンチョコな絵ですが。ドキッとしますよ。撮影フレーム全体を横1472ピクセルの拡大画像。次にピント部の100パーセント画像(横7360ピクセルの一部)です。


(α7R/Carl Zeiss Sonnar 1:2 F=85mm/SILKYPIX)


(α7R/Carl Zeiss Sonnar 1:2 F=85mm/SILKYPIX)

 逆さの「Maid in Germany」がピント位置です。下の絵をぜひ拡大してごらんください。鏡胴に横筋の意匠が見えますが、このデザインは個物を手にとっても肉眼では見えません。そんなものも写るのです。ヒトの知覚をやすやすと凌駕します。撮影距離約40cm。1/100秒のシャーッタースピード優先。絞り開放。ISO=160。SILKYPIXで現像。以降の処理はPhotoshopCS5。Web用保存(品質85)。アンシャープマスクなどの加工処理はしていません。

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このページは、が2014年2月18日 12:40に書いたブログ記事です。

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